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【音楽×珈琲 鑑賞録】12月25日~アストル・ピアソラ アディオス・ノニーノ

音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【7日】
12月25日のテーマは、【ジャンル】

とりあげる作品は、
アストル・ピアソラ /
アディオス・ノニーノ

です。

アストル・ピアソラ
Astor Piazzolla
1921年3月11日 - 1992年7月4日
アルゼンチン出身の作曲家、バンドネオン奏者

「アディオス・ノニーノ』(Adiós Nonino)は、1959年に作曲されたピアソラの初期作品のひとつです。
ピアソラは1958年にブエノスアイレスを出てニューヨークに移住しますが、当初着いた先ではほとんど稼ぐことはできなかったそうです。
食べるためにナイトクラブでタンゴダンスショーの伴奏をしていた1959年10月に父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けます。
ところがピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなく、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」だといいます。

翌年の1960年にブエノスアイレスに戻ると、バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバス、エレキギターからなる五重奏団を結成。この編成を標準にして演奏を展開していくにつれ、ピアソラの知名度と人気は高まっていきました。

バンドネオン奏者であるピアソラの音楽はタンゴを基調としながらもセンチメンタルでメロディアス、そしてオーケストラチックです。
元来のタンゴは踊りのための伴奏音楽で、リズム楽器に重心をおいていた向きがあったなか、ピアソラはクラシックとニューヨーク・ジャズの要素を取り入れ、独自の音楽性に昇華しました。

活動初期はアルゼンチンの国民的音楽であるタンゴの亜流として見向きされてしまい否定的な意見が多かったようですが、「アディオス・ノニーノ」のような物語性もある名曲が生み出されていき、時代が下るにつれバンドネオンの代表的音楽家として世界的な認知を得るようになっています。

学びおくポイントは、ピアソラの横断的なジャンル間の融合と、批判に屈しない姿勢です。
自分が経てきた人生をナラティブにアウトプットしていったことが後続への遺産と希望になり、現在でも夢を追う人々に継がれています。
自分自身が心から素晴らしいと思い、諦めずに築き上げていく姿勢と覚悟。
ピアソラの音楽からはその情熱が迸っているように聴こえてきました。

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