【音楽×珈琲 鑑賞録】12月2日~アーロン・コープランド 管弦楽曲『エル・サロン・メヒコ』
音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【30日】
12月2日のテーマは、【音楽史】
とりあげる作品は、
アーロン・コープランド /
管弦楽曲『エル・サロン・メヒコ』
です。
アーロン・コープランド
Aaron Copland
1900年11月14日 - 1990年12月2日
20世紀アメリカを代表する作曲家
『エル・サロン・メヒコ』(El Salón México)は、単一楽章の管弦楽曲で演奏時間約10分の作品です。
メキシコ・シティにある同名のダンスホールの描写で、副題には「メキシコ・シティで人気のダンスホール」(A Popular Type Dance Hall in Mexico City)と掲載するくらい引用元がはっきりしています。
1932年に着手し、1936年になって完成。
世界初演は1937年、カルロス・チャベスの指揮により、メキシコ交響楽団が行なっています。アメリカ初演は1938年。
コープランドは、21歳のときにパリに留学。
留学中にはジャズの要素を取り入れた曲を多く書いていたそうです。
1924年に帰国すると、「アメリカ的」音楽を模索、アメリカ民謡を取材・研究し、これを取り入れた作風が『エル・サロン・メヒコ』で、コープランドの出世作になりました。
その後、『ビリー・ザ・キッド』(1938年)、『ロデオ』(1942年)、『アパラチアの春』(1944年)などのバレエ音楽で、コープランドのスタイルが確立され、アメリカの象徴的な音楽を次々と手がけました。
話は脱線してしまいますが、
個人的にはコープランドというと2000年代前半に活躍していたフロリダのエモ系バンド"Copeland"の方を思い出してしまいます。
いつの間にか解散し、再結成していて、2019年にはアルバムを出していたので、聴いてみたら相変わらず感動的な良い音楽を手がけていました。
今回とりあげられているアーロン・コープランドの方は晩年、純音楽的作品に戻り、十二音技法を用いるなど渋い玄人好みな音楽を手がけています。
この音楽スタイルの変遷は、そのままアメリカの音楽文化の形成過程を象徴しているとも指摘されているそうですが、いずれにしても、音楽に魅せられ、生涯をかけて手がける旅を選択し、変遷しながらも模索する。
その表現をやめない姿勢を過去の偉人からも現代の音楽家からも学ぶことができた機会に感謝したいと思います。
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