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一番目立つはずの『太陽星座』がしっくりきてない問題
僕らが最初に知る自分の星座は『太陽星座』。だから馴染み深いのだけれど、この太陽星座が発揮できてないという悩みは多い。
「太陽星座がしっくりきてないんです」「私、自分が○○座なんて信じられないんです」――こんな言葉をよく聞く。これが今回のテーマ。太陽星座を、発揮できているか。
太陽星座が発揮されると人生はスカッとする。晴れた日の太陽をイメージしてほしい。青空を見上げると、色んなことがどうでもよくなる。「色々あるけどそれも人生っしょ!」ってカラッとする。太平洋側の気候みたいな感じ。(余談だけど、日本海側出身の僕はそれが弱い気もする)
今回は太陽星座についてまとめてみたい。本記事は占星術のお勉強といった感じではない。一つの読み物として読んでもらえたら嬉しい。
(補足:太陽が発揮しづらい原因として、アスペクトやハウス、他の天体の影響ももちろんある。けれどきりがないので今回は考慮しない。それを含めても太陽は発揮するのがいいと僕は思ってる)
実は発揮が難しい太陽星座
太陽星座は「自分を最も表す星座」と言われている。しかし実際にはその太陽星座を発揮することは難しい。
占いをしていて、「この人、本当に○○座なのかな?」と思うことはよくある。太陽星座らしさが全然見えてこない。周りの占い師たちも割とよくあるらしい。
太陽が隠れてしまう要因として、社会が課している制限や価値観は強いように感じる。わかりやすい例で言えば、火の星座の子どもが「目立っちゃダメ」「きちんとしなさい」「空気を読みなさい」「安定が大事」と言われ続けて育ってきたり。
(どの星座に限らずとも)「自分らしさを!」「自分の好きに!」と時代は言うが、正直それらをありのままに表現していい空間で僕らは育ってきていない。
太陽星座とは何なのか
太陽は"生きるエンジン"だと思う。車のエンジン。これが元気に動いてないと、人生がなんだかモヤモヤする。
月星座はガソリンみたいなもので感情を動かすエネルギー。ASCはその車の外見、デザインみたいなもの。
太陽は太陽系の"中心"にある。僕らの人生においても「中心」となる何かだ。自分は何のために生きてるんだろう、何がしたいんだろう――そういう問いに答えてくれるのが太陽星座。
太陽は古代から既に特別な存在だったらしい。ギリシャ神話で言えば太陽神アポロン。光の神様で、人々に真実を照らし出す存在。単なる物理的な光じゃなくて、魂を照らすような、そんな意味を持ってたらしい。今の占星術でもそれは変わってない。
太陽が示すのは単なる性格とは違う、「個性」の部分。性格は、周りの環境との差分で判断されるものだけど、個性はその人の本質的な部分というか、他の人と比べても揺るがない核心みたいなもの。
例えば、双子座の人が「明るくコミュニケーション上手」と職場では評価されるとする。でも家では黙々と本を読んでいる。この場合「社交的」という性格は表面的なもの。本質はもっと奥にあって、「好奇心旺盛で、色んな形で知識を求める」かもしれない。人と話すのも本を読むのも、その人の「知的な探求心」の表れ方が違うだけ。
蠍座の人が「クールで感情表現が少ない」って言われてても、実は深い情熱を持ってる。表面的な性格は控えめでも、その人の個性は「深く掘り下げて真実を追求する」という強い意志を持ってたり。 つまり、性格は「周りからどう見られているか」で決められがちだけど、個性は「その人の根っこにある本質」のこと。
本質、もっと砕いて言えば『自分らしさ』を追求するのって、結構しんどい。みんなと同じ方が安心できるし、それっぽく生きてれば周りもとやかく言ってくることもない。
でもあるとき、『それっぽさ』は限界を迎える。これじゃない感が出てくる。けれど急に違うことするのも、自分の声を信じるのも怖い。そこで勇気を出して太陽星座が活かせてくると、葛藤を超えて「あ、これが自分の道なんだ」って見えてくる。
12星座別 解釈・特徴
僕なりの感覚で、それぞれの太陽星座が輝いてる瞬間を書いてみる。
牡羊座は、迷いなく「俺がやる!」って手を挙げられる瞬間。周りが躊躇してる時でも、まっすぐ前に出ていける。
牡牛座は、「これ、僕が大切にしたいものなんです」って自分の価値観を素直に言える時。ゆっくりでも、確かな歩みを信じられる。
双子座は、「知りたい!」「面白い!」を全力で追いかけていい時。好奇心の赴くまま、次々と新しい世界に飛び込める。
蟹座は、「大切な人を守りたい」って気持ちを隠さなくていい瞬間。優しさを「弱さ」と感じなくていい時。
獅子座は、「私はこう思う!」って堂々と自己表現できる時。自分の存在自体が、まわりの人の背中を押せる。
乙女座は、「もっと良くできる」って探求心を思いっきり発揮できる時。完璧を目指す姿に、誰も文句を言わない。
天秤座は、「この関係性、大切にしたいな」って思いに素直に向き合える時。人と人をつなぐ才能を活かせる。
蠍座は、「深いところまで知りたい」って情熱に正直になれる時。表面的な付き合いじゃ満足できない探究心を解放できる。
射手座は、「もっと先に行きたい!」って冒険心を思いっきり発揮できる時。型にはまらない自由な発想で人生を楽しめる。
山羊座は、「目標に向かって頑張る」ことを誇りに思える瞬間。現実的な努力が、確かな結果につながっていく。
水瓶座は、「そんな考え方もあるよね」って独自の視点を気兼ねなく出せる時。人と違う意見も、むしろ価値になる。
魚座は、「感じたままでいい」って直感を信じられる時。想像力豊かな世界観が、むしろ強みになっていく。
こんな風に、自分の本質をストレートに出せる瞬間――それが太陽星座が輝いてる時なんだと思う。もっと具体的な解説は、今はたくさんの本やWEBサイトで詳しく書かれてるのでそちらを参照してほしい。本当にいい時代だ。
なぜ太陽星座を発揮できないのか
本来なら素直に出せばいいはずの太陽が、大人になる過程で『かさぶた』に覆われていく。傷つかないように、上手く立ち回れるように、処世術として隠されていく。そのかさぶたのおかげで生き抜けたんだけど、大人になった今、もう必要ない。太陽が隠れちゃっている。
僕が特に大切だと思う3つの視点から、その原因を見ていきたい。
抑圧――太陽を封じ込めてしまう
過去の経験が、太陽を隠すきっかけになる。恥ずかしい思いをした記憶、失敗した時の痛み、教育の中での抑制。「あぁ、こんな自分を出してはいけないんだ」って学習しちゃう。人に笑われた経験とかは、特に深く刻まれる。
僕は太陽が獅子座なんだけど、「偉そうだな」「出しゃばるな」「調子に乗るな」って言われた経験が何度もある(今も言われるが笑)。小さいときなんかは、そういう言葉を真に受けてしまう。「自分が前に出るのはよくないことなんだ」「目立つのは悪いことなんだ」と。
そんで少しずつ自分を消していく。意見も言わなくなる。アイデアがあっても黙っておく。「これくらいなら大丈夫かな」って、常に周りの顔色を伺いながら生きるようになっていく。
そうやって自分を我慢し封じ込めていくと、つけは必ず回ってくる。他の人が堂々と自己主張してるのを見たとき、どこか腹が立つようになる。心の奥底では羨ましいのだろう。
SNSには誰かに向かって怒ってる人が常にいる。そんな人を見ると少しの共感がある。――本当は「自分がやりたかったのに、できなかったこと」をその人がやってるから腹が立ってるんじゃないか。
「それは人として間違ってる!」と彼らは善悪の話にすり替えてるが、本当は羨ましいだけなんじゃないかな。
空気への埋没――気づかぬうちに染まり、太陽を忘れる
「それっぽい」空気感に自分を合わせていく。多数派の意見、安全な意見、笑われない意見に同調していく。それらにはすごく安心ができる。その場の人たちが認めてくれる。受け入れてくれる。ホッとする。
でも、その「安心」には落とし穴がある。世間は各々の都合のいいように、特定の空気感に染まるのを要求してくる。世間と言っても広い概念じゃない。友達、家族、同僚、コミュニティなど、実際に近くにいる人たちのことだ。そして自分(太陽)が求めてることと、彼ら世間が求めてることは結構な割合で食い違う。
「みんながこうしてるから」「これが普通だから」に従っていくと確かに不安は減る。でも代わりに、自覚のない違和感が少しずつ蓄積していく。
時間が経つとその違和感すら見えなくなってしまう。そうして「私って○○座っぽくないんです」となる。その末路は「そもそも自分が何を望んでるのか」が見えない状態。どう「あるべきか」ばかり考えて、どう「ありたいか」を忘れてしまう状態。
確かに安心は得られる。でもその「安心」は永遠には続かない。いつか必ず「これ、本当に私?」っていう感覚に出会う。
自由への恐れ――「役割」に逃げ込む
「本当は変わりたい」「もっと自分らしく生きたい」。こういう思いは、多くの人の心の中にある。でもその一歩を踏み出すのは難しい。代わりに「今は仕事が忙しいから」「生活があるから」「子育てが落ち着いてから」と、様々な理由を見つける。その言い訳も、それなりに正しい。でも本当は恐れているのかもしれない。
太陽を発揮するのって、真夏の太陽の下に出るようなもの。眩しいし、暑い。熱中症で倒れるリスクがあるなら、家でクーラーつけて休んでたい。「社会人だから」「主婦だから」「親だから」って決められた役割の中にいる方が安全に見える。社会人でも主婦でも親でも、太陽とはバッティングしない。
太陽を生きるってことは、自分の人生に責任を持つということ。「役割」の中に留まっているのは、その責任から目を背けているだけなのかもしれない。自分の人生を自分で選んでいく。自分の個性を、全部引き受けていくこと。それは怖いことなので、僕たちは「役割」という安全な檻の中に隠れようとする。
「これが私の生き方です」と宣言する態度で生きるのは、否定もされる。No!と言うシーンも起こる。選択の結果を、自分で引き受ける必要が出てくる。怖い。でもその怖さの先には晴れ渡る青空が待っている。
どうすればいいのか
自分が本当に望むことから逃げないこと。
太陽星座を発揮するには、外にある圧力に振り回されすぎないことが大切。社会人としての常識、誰かにとっての当たり前、人としての普通、SNSの中の「正解」。そういった誰かよくわからない奴の声に振り回されすぎず、「本当はこうありたい」という内なる声を意識的に拾っていく。
「本当に望むことが何か」を見極めるのは本当に難しい。たぶん頭で考えても判断できない。僕らが自分で「本当に望んでる」と思ってることの大半は、誰かの声だ。
世間は常に「こうあるべき」で溢れかえってる。特にSNSは、みんなが「正しい生き方」を主張してくる場所だ。みんなが正しいと言ってる方向に、知らず知らずのうちに流されてしまう。
まずは自分の身体と心に耳を澄ませること。月並みだが、デジタルデトックスは本当に効く。ホテルや旅館にスマホを持っていかずに1週間くらい籠もってみるのはいい。外からの情報を遮断して、自分の内側の声に集中する時間を作る。そこまでできなくても、今日1日くらいできるはず。SNSはアプリでを消して、見たいときはブラウザで見るとか。0か100で考えない。工夫はいくらでもできる。
デジタルデトックスもきっかけに過ぎない。基本的には、時間をかけて色んな経験をして「自分の太陽」にあたりをつけていく必要がある。「これかな?」と思って挑戦してみて、違うと分かって絶望することも大切な過程。
周りに迎合していると本当の充実感は得られない。それっぽい成功や安心は手に入るかもしれない、けど、心の奥底でモヤモヤは消えない。このモヤモヤが重要なサイン、指標。
簡単な道のりではない。でも、その先には本来的な充実感が待っている。自分の太陽が輝く瞬間に出会える。
ちなみにだけど、『占星術』が一般的な権威を失った時代において、僕らはホロスコープという地図を手にしてる。これはある種のチートだと思う。自分の太陽がどんな性質を持っていて、どう輝けばいいのか、ある程度あたりをつけてから実験を開始することができる。
そんな僕らでさえ、自分の太陽を見失うことばかりだ。地図があってもその通りに歩むのは簡単じゃない。
大切なのは、正直な自分を認める事。それをダメなものと恐れないこと。自分の内なる声に、もっと耳を傾けてみること。
太陽後の世界
太陽星座を発揮した世界は、単なる"幸せ"とは違う。そんなゆるふわな世界観ではない。そこにあるのは「エネルゲイア」という言葉で表されるような活き活きとした充実感。世界という場所に自分のピースがバチっとハマってる感覚。「私はこのために生まれてきた」という確かな手応え。
面白いことに、太陽星座を発揮すると、他の要素も自然と調和していく。ホロスコープ全体が統合されやすくなる(もちろん、太陽が強すぎてもバランスは崩れるけど、それは後に心配すればいい)。
誤解しないでほしいのは、太陽を発揮することは軋轢や障壁の中で生きることでもない。苦しい人生を頑張っていく世界観でもない。自分をスムーズに出して生きられるようになると、むしろ周りから感謝されるようになる。自分も周りも、どちらも良くなっていく。いい人との出会いも増える。
色々悩んだり、抵抗を感じたりするのは、太陽の光が射し始めているサイン。
自分の内なる声に、もっと耳を澄ませてみよう。
今は世間という名の『雲』に覆われているかもしれない。でもその雲の向こうには、確かな青空が広がっている。太陽をバチバチに出して生きている人たちと出会える世界が、きっと待っている。
P.S
毎度思うのですが、大ショート動画ドーパミンドバドバ時代の今時、こんな長い文章を読む人なんて本当にいるのでしょうか。一文字も飛ばさずここまで来てくれた人、本当にありがとうございます。僕にとって世界の希望です。