今日の引用 2021.3.30. 自慢する人
"という話をプリンストンで勉強している日本人の女子学生にしていたら、「あ、そういうの多いんですよ。珍しくありません。この前もひとり会いました」ということだった。ニューヨークから電車で帰ってくるときにたまたま日本人の男と隣になったら、それが派遣組の役人で、「僕は・・・省で・・・課長補佐(だかなんだか)をしていてね、共通一次は・・・点なんだよ」と延々とまくしたてたらしい。馬鹿馬鹿しいのでろくに相手しなかったら、腹を立てて憎々しげな捨て台詞を残して向こうに行ったという。「まったくあの人たち何を考えているんでしょうね」と彼女も呆れていたけれど、まったく本当に何を考えているのかしらん。せっかく日本を出て外国にいるんだから、少なくともその一年間ぐらいは日本的なレールからひとまず離れて、ひとりの裸の人間としてみんなと気楽に交わり合えばいいのに、と僕なんかは思うのだけれど、そういう人たちの自我だかアイデンティティーだか世界観だか呼吸器だか消化器だかの中には「共通一次」「・・・省」「・・・課長補佐」というファクターが分離不可能なまでに組み込まれていて、新しく何かを取り入れるにせよ、誰と接するにせよ、そういうややこしいフィルターをひとまず通過させないことには、致死的なアレルギー反応に襲われるのかもしれない。彼らにとってはこのようなヒエラルキーはあまりにも重要な価値を持ったものなので、そんなものとは無関係に生きている人間がこの世界にはけっこうたくさんいるのだという事実がうまく理解できなくて、どうもそのあたりのボタンのかけちがいから様々な悲喜劇がうまれるらしい。"
やがて哀しき外国語|村上春樹 p252-253
なかなか笑える話。そんなエリート官僚とは知り合う機会がないんだけど、自己紹介でひととおり自慢せずにはいられない人、というのはときどき見かける。「どうしても一目置かれたい」という心理なのか、「褒められたい」という願望が強すぎるのか、初対面の自己紹介からわけのわからん自慢を始める人と何人か会ったことがある。多くのまともな人にとって、そういう態度はむしろまったくの逆効果なんだけど、中には本気で感心する小物だったり、そういう彼らをヨイショして甘い汁を吸おうと企む輩がいるもんだから、のっけからの意味不明な自慢大会も、一定の効果を上げているのではないか。彼らはそれをすることによって、会話であったり立場であったり、まず相手との上下関係をはっきりさせたいのかもしれない。嫌な処世術だ。
UFOオタクがUFOの話からでないと会話が始められない、のとはまた違ってくる。彼らは別に共通一次の話題でもりあがったり、官公省庁あるあるトークを繰り広げたいわけではない。相手が同業者ではないことはわかって話しかけている。要するに、「俺はすごいんだぞ」「ちやほやしろよ」と言っているだけで、ちやほやされて悦に浸りたい、もしくは何か自分に便宜を取り計らってもらえる関係性を築きたいだけだ。自分の肩書きが通用する相手なのかどうか、初対面で確認している。コミュニケーションともいい難い。
この、腹を立てて捨て台詞を吐いて逃げるあたりなんて非常に良い。聞かれた自慢を答える人はまだおもしろみがあるけれど、聞かれてもいない自慢、文脈も何もない自慢を、それも自己紹介がてらに唐突にまくしたてるのは、小物感が際立って本当にかっこ悪いからやめたほうがいいと思います。経歴が優れていればいるほど、残念さが目立つ。そんなに勉強ができるのだったら、何かこう、もっと楽しい会話の始め方でも勉強すればいいのに。
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