観能日記#1 歌占

観能日記をつけてみる。思ったことをつれつれと書く。素人の単なる感想である。能の解説記事ではないので、役に立つ情報はないと思います。

時:2024年9月23日
場所:セルリアン能楽堂

歌占について

作者:観世元雅
伊勢神宮出身の男巫が出てきて、若いのに総白髪で明らかに異様な雰囲気を放っている。人々の悩み事について、歌占でアドバイスをあげると大変当たるので喜ばれている。実は出身地は伊勢の二見浦で、8年前に故郷を出て諸国一見の旅に出ていた途中で突然死して、三日後に蘇生。その間地獄に落ちてしまい、それがあまりに恐ろしかったので白髪になったとのこと。そこに控えていた父親探しの旅に出ていた子供も歌占をやってみると、実はその男巫こそが父であることがわかり、感動の再会。よかったよかったと思っていたらその場にいた男が「ついでに臨死体験を舞ってみてください」と依頼。唐突やねんと思うところだが、この時代の神職は、ご新規さん獲得のために全国遊行をしており、庶民にもわかりやすく説明するために絵巻を見せたり舞や歌を披露していたということだから、時代的には自然な流れなのだろう。
そこで男巫は多種多様の地獄の有様を舞う。観世流の三難クセ(歌占、花筐、白鬚)の一つなのだから、正直何言っているかわからない。それでも面白く聞かせるためには、地謡が相当上手くないと辛い。特に最初は居クセなので。
地獄の有様を語り舞ううちに、男巫はどんどん神がかり状態になり、キリは狂乱状態で激しく舞い謡う。そしてふっと神がかりが解けると、さささっと子供を連れて伊勢二見浦に帰る、というところで終わる。

本日の歌占を観て思ったこと

実は能で歌占を見るのは初めて。舞囃子や仕舞はよく見るし、仕舞は謡ったこともあり、面白い曲だと思っていた。
だが結局何が言いたい曲なのか、ストーリーだけ見てもあまり分かっていなかった。地獄の有様?それと親子の再会?どう関係する?
それが一曲能として通してみると、意外と違和感なく話が成り立つのが面白かった。
私は地獄の苦しさ、恐ろしさを描けば描くほど、故郷に親子睦まじく帰る場面が心に沁みた。死後の世界は恐ろしい、だからこそ生きているのだから、せっかく会えたのだから、故郷に帰って幸せに暮らそう、生きていればこそ・・。という、死を描くことで生のありがたさをしみじみと感じることのできる話なのではないか、と思えた。

シテについて

本日のシテは、前半部分特に人間らしさを感じることができた。
親子再会の場面はとても感動している様子だった。異様な風体だが、感情は確かに少し麻痺しているのかもしれないが、それも臨死体験があまりにショックだったから、と人間なら当然の反応として感じることができた。
このシテはいつも腰のキレが抜群で、難しい動きも澱みなくノイズなく舞いきっていた。それがあまりにすごいものだから、これは神がかりだな、と思うほど(実際はシテの身体能力が高いため・・・)。
もっと地獄の有様をおどろおどろしく、派手派手に表現する人もいるのかもしれない。このシテは型の綺麗さ、美しさが抜群だが、派手とはまたちょっと違うのかもしれない。あっさりとした美しさ、これは狙ったもなのか、そうではないのか、まだわからない。いろんな演じ方があるのだ。

特に心に残ったこと

「昨日も徒らに過ぎ。今日も空しく暮れなんとす」
「消ゆるものは二度と見えず。去るものは重ねて来らず」
真理です。
二句目のほうは、シテのお祖父様が直筆で書いて後援会の方に日めくりカレンダーにして配っていた。やはり心に響く真理なのだ。


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