見出し画像

【音楽×珈琲 鑑賞録】5月9日~ドミトリー・カバレフスキー 組曲『道化師』

音楽観を鍛える鑑賞録。 
5月9日のテーマは、【逸話】

とりあげる作品は、 
ドミトリー・カバレフスキー /
組曲『道化師』

です。

ドミトリー・ボリソヴィチ・カバレフスキー
ロシア語: , tr. Дмитрий Борисович Кабалевский
英語: Dmitri Borisovich Kabalevsky
1904年12月30日 - 1987年2月14日
ロシアの作曲家・ピアニスト・著述家

カバレフスキーは、子供向けに作曲された作品が有名で、
なかでも、組曲『道化師』(露: Комедианты)作品26は代表作のひとつです。
1939年に作曲した全10曲から成る管弦楽曲で、演奏時間は約16分。
この作品の2曲目、「ギャロップ(道化師のギャロップ)」は運動会のBGMとして日本でも有名です。

この組曲、もともとは児童劇『発明家と道化役者』(Изобретатель и комедиант)のために16曲の付随音楽を作曲、同年モスクワの中央児童劇場で初演され、翌年にこの中から10曲を選んで組曲としたわけです。

この「ギャロップ」という楽曲自体はもちろん聴いたことがありましたが、カバレフスキーという作曲家は今回初めて知りました。
この機会にカバレフスキーの略歴を見たところ、感慨深いものがあったのでそれについて記します。

カバレフスキーは、サンクトペテルブルク、数学者の家庭に生まれ、親御さんらも将来その道に進んでほしいと願っていました。
ところが、数学よりも音楽の才能が開花し、父親には反対されながらも、世界三大音楽院のモスクワ音楽院に進むことになります。
その後、第二次世界大戦中に、多くの愛国的な歌曲を作り、ソ連共産党に入党。
教育者となり、数々の名誉ある賞を受賞します。
音楽芸術教育の委員長、ソ連邦教育科学アカデミーの芸術教育部門科学委員会の会長など、音楽教育界の権威ある実力者になりました。
1987年82歳で亡くなるまで、まさにソビエト連邦における音楽界の中心人物であったわけです。

カバレフスキーのこのほぼ曇りのない略歴をみて、まさしく正道を歩んだ人生だったのではないかという感慨に耽ったのです。
社会主義リアリズムの擁護者という立ち位置からしても、非常に真面目な人だったのだろうと想像します。
自国の発展、子どもたちの将来を願い、与えられた使命を十二分に発揮し尽力した偉人で、素晴らしい功績を残しています。

しかしながら。
この、しかしながら、と続けたくなる心境はなぜかと自分に問いたいわけです。
守旧派、保守的の姿勢が気に食わないのでしょうか。
自国のために、大切なアイデンティティを保守する。
こうした体制を与することも意志のある姿勢です。
何も乏める点はありません。
なのにカバレフスキーの隙のない略歴をみて葛藤する自分がいました。

この違和感はきっと、
自分に蔓延る、「本音」と「建前」が存在しているせいだ、ということがひとつにあると思います。
打破したい現状の苦しみがあるにもかかわらず、現状維持をし続ける人生を歩んでいる。
それに対してカバレフスキーは徹頭徹尾、体制に守られているように見えるなか、自分の意思で歴史を刻んでいます。

単純に、わたしは「ルサンチマン」を抱いていたわけです。

その考えを経て、いまある面持ちとしては、
「有無相生」
「人と比べず、いまの自分をあるがままにみよう」としています。
わたしの人生は、カバレフスキーのようにはいきません。
その他者の人生と比較して、羨んだり、乏めたり、誤魔化したりしても、
他者の「ものさし」で計ろうとしている限り、
「道化師」でしかありません。
わたしはわたしの「ものさし」で、この社会と関係をもちながら、在りたい自分に成るべく励むしかないのです。
自分自身に「本音」と「建前」を用意しても無意味だからこそ、嘘なく生きることができるはずです。

今回、カバレフスキーの音楽から人生を垣間見ることで、
自分自身に立ち返るという不思議な帰結を迎えました。
こうした回り道みたいな学びもいいものですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?