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【音楽×珈琲 鑑賞録】9月19日~クロード・ドビュッシー 忘れられた映像

音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【104日】
9月19日のテーマは、【逸話】

とりあげる作品は、
クロード・ドビュッシー /
忘れられた映像

です。

クロード・アシル・ドビュッシー
Claude Achille Debussy
1862年8月22日 - 1918年3月25日
フランスの作曲家

今回とりあげるドビュッシーの「忘れられた映像」(Images oubliées)は、1894年に作曲され、生前には出版されず、1977年に出版された際に名付けられた作品です。

「映像」(Images)と呼ばれる作品は他に3集あり、第1集と第2集はピアノ曲、第3集は管弦楽曲で、第3集は「管弦楽のための映像」と呼ばれています。
時系列でいうと、
まずはこの「忘れられた映像」が1894年、
「映像 第1集」(Images Ⅰ)が1904年から1905年、
「映像 第2集」(Image Ⅱ)が1907年、
「管弦楽のための映像」(Images pour Orchestra)が1905年から1911年にかけて作曲されたものです。

そう考えると、「忘れられた映像」は、それぞれの作品のためのスケッチみたいなものだったのかもしれません。
1903年にデュラン社と出版契約を交わしたことを契機に、アイデアを具体化、より整備して、第1集第2集と制作していきました。
忘れられた映像に収録された3曲のうち、2曲目の「ルーヴルの思い出」(Souvenir du Louvre)は、『ピアノのために』(Pour le Piano)の第2曲「サラバンド」に転用され、
3曲目の「嫌な天気だから「もう森へは行かない」の諸相」(Quelques aspects de “Nous n'irons plus au bois” parce qu'il fait un temps insupportable)は、「版画」(Estampes)第3曲「雨の庭」(Jardins sous la pluie)に改作されてさらに美しく仕上がったように聞こえます。
ドビュッシーの世界観に沿う音楽が、ときを経て表出したというもので、イメージがより明瞭度を増したという気がします。

ただ、第1曲目「レント」(Lent)はそのままで、特に転用されることもなく、まさに忘れられたように1977年まで埋もれていたわけです。
その物語を経て、現れる旋律の美しさは筆舌し難いものがあります。
速度記号的な意味では「遅く」や「ゆるやかに」ですが、「憂鬱で やわらかく」という気持ちやニュアンスも含まれ、まさにこの作品のイメージと出自にふさわしいタイトルです。
ドビュッシーの人生、その物語からもある意味、伏線回収みたいなイメージもある作品で感動的です。

翻してみれば、
「なにが価値になるかわからないからとにかく残せるものは残しておこう」ということかもしれません。
より良いものづくりの過程のなかで、大切にしたい部分です。

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