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地域の和太鼓についてのあれこれ

東日本大震災での支援がきっかけ始めた和太鼓。
太鼓そのものの鳴らし方(打ち方)、曲想、身体表現性、突っ込めば突っ込むほどシンプルかつ奥が深く、始めた頃はこんなにのめり込んで続けていくとは思いもしませんでした。

僕が所属させてもらっている雄勝町伊達の黒船太鼓保存会は、いわゆる創作和太鼓で32年前に町政50周年記念として行政主導で作られた和太鼓。(平成の大合併で任意団体になる)
舞太鼓あすか組というプロ団体の代表の飛鳥大五郎氏に視察に来てもらい、祭りの神輿、獅子舞囃子、神楽の囃子などや町の歴史を調べて曲を書いてもらい提供されたと聞いています。稽古も初期のメンバーはつけてもらっていたとのことで、打ち方の基本はあすか組ととても似ているのだと思います。

そこから少しずつ変化して今の形になり、またそこからどうしていくか、というのが現在の立ち位置というのは理解しているつもりです。

ただ音符を追えば良いという訳でも、大きい音を出せば良いという訳でも、寸分違わず動きを合わせれば良いという訳でも無い、でも「ああ、良いな」と思わせるような空間と空気の流れ(一言で言うとグルーヴに近いですが、あえて日本語で)があり、それは僕が民族音楽やフリージャズが好きな感じのものに近い感覚だったり、太鼓そのものの音のダイナミクスが音響っぽくて好きだったりします。

曲が良いとか、上手だから、とか、それだけではない何かを感じていて、創作だけではなく、民俗芸能の獅子舞の保存会にも入り日々勉強と研究と練習しています。

ただの創作和太鼓というだけではなくて、民俗芸能の側面での合わせ方や考え方、色々混じっているのがとても好きなので今日まで続けています。

と、言っても基本は見て、聞いて、真似して、質問して、見てもらって、また真似して、見て、聞いて・・・の繰り返しをする、というを重ねていくことには変わり無いのですが、そこに加えてルーディメンツなど音楽的なリズムの基礎練習なども加えて練習。またそれを支える身体を作るのにも剛柔両方の運動。

そこに付け加えて地域や楽器そのもののコミュニティー性(同好会的な雰囲気)のバランスも入ってくると中々絶妙なバランス感覚も必要で各々の考えの自由性をどこまで共有、許容し合えるのか、それと方向性のバランスが影響していくか、なんだと思います。

どれか欠けても、どれかに極端に偏っても崩れていく感じでもあって、日々それを含めてどうやって残して、引き継いでもらうのかを考えるているこの十数年。

これまでは音のことと面白い表現の事しか考えてこなかった自分が団体でのあり方というか、人?や文化についても考えを巡らせるようになったきっかけは、その地域の和太鼓の影響が大きいです。

とりあえず自他ともに認める技術は、その和太鼓の会長の話し方の真似はとても上手になりました。

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Yukihiko Yotukura(yukki)
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