【22日目】禁足地増やしてまわる生き様は神に反逆するためのチカラ
禁足地が増えていく。
会社を退職してから、もう3ヶ月経つ。
だけど、まだ傷は癒えることはなく、自己嫌悪と怒りとに苛まされ続けている。
それでも、会社の全員で行かなければならなかった昼食で行ったご飯屋さんの割引クーポンは届き続ける。
会社の最寄り駅やその付近にはもう行けないと思う。
色んなフラッシュバックにぶち当たり、動けなくなるから。
思えば、禁足地を増やし続けてきた。
小学生での不登校時は、小学校には近寄れなくなった。
中学校にも行けなくなった。
高校受験で失敗した学校の近くにも高校生の3年間は土地に足を踏み入れることが出来なかった。それだけでなく、テレビで特集などがされていると、胸の辺りが音を立てるから直ぐにチャンネルを変えた。
就活なんて禁足地を大量生産するための行為だ。
本町にも、新大阪にも、禁足地が溢れている。
大阪の大半を禁足地にするために、わたしは努力をしているのだろうか。
元彼の家に行くためにしか使わなかった駅なども通りすがるとき、ザワザワとしたものが脳裏によぎる。
そうやって、禁足地が増えに増えた結果、どこにも行けなくなってしまう。
喧嘩した人や、苦手だった人の家も近づかないようにしているけれど、
わたしは地元を離れない。
地元に対しての嫌悪感はなく、むしろ好きだと思う。
イジメや地獄があったと言うのに、それでも地元に生きている。誰とも関わりはしないけれど、ずっとこの地にいる。
いっそ、こんな場所出てってやる!
東京に絶対に行くんだ!
と思えていたら、どれだけ良かっただろう。
思い切り逃げることが出来ただろうに、わたしはのうのうと、ぬるぬると家にいる。
「東京に来ないの?」と言われることがある。
きっと、創作や広告系、クリエイターとしては東京に行った方がチャンスはあるだろう。
大阪では知り合う機会もなにもない。
もっと会ってもいいものなのに、やっぱり東京に収束されている。
東京には憧れない。
行きたいとは思わない。
猫がいるので、実家を出れない。
それだけじゃなくて、
わたしがどこかに言ってしまうと、家庭は完全に壊れてしまうだろう。
父と母の関係性は既に無いに等しい。
もし、わたしが家を出たら、どうなってしまうのだろう、と思う。
いま、かろうじて保たれている我が家のバランスを無くしてしまうことの恐怖がある。
既にないようなものなのだけど。
きっと全てが禁足地になった暁には、
わたしはあえて踏み荒らすようにズカズカと入りゆくのではないか。
そして、感じるモヤモヤやフラッシュバック、痛みと燻りを全部創作に繋げるはずだ。
感情を大事にしすぎている。
だから、傷つく。
だから、悲しむ。
あえて、傷つく。
あえて、悲しむ。
そういう人生を生きることを運命づけられてしまったのでは無いか?
わたしは、常に波乱な道を歩みたがっている。
何故こんなにも辛いのに、その道を選ぶのだろう。
どうしたって、生きる創作物なのかもしれない。
滑稽で、苦しくて、馬鹿らしくて、意味がなくて、必要で、面白い。そんな人にわたしはなりたい。