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わたしは人が大嫌いで好きなんだ【キャリコンへの道#12】

職業興味検査をしたことがある人はどれぐらいいるだろう?
適職検査ともいうけれど、基本の根拠は、ホランドの六角形モデルというものだ。

厚労省が運営しているジョブタグというサイトで、
簡単にこれは検査することができる。

知ってた?
知らなかったよね。

誰が知ってるんだよ、と思ってしまった。
もっと早く教えてくれよ、心の底からそう思った。

適職検査といえば、リクナビやらマイナビ、その他の求職ナビサイトで会員登録をしないといけないものしか見つけることはできなかった。
きっと、多くの学生がそういうものに個人情報を入力しないとできないものだと思っていたのではないだろうか?

しかも、それも深く内容を読むためにはより多くの登録をしなくちゃいけなかったり、書いてあることもあまりにも誘導的であったりする。

中学生や高校生の時に授業か何かでやらされたこともあるのではないだろうか?
それらで『芸術家』が出て、「ああ、社会不適合者なんだな」と思ったことがある人も多いだろう。
わたしも『芸術家』が出たし、インターネットにいると多くの人がそこで絶望の入り口に立ったという人がいる。

わたしもそういうものだと思っていた。
芸術系が出たら、もう社会ではやっていけない。
芸術系だけど、才能がないからずっと苦しく生きていくしかない。

でも、本当にそうなんだろうか?

一度、先に挙げたページで自分の職業興味検査、そして、価値観検査もぜひやってみてほしい。なぜなら、そのページの結果に沿って話をしていくつもりだからだ。

このページでは、結果に合わせて、関連職業のリストが出てくる。
しかも、その項目を押すだけでその職業の仕事内容や必要な技能、どんなふうになるかなどまで国の統計として出てくる。
いわゆる「営業」「経理」「事務」「技術職」「研究職」などではなく、そのもっと奥、尋常じゃないほどの職種、職業が細かく表示される。

そう、実に500種類の仕事が掲載されているという。

これを無料で、何の会員登録も必要なくすぐに検査ができる。

なぜ、誰もこの情報を教えてくれなかったのだろう。

もちろん、自分が情報を取りきれなかった事実はある。
反省でしかないのだけれど、あまりにも認知度が低すぎるのではないか!

適職検査だけでなく、何なら、
キャラ分析機能(目指す職業に就くために必要なスキルなどを明確化してくれる)
人材採用支援機能(求める人材の要件を明確化してくれる)
人材活用シュミレーション(会社での人材配置や教育訓練の資料を作成)

などまで、資料がある。
人事部や経営者層までが使える情報があるというのに、話題に出たことがなかった。

大学が提供してくれる資料も全て、求人ナビサイトの会員登録が必要なものばかりだった。何とも言えない商業的なもの。
それでも自己分析には必要だし、大事だけど、それをみて
「ああ、わたしには何もできないんじゃないか」と思った人も多いのではないだろうか。

だから、こういうのに対して抵抗感を持っている人もいるんじゃないか。わたしだけなわけがない。
あの喜びのような絶望のような芸術家。

キャリアコンサルタントの講義の中で、自分も自己理解支援ツールを使ってキャリコン役と相談者として自分のことを考えてみよう、というロープレがあった。

わたしの数値はこんな感じだった。

ジョブタグで出てくる結果シート
結果を六角形にしたもの

R:現実的:機械モノ
I :研究的:研究
A:芸術的:音楽、美術、文学
S:社会的:人と接する
E:企業的:企画立案、経営
C:慣習的:規則に沿った仕事

というふうに対応している。

わたしは、企業的が一番強かった。
そして、次に芸術、研究。

意外でもあったし、本当にそうだとも思った。
実はわたしは芸術が好きなわけじゃないのだ。
このnoteを読んでくださってる人には伝わってきていると思うが、
わたしは空想の世界を旅できる力がなかった。

ただただ、モノを書く人でありたいその執着心からずっと文章を書いてきた。
そして、その中でも、変なことがしたいという心が強い。

小説という枠の中で、意外性を持たせる方法を考えるのが好きだった。
叙述トリックや意味がわかると怖い話など、種を作って驚きや快感を与えたい。
それこそが一番面白くて、企画を考えているような気分であった。
わたしが小説を書かなくなったのは、そういう種をやり尽くしてしまった気がしているからだ。もうやりたいことがなくなった、意外性のある結果、表現をやり尽くしてしまったから、今は短歌をやっている。

怪異短歌なんて究極のそれだろう。
芸術としてではなく、意外性や驚きのために作ってる。

卒業制作でやった「生活史短歌」も文芸学科という枠の中で、その枠を踏まえた上で新しいこと、誰もやっていないことをしたいという思いだった。
新しいけど、刺さりそうなもの。
カラータイツだってそうだ。

だから、この結果には納得であった。

そう、わたしは芸術のために芸術をやっていない。
企画を考えて、それがたまたま芸術的なモノだっただけだ。
違うか、芸術的なものの中にある企画が楽しくて、仕方がなかった。


この六角形モデルの見方として、分化という要素がある。
そもそも、このグラフの横同士は近い要素を持ったもの同士である。

逆に言えば、反対側にあるものは要素が正反対なものである。

だから、R現実的とS社会的は真逆である。
I研究とA芸術は近い素養を持っている。

そのため、R現実的とS社会的はどちらかの要素だけを持つことが多い。

必ずとは言えないが、
全部の数値が高い場合は、自分のことを客観視できていない、
全部の数値が低い場合は、自分に自信がない、
と言えることになる。

そして、分化とは隣同士の数値が高く、その反対側の数値が低い状態のことである。これは一貫しており、自分というものを客観的に理解して傾向がわかっている状態とも言えるのだ。

わたしの場合で言うと、
E企業とI研究は反対である。
I研究とA芸術は隣り合っているため、傾向は近い。

そう、お分かりいただけただろう。
わたしは、S社会的があまりにも低いのだ。
二番目に低い。

もし、このS社会的が高ければ、わたしはいい感じに分化しており、
傾向として、ヒトに関わる仕事に興味があると言える。

なのに、わたしはSが異常に低い。
こんなグラフの持ち主なら、Sは高いはずなのに、低い。
わたしの歪な部分である。
でも、何とも納得感がある。

そう、わたしは人に関わるのが嫌いだ。
初回のキャリコンへの道でも書いたけれど、人が好きで嫌いだった。

老人に対しての恐怖感や同期へ馴染めたことのない経験、
前職の人たちの対応により植え付けられた恐怖。

ずっと、ひとが好きなのにわたしは怖くて仕方がない。
人に興味はある。何を考えているのか、その人たちがどう感じるのか、
何を悲しみ何に喜ぶのか、全て興味があって、何かしたいと思う。

だけど、わたしは怖いと思い続けている。
苦手なんだ。
どうせ馴染めない。
傷つけられてしまう。

そう思ってきた。
だから、この数値になったのだろう。

そんな話をキャリコン役の方とした。
わたしの倍ぐらいの歳の人事をやってきた優しいおじさんだった。

その人が、
「でも、こっちの結果を見ると、人のことが嫌いな人とは思えないですよ。何より人を大切にしてる。数値が高いの全部、人に関することばかり。」

「もしかしたら、本当に人を大切にしているから、重く捉えすぎて、疲れてしまって嫌いってことにしているんじゃないですか?」

ああ、本当だ。
本当に価値観検査では人のことばかりを考えている。
人や社会の役に立ちたい。
そう思っているのも事実なんだろう。

だけど、傷つきすぎて、わたしは人と関わることにおいての
自己概念がマイナスなものに占領されてしまった。

わたしには今、スキルとかじゃなくて、
愛される経験こそが必要なんだ。
人に愛されて、大切にされて、お互いを尊重し合いながら関わる経験。

それこそをわたしは求めている。

わたしはずっと、わたしはみんなの敵なんだと思ってきた。
味方はいない、1人で最前線で戦うしかない。
それこそがわたしだし、ずっとそれでいいと思っていた。

だけど、そうじゃないはずなんだ。

自己理解支援ツールなどは、できるだけ二つ以上のツールを使うことによって、多方面の内容を診断することができる。総合的に判断ができ、多面的に見ることができるというが、わたしの結果こそそれの最たるものではないだろうか。

そして、キャリコンという他人と一緒に見ること、考えることの価値とはそこの多面性に他者が気づいてくれるということであると思う。
自分でもちょっとその要素があると思っていても、1人でいいように捉えていると考えて「本当はそうじゃない、自分はもっと嫌なやつだ」なんて思ってしまう。
でも、他者から言われることによって「ああ、そうか、他の人から見てもそう思われるのか」とプラスの自己概念が追加される。

それを繰り返していくことこそが、キャリアコンサルタントやカウンセラーの価値であり意義なんじゃないか。

わたしはそういう仕事がしたい。

いろんな人の自分史、生活史を聞き取り本にする仕事をしていきたいな。
それこそがわたしの本当に向いていることかもしれない。

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