2023年を振り返ると無意味にくすぶっている

2023年11月19日。
あっという間に今年が終わる。
今年は何もしなかったなあ、と思う。
小さいチャレンジは色々やった。新しいお稽古事を増やしたり、発表会に出たり、その結果交友関係が広がったり。今までやろうと思いやっていなかったオンライン英会話を始めてみたり。地味な仕事ながら真面目にやっていたら上司の信頼を得るよになったのを実感したりとか(昇給には繋がっていないが)。
祖父が8月に他界し、20年ぶりに従兄弟が一堂に会したり、10年以上片思いしていた人に告白してぬるっと断られたり(まだ諦めていない)。
毎年恒例の家族旅行も行った。ずっと一緒だと信じていた姉が来年から関西で一人暮らしをすると告げて、ソフト毒親の母が大暴れして鬱状態になるも、また落ち着いたり。
こうして振り返ると色々あったが、よく晴れた日曜の午前11時、窓から見えるいつもと変わらない団地の緑、穏やかな光に揺れる洗濯物を見ると、ああ平和だな、と素直に感じる。

今年は当社比で平和な年だった。
それは大きな決断に迫られることがなかったからだ。
私は去年までは、毎年何か大きな悩み事を持っていた。
この人と結婚しようか、仕事を変えようか、仕事を辞めて進学しようか。など。毎年今年中に決めなくては、と自分を追い込んでいた。
私は決断が苦手だ。軸がないのだろう。そしてあれこれ不安になってリスクが取れない。こんな自分は本当に嫌いだ。決断して次のステージに進んでいる友人たちが羨ましく、自分はなんて劣っている存在なんだろう、とコンプレックスを抱えている(今も)。

しかし今年は何も決めなかった。恋人探しもせず、転職活動もせず、流れに身を任せて日々を生きた。その結果とても心穏やかに過ごせた。
これでいいのか、と思うこともある。
友人が素敵な家を買って、妊娠して、自分の定義した幸せを手にしているのを見ると、やはりコンプレックスが諸悪の根源だから、それを根絶やしにしなくてはならない、と熱くなる。でもその羨ましさは、隣の芝生が青く見えているだけ、ないものねだりなだけなのだろうかとも思う。
もう若くもない、恋愛や結婚、出産はどんどん難しくなるんだろう。今動かないといけないのでは、と思い、婚活サイトを覗くこともある(リアル)。

でも私は今、うまくやっているのではないのか。
今年は変化はなかった。では今年はだめな年だったんだろうか。
心穏やかに過ごせたじゃないか。1日1日、健康に、平和に生きたではないか。お友達にもよくしてもらったではないか。
来年はどうしたら良いのだろうか。
心乱れても将来のために動くべきなのだろうか。
それとも現状維持という名の緩やかな劣化を甘受するべきなのだろうか。
どちらかが間違っているのだろうか。
どちらでも同じ価値があるのだろうか。

わからない。


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