【音楽×珈琲 鑑賞録】12月12日~チャールズ・アイヴズ 『交響曲』第3番「キャンプ・ミーティング」
音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【20日】
12月12日のテーマは、【逸話】
とりあげる作品は、
チャールズ・アイヴズ /
『交響曲』第3番「キャンプ・ミーティング」
です。
チャールズ・アイヴズ
Charles Edward Ives
1874年10月20日 - 1954年5月19日
アメリカ合衆国の作曲家
交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」(Symphony No. 3, S. 3 (K. 1A3), The Camp Meeting)は、1901年から1904年にかけて作曲された小編成オーケストラのための交響曲です。
作曲から40年以上の時を経て初演された作品で、70歳にして知名度を得るきっかけになっています。
アイヴズは保険会社のファウンダーであり、副社長を務めるかたわら、趣味として作曲を続け、結婚するまでは教会オルガニストも務めています。
この作品の原典も、教会用のオルガン作品による讃美歌の引用が多く、オーケストレーションも実際には演奏できないものだったようで、のちに行ったスコアリングでは出版者によって解釈が違うものになったようです。
作風は讃美歌、愛国歌、民謡などをベースにしていながらも、時代が進むにつれ、どんどん前衛的になり、無調、ポリリズム、多調、微分音を実験的に導入。
前衛的音楽で有名なシェーンベルクやストラヴィンスキーなどよりも前に取り組んでおり、米国初の前衛音楽の作曲家とも呼ばれているそうです。
この早すぎる前衛的な音楽だったために世間の評価がついてこなかったというきらいもあるでしょうが、この音楽性を追求したからこそ有名になったとも考えられます。
そんな趣味の延長線上で作曲していたなか、チャンスに巡り会えた時がありました。
1909年から1911年にかけて当時ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者を務めていたグスタフ・マーラーがこの曲に注目し、ヨーロッパで演奏するつもりで楽譜を持ち帰ったといいます。
ところが1911年にマーラーがこの世を去ったためにヨーロッパ初演は幻に。
それから35年の時を経ることになりながらも、1946年4月5日に、ルー・ハリソン指揮による、ニューヨーク・シンフォニエッタによって初演され、翌年にピューリッツァー賞を受賞し、ここで作曲家としてのアイヴズがアメリカに知れ渡ったわけです。
音楽的には破綻の多い記譜をしながらも、むしろそれを好んで描いていた節もあるアイヴズは、ある意味生活するにはなんの問題もないセーフティネットがあったからこそ独創的で前衛的な作品を手がけられたのだと思います。
あとは、識者の支持と世間の受容が訪れるのを待っていたスタンスですが、70歳にして評価されたというのはいささか耐え忍ぶに長い年月だったろうと想像します。
ただ、それだけ長く待ち焦がれていた末に得た名声は格別のものがあったとも思います。
自らが信じる音楽性を邁進するために、精神を脅かされないためのネットを張っておくことは音楽家のひとつのスタイルとして考えておきたいものです。
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