来たぞ我らのシン・ウルトラマン!【ネタバレ全開感想】シン・ゴジラと比べてどうだった?
溢れ出る原作愛!令和版初代ウルトラマンここに極まれり。
我慢できず初日に見てきました、シン・ウルトラマン。
率直な感想は「混じりっ気なしのウルトラマン」。最高でした。
新しいのに何処か懐かしい。ヒーロームービーとしても秀逸な反面、地球を愛した一人の宇宙人の物語としてもとても温かみのある映画です。
長年のウルトラファンの方からしたら「何言ってんだこいつ」と思われる箇所もあるかもしれませんが、特撮・ヒーロー好きとして正直に感想を語っていきたいと思います。
紛れもない初代リメイクだった
連続ドラマの展開を見事に映画化
ウルトラマンといえば毎話登場する怪獣や異星人をウルトラマンが人間の力を借りながら倒し、時に説得して地球を守っていく1話完結型の30分の特撮ドラマ。それを1本の映画にまとめるのは至難の業だったと思う。
結果としては全く問題なかった。
冒頭の何処かエヴァっぽい(笑)活字を使った各怪獣のダイジェストや、テンポ良く進んでいくメインストーリーにも多くの怪獣・異星人が組み込まれており、2時間の上映時間の中にバリエーション豊かな人類とウルトラマンの戦いが散りばめられていて見応えは満点。
欲を言えばゴモラやバルタン星人といったアイコニックな怪獣達も見てみたかったのは確かだが、これはもう多くを求めすぎか。
数えきれない原作ネタ
脚本の庵野秀明氏は熱心なウルトラファンとしても有名。
それだけあって、いわゆる「原作ネタ」は1度の鑑賞じゃ拾いきれないほど散りばめられていた。
もちろんこれらの原作ネタは知らないと本編が楽しめないようなものでは全くないので、原作を知らない人も安心して欲しい。
その中でも大きなサプライズだったのはウルトラマンの「顔」だろう。
これは自分も気づけたし、予告編になかった描写だけに拍手したくなった。
ウルトラマンには3種類のマスクが存在する。
まずシン・ウルトラマンでは初登場時の顔。これは原作序盤で使われたAタイプと呼ばれるもので、吊り目で宇宙人感が強く、さらに口が動くギミックもあったが、劇中で喋ることがほとんどなかったので後のモデルで廃止されている。
神永との融合後は原作終盤で使われたCタイプに顔が変化。原作の放送終了後はずっとこの顔が使われていて「ウルトラマン」と聞くとこの顔を思い浮かべる人がほとんどだろう。
ちなみに今回出てきていないBタイプはCタイプ寄りのAタイプという感じで、口が少しすぼまった造形になっている。
この他にもBGMやセリフなど、初代をリスペクトした演出がたくさんあるので原作を知っている人は是非本編を楽しみつつ探してみて欲しい。
禍特対の面々が素晴らしい
現代に蘇った科特隊の面々に感動
ウルトラマンは一部を除いたほぼ全ての作品に地球側の防衛組織が登場する。その元祖である科特隊こと科学特捜隊も禍特対と字面を変えて登場。
黄色いスーツにヘルメット、腰に光線銃というオリジナルから黒スーツに丸腰(政府の人なので)という現代的なものに変更されている。
しかしキャラクターの性格や物語の立ち位置は名前こそ違えどかなり原作に近いものでとても良かった。
現代ドラマとしても無理のないキャラ造形になっていて、原作を知らない人には個性豊かな政府の若き精鋭たちとして違和感がないし、初代を見ている人は「この人は科特隊のあのキャラだ!」とどちらの層にとっても非常に人間臭くて愛せるキャラクター達だ。
ウルトラマンが体を借りた後の神永も、感情の薄い無機質なキャラクターながらもどこかに人類を愛しているウルトラマンが透けて見えて、斎藤工さんすごかった。
シン・ゴジラでは有事の際に全く役に立たない日本の政治家・役人への皮肉めいた描写が好評だったが、今回はあくまでもウルトラマンと禍特対にフォーカスを当てた作劇が功を奏していたと思う。
推し隊員のオマージュも見れた
特に自分が好きだったのがHay Say JUMPの有岡大貴さん演じる物理学者の滝明久。普段は軽口を叩くムードメーカー的な立ち位置だが、実は誰よりも真面目で繊細。人類がウルトラマンに頼るしかないという現状に自分の無力さを感じ、人知れず落ち込むシーンが印象的だった。
これは初代ウルトラマンに登場するイデ隊員をオマージュしたキャラで、幼少期の自分はこのイデ隊員が大好きだった。
イデ隊員は科特隊のメカニックで主に武器の開発を担当。日常パートでは会話の中心で冗談まじりに明るく喋るムードメーカーだ。
しかし自分の作ったメカが怪獣に全く歯が立たないことに無力感を感じて凹んだり、時に怪獣相手に説教もしてしまう熱い男だった。
幼い僕は彼から「普段ふざけてる人でも実は悩んだり悲しんだりするんだ」と、人間の言動と思考は必ずしもイコールではないことを学んだ思い出のキャラクターでもあるのだ。
シンゴジラと比べてどうだった?
全くの別物としてみた方が良い
シン・ゴジラとは同シリーズに並べてしまうのが勿体無いくらい全く別物とした方が良いなというのが一番の感想。
2作品に共通して出演している俳優はいるものの、現時点ではファンサービス的な域を出ておらず、重要な要素とはなっていない。
とはいえ、圧倒的なスケール感と発想力を現代技術を駆使した特撮で描いたシン・ゴジラを見た後だと、ウルトラマンにも同様の驚きや裏切りを期待してしまうのはしょうがない。
かくいう自分も前半部分を見ている最中はゴジラと比べるとちょっとスケール感が物足りないと感じていた。
なのでゴジラ基準で見ると若干物足りないのは確か。
むしろシリーズの概要が見えてきた
もともと劇場作品として作られたゴジラと30分枠の子供向けTVドラマのウルトラマンは特撮という大枠では同じものの、原作の時点で目的も表現方法も大きく異なる作品。それらをリメイクして似た作品になるワケが無いと自分は思うわけです。
逆に全編通してシンプルに、かつ綺麗にまとまった今作は、古き良き特撮ドラマの体温を感じさせてくれている。特撮に興味がない人にとっては何のフォローにもなっていないが、自分にとってはそこが大きかった。
「原作の特徴と個性を最大限残しつつ、現代の技術と庵野秀明という人物を経由させて生まれ変わらせた長編映画がシンシリーズ」なのかなというのがゴジラ・エヴァ・ウルトラマンの3作品を見て感じた自分の率直な感想。
なのでこの作品ごとの差異が次回作「シン・仮面ライダー」の期待をさらに大きなものへとしてくれた。
結論としては「比べちゃうのはわかるけど比べるだけ野暮」です。
ラストは意図的に変えた?
原作では最終回、ウルトラマンはゼットンによって殺されてしまう。
一時の敗北ではなく、明確な死として描かれたシーンは当時の子供達にとても大きなショックを与え、放送終了後には空に向かって「ウルトラマーン!」と叫ぶ子供までいたとのこと。
そしてこの最強の怪獣ゼットンは科学特捜隊が開発していた「無重力弾」で人間によって倒されます。ウルトラマンの死という衝撃的な出来事を経て、人類がウルトラマンから自立したという展開。
自分はこの最後が結構好きだったがシン・ウルトラマンでは人類の叡智を集めた助力があったとはいえ、ゼットンにトドメを刺したのはベータシステムを使ったウルトラマンの自己犠牲であった。
驚いたと同時にここだけ「あ、そういう展開なの??」と思ってしまった。
その後のゾフィーとの会話でウルトラマンが最後の最後まで人類の可能性を信じ、自分の愛した人間たちに今後の地球を託したということを語っているので、ウルトラマン自身の内面を描くための改変だったのだろうか…。
まとめ
というわけでかなり長くなってしまいましたが、個人的な「シン・ウルトラマン」の感想でした。
前述している通り、シン・ゴジラと比べてしまうと大掛かりな仕掛けが無い分、小さくシンプルにまとまった作品と思われてしまっても仕方がないのかも知れません。
しかし、自分にとっては最高のウルトラマン映画でした。
忠実にリメイクされた原作に加えて「この時ウルトラマンは何を思っていたんだろうか」というファン的な目線も加わっていて、かっこいいヒーローってだけではない、ウルトラマンという宇宙人の持つ優しさ・強さがそこに上乗せされていて「爽快な特撮を見た後に何か学べる」という特撮子供番組の一面も残っていることに非常に感動しました。
そもそも30年前の時点で20年以上前の特撮ドラマを当時子供だった自分が夢中で見ていたってすごくないですか?しかもそれ以来見ていないはずなのにかなり内容を克明に覚えているんですよ。
記事を通して「原作!初代!原作!初代!」なんとなくマニアぶった文章になってしまっているかも知れませんが、なんか新しいのに懐かしいんです。
昔見たウルトラマンを思い出したくなる映画でした。
最近はmarvel漬けの毎日でしたが、日本のヒーローもまだまだ負けていません。是非劇場で見てみてください。
そしてウルトラファンの皆様、もし「ここの小ネタは原作のこれだよ!」というのがあったら教えてください!
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