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クライシスにおいて「できること」と「すべきこと」(柴田清・千葉工業大学)

柴田さんは、経営工学系の大学で主に化学物質や環境問題に関するリスクマネジメントを教えてこられました。すでに、新型コロナウイルス感染は、新たな局面に入っています。この局面では、「できること」と「すべきこと」は分けて考える必要がある、という視点からコラムを書いていただきました。
なお、本稿の中では、「リスク」とは起きてほしくはないことが起きるかもしれないという想定のことで、それが現実のものとなると「クライシス」というと考えているとのことです。

「リスク」から「クライシス 」へ

さて、新型コロナウィルス感染は医療機関内部でのクラスター発生が相次いで報道され、崩壊が近いと感じさせる。いよいよ医療面でも本格的に「リスク」から「クライシス」へと局面が変わってきた。科学の専門家と非専門家とがコミュニケートすべき科学の内容も変わるのだろうか。

クライシスになれば、行政の権限を強化し、国民の自由や人権を制限する動きが見られる。また、行政として初動が重要であり、まず大胆で大掛かりな対応をすることが欠かせないともいわれる。必要な権限強化については、予め定めた短い期限において見直すこと、初動の対応についても経過を見つつ対応を改めることが、当然の前提となるべき話である。

また、クライシスにおいては「できることは何でもする」あるいは「すぐできることからやっていく」べきと言われることが多い。科学的知見の不確実性が大きい今回の新型コロナウィルス感染拡大のような場合、科学的に正確な情報が得られるまで待っていて手遅れになる可能性がある。過去の事例でも、例えば水俣病のように、そうなってしまった例は少なくない。できることが限られている場合は、少しでも効果がありそうだと信じるものを実行するしかない。しかし、多くの対応手段が可能な場合、それは本当にリスク回避になるのだろうか。より強いリスクを生み、クライシスにつながらないだろうか。

その行動の向こう側を想像する

たとえば、マスクをめぐる状況を冷静にみてみよう。マスクを買うために早朝から行列する人たちがいると聞く。医療機関ではマスク(に限らず感染防御用具)が足りないという。空気感染はないとして、非感染者にとって、マスクを着用することよりも、他人との接触を避ける、あるいは未洗浄・消毒の手指で顔を触らない(マスクはその手段として有効である)ことのほうが、感染予防のために本質的な対策であろう。確かにマスクを着用したほうがリスクは下がるだろうが、非感染者が高性能のマスクを求めることで、個々人の安心のために、かえって全体のリスクを高めてはいないだろうか。

BCG接種に感染拡大を防ぐ効果があるかもしれないという報告があるが、現在あるBCG接種ストックは新生児を結核から守るためのものである。越智さんが本サイトのコラムで述べているように、本来の新生児のために使われるべきである。PCR検査や体外式膜型人工肺(ECMO)についても、もちろん、重症者を救うことは大前提であり、感染の広がりを知り大爆発に備えることも重要であるが、それらの利用を制限することが貴重な医療資源を有効に使うこともなる可能性がある。

手段と目的を混同させない決断を

今回の新型コロナウィルス感染拡大防止を戦争にたとえる勇ましい文言で、われわれは思考停止になってはいけない。世の中にフェイクニュースは少なくない。2月、新型コロナウィルスは熱に弱いので熱いお茶を飲もう、という情報が拡散された。この程度の内容はすぐに否定されたが、SNSなどで情報の信ぴょう性について考えることなく拡散する人が少なくない。

「やれることは何でもやる」とは、「やっている感」で満足を覚え、安心感を生むのかもしれない。対策のための資源が限られているとき、効果的な配分にならない実態がでてくることもあるだろう。互いに矛盾することを「できるから」と同時にやってしまうこともあるだろう。

重要なのは、行動が他のリスクを増大させないか、優先順位を冷静に考えることが必要である。本当に守りたいものは何なのかをよく考え、手段と目的を混同させないで、目的に合う手段を選び、より本質的な対策が専門家と非専門家のコミュニケーションを通じて皆でできるようになりたい。


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