今日の引用 2021.6.9. 本を読まない時代
"僕の若い頃は——というと話が急におじさんぽくなるけれど——全体的にかなり時間が余っていて、「しようがない、本でも読むか」という気分に比較的なりやすかった。当時はヴィデオもなかったし、レコードも相対的に高くてそれほどは買えなかったし、スポーツも昨今ほど隆盛ではなかった。時代の空気も理屈ぽくて、ある種の本を一定量読んでいないとまわりから馬鹿にされるという風潮もあった。しかし今では「何それ?そんなの読んでねえよ、知らねえなあ」ですんなりと通ってしまう。他にやることもいっぱいあるし、自己を表現することのできる場所や方法やメディアもいろんな種類のものが揃っている。結局のところ読書というものが突出した神話的メディアであった時代は急速に終息してしまったのである。それは今では並列した各種メディアの中のワン・オブ・ゼムにすぎないのである。"
村上朝日堂の逆襲|村上春樹/安西水丸 p145
この本は僕が3歳の頃に出た本で、当時から人々は本を読まなくなったと言われていたそうだ。今ではもう当たり前というか、むしろ当時と当たり前の基準が変わり、読んでいる人が多いと感じるようになった。僕がTwitterでフォローしている人なんかはみんな本ばかり読んでいるし、書評を書いたり自ら執筆している人だって少なくない。行動の多様化に伴って、観測範囲が狭まったこともある。
結局本を読む人が多い少ないではなく、単にビジネスとしての旨味が薄れただけなのだろう。それを消費動向の変化のせいにしている。時代の流れにうまく乗っかって、本で成功している人もいるはずだ。確かに、出せば売れるという時代は遠の昔に終わったかもしれない。そんな時代もあったのだろうか。僕が子供の頃のゲームソフトはそんな感じだったらしい。
僕は今暇な時間があるからときどき本を読んでいるけれど、忙しくなるとまっさきにやらなくなるのが読書かもしれない。読書は時間がかかるし、目も頭も使うから疲れる。これが映画だったりドラマだと、難しくても勝手に流れていって終わってくれる。「あれはどういうシーンだったんだろう?」と疑問が残ることはあっても、なかなか見返すことはない。それでも一応「見た」にカウントできる。
本もそういう読み方はできなくはないけれど、内容が頭に入らない状態で読みすすめるのはけっこう大変だ。だから結局頭が働かないときや疲れているときは、短くて簡単な本を読む。今僕が読んでいるこれ、「村上朝日堂の逆襲」なんてまさにそういう本です。一つのエピソードが2,3ページで、村上春樹のどうでもいい気づきみたいなことしか書いていない。中身は本当にあってないようなもんで、1時間も経てば忘れてしまうんだけど、ただ読むだけの本としては最適。
こういうのを読んでいると、まともな本を手に取るのが難儀になってくる。同じ村上春樹でも、小説は結構考えながら読んだりするから、短時間で手軽に読んで、また置いて、っていうことがなかなかできない。そういう本は確かに、よほど話題にでもならないと売れにくいだろうなと思う。
本の利点であった「コスパがいい」という部分も、現代では崩れている。コスパがいいとは、本一冊読むのに時間がかかるため、時間単位の価格を考えると安いという意味だけど、NetflixもYouTubeもPodcastもSpotifyも無料で遊べるアプリゲームもある現代において、コスパがいいとは言えなくなった。Kindle Unlimitedのような本のサブスクもなくはないが。
いずれにせよ、コスパで物を選んだって楽しくない。好きな物事に、時間とお金を費やしていればいいと思う。本が好きで、買って読むという人も一定数居る。それでいい。ビジネスとして成り立たなくなれば、単価を高くして中抜きを抑える(直販)しかないんかな。それだともうビジネスというより趣味に近いか。
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