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アンゴラ

(50番)  2014年   7月
アンゴラへ行ってきました。
今回は男性1名、女性10名の計11名の参加者でした。

ビザが必要な国なので、大使館まで申請に行くことに。
職員の方達はとても親切でした。
旅行会社に頼むと手数料を取られるから、なるべく費用を押さえたいのです。
良心的な旅行会社は個人で取得することを許可してくれますが、大手の旅行会社となると自分で取得すると言っても融通をきかせてもらえません。
理由はあるとは思いますが、手数料収入を得たいからと言われても仕方がないのでは?

申請をする人は他にも5,6人いましたが、皆、商用目的のようでした。

今回のルート

1日目 7月9日
✈ 21:20 発 成田 エミレーツ航空 (777-300)

2日目 7月10日
  03:10 着 ドバイ

✈ 10:05 発 ドバイ エミレーツ航空 (777-300)
  15:00 着 ルアンダ(アンゴラの首都)
          「2月4日国際空港」という。ポルトガルに対して                                           独立宣言をした日を記念して名づけられた。
ホテルへ

国の説明
アンゴラは1975年にポルトガルから独立をした。
その後、3つの民族主義組織が内戦を始めて2002年まで続いた影響で多くの地雷が埋められている。
その数は一千万個以上と言われていて、この国の発展を阻害している。
主産業はダイヤモンドと石油で、アフリカ第二の産油国となっている。
コンゴ民主共和国を挟んで飛び地があり、そこで石油が採れる。
伝統音楽の「センバ」はブラジルに奴隷として渡った人達によって伝えられ、「サンバ」のルーツになったと言われている。
世界一物価が高い国としても知られている。

3日目 7月11日
2台のランドクルーザーに分乗して、約380km先のカランドゥーラへ向かう。ガイドさんはイギリス人でもう一人のドライバーさんは現地の人。
道路の両側に生えているのはバオバブの木。
これがマダガスカルへ行くと大木になって樹齢1000年を超える物もある。

バオバブの木

ルカラ川に架かる橋を通過
この橋は内戦時に政府側が反政府軍のルアンダ侵攻を防ぐために一度は破壊された。
橋の袂では人々が洗濯をしていて、洗いあがった物を草の上で乾かしていた。

カテテを通過
初代大統領アゴスティニョ・ネトの出身地

ンダラタンドのジンガ女王の像
彼女が統治していた時期はアフリカの奴隷貿易が急速に成長していた時期で、37年間の統治の間に独立と王国の地位の為に戦い続けた。
彼女が亡くなるとすぐにポルトガルの植民地になったので、いかに優秀であったかを示している。
他方では子供の肉を食べたり、人の血を飲んだりした悪行も記録に残されている。

ジンガ女王

植物園
ガジュマル(気根と言われる茎や地上根から上に向かって空気中に生える根が見事で、枝に架かると下に向かって育っていき、土に当たると地中に入っていく。どれも巨木で木の髭のようだ)

ポサンローゼ(ショウガ科)、竹林などで、他は特に珍しい物はなし。
吸血するツェツェバエを捕獲するネットがかけてあった。このハエが媒介するアフリカ・トリパノソーマ症に対する予防接種はないので気をつけなければならない。

線路で写真ストップ
ルアンダを起点に3路線が運航している。
内戦前にコーヒー栽培が盛んだったころは、コーヒー豆を運ぶ専用の列車も走っていた。

後記:因みに「ルアンダ」と「ルワンダ」を混同する人がいるが、「ルアンダ」はアンゴラの首都で「ルワンダ」は国名。興味のある方は30番の
「東南アフリカ7か国」をご参照ください。

昼食:ムアンバ(野菜と肉のパームオイル煮込み)、フンジ(キャッサバ粉をお湯で溶いて餅のようにしたもので南に行くとトウモロコシ粉が使われる)。両方ともアンゴラ料理。

15:40頃、ホテル到着

カランドゥーラの滝
アフリカでビクトリアの滝に次ぐ第二の大きさを誇る。
高さ105m、長さ519m。
正直、水量が少ない時期だったようで、ちょっと迫力に欠けたかな。
でも、ここはアンゴラでは外せない観光場所なので、水量が多い時期に行けばきっと素晴らしい光景が見られるだろう。

カランドゥーラの滝

ホテルへ
コンテナそのままが家になっていてズラリと置いてあり、中は2段ベッドが2つあって狭く、これではまだ寝台列車の方がまし。
兎に角、酷い宿泊施設だった。
ロビーでは日系ブラジル人の方が、お仲間と商用で来られてお話をされていた。

夕食:ビュッフェ

4日目 7月12日
カプタまで約220km移動。

ペドラス・ネグラス
巨大な岩山が連なる奇岩、怪石のある景勝地で「黒い岩」と言う意味。
一つの岩の高さは70m~200mほど。
形としてはカエル、ラクダ、猿、ローマ兵など。
1854年にスコットランドの探検家であるリビングストンは、ルアンダを出発し、この地を通りアフリカ大陸横断した。途中、ヨーロッパ人として初めてビクトリア・フォールズを発見した。ビクトリア・フォールズにはリビングストンの銅像が立っている。
また、彼はアフリカの奴隷解放に向けて尽力をした。

ペドラス・ネグラス

クアンザ川(約1000m)沿いのレストランにて昼食
ルアンダはこの川の河口にある。

16:40頃、峠を越えてホテル到着
ホテルはコーヒー農場が経営しており、部屋はバンガロータイプ。

夕食:ビュッフェ

5日目 7月13日
レストランで朝食を摂っていると怪しい撮影隊が我々に向かってビデオカメラを回していた。
一言の断りもなく、いきなり、撮りだしたので、失礼な人達だなあと思っていたら、添乗員さんのインタビューが始まった。
アンゴラの国営放送の人達だった。日本人が来ていて珍しいので是非撮影をさせてもらいたいとの事だった。
出発間際になって、グループの中の一人にインタビューをしたいとの事で、車に乗り込んでいたところを添乗員さんに呼ばれた。

質問は下記の通り。
1 どうしてアンゴラに来たのか。
2 どのようにしてアンゴラの旅行を知ったのか
3 これまでの滞在中にどこへ行ったか
4 アンゴラの印象
5 アンゴラで何をしたいか
6 名前と経歴

とても良い経験をさせてもらった。

後記:グループの中の人にその時の写真を後で送ってもらったので、こちらに表示させたかったのです。
ところが、S社のUSBメモリーがウインドウズ8.1までしか対応しておらず、今度の新しいウインドウズ11では開くことができません。
この事実を知った今、大変ショックです。
もっと古い他のUSBメモリーでは問題なく開くのに。
専門の業者さんに聞いてみると「トライはできるが、上手くいくとは限らない。うまくいった場合は数万円かかる」と言われ諦めました。

この後、キッサマへ向けて出発

カルロの町、キバレの町を抜けたあたりでドライバーさんが「これから、山道に入り物凄く曲がりくねった道になるから注意をするように」と言った。
本当にデコボコ道だし、曲がりくねっていて到着した途端にドラーバーさんは弱音を吐いた。「もう、こんな仕事絶対に嫌だ!」と。
我々は2号車で責任者は1号車に乗っていた。
確かに一瞬の気の緩みで事故に繋がることにもなりかねないので、体力と精神力の両方を消耗してしまうのは察しがつく。
無事に滝まで運んでくれて有難う。

カシュエイラスの滝
やっと到着したと思ったら、我々の食事の用意ができていなくて、それから約1時間後に食事チーム4名が到着。ガイドさんは彼らを我々の前に立たせて見せしめのようにこっ酷く叱り始めた。
やっとガミガミが終わり、昼食にありつけたが、炭水化物と甘い飲み物ばかりでガッカリ。
それにしても彼らが到着した時点で先に食事をさせてくれてもよかったのではないかな。そして、怒るのは我々の前ではなく、少し離れた場所でね。

おっと、滝は高さが約30m、幅約60mで小さめ。

カシュエイラスの滝

帰路はアロエやトウダイグサが生えた景色の中を只管走った。

ポルト・アンボイムでティータイム

19:30頃、ロッジへ到着(クワンザ川の畔に建つ)
カーテンを閉めるとつっぱり棒ごと落ちてきたり、シャワーがとてつもなく大きな音を立てたりするのは困った。

夕食:ビュッフェ

サッカー ワールドカップはドイツが優勝した。
レストランのTVを皆で鑑賞。

コースター

後記:当時のメルケル首相がアップになっていて、その喜びようは今でも目に焼き付いている。

6日目 7月14日
クワンザ川で約2時間のボートクルーズへ
フィッシュ・イーグル(サンショクウミワシ)、パームナッツ・ヴァルチャー(体は白いが羽の先は黒い鳥)、ブルー・モンキー(オナガザルの間)、ナイルワニの子供など。

昼食:ロッジにてビュッフェ

午後はキッサマ国立公園のサファリ・ドライブ
ここは内戦時に密漁で動物が絶滅しそうになったことがあって、近隣の国からの動物移住計画により絶滅は免れた。最近は種類も数も少しずつ増えてきている。面積は12,000㎢(東京都の6倍の広さ)
柵で動物が保護されているのは一部分のみで1957年に国立公園に指定された。

ケープキリンの親子、アフリカ象、ヌー、ブッシュバック(見た目は鹿だが、ウシ科)、クドゥー(大型のレイヨウでメスとオスがいた)、グレイダイカー(小型のレイヨウ)、
Gray-cheeked Mangabey(頬のあたりがふさふさのグレー色の毛が生えているサル=ホオジロマンガベイ)など。

🦒特にケープキリンの親子は全部で10数頭はいて、我々を見ると少しずつ逃げて行ったが、最後までじっと我々をにらんでいたのはオスだった。
その姿は凛々しくて超カッコよかった。メスは毛が薄茶色に対して、オスはこげ茶色でそれが余計にスマートだった。

ケープキリン

アフリカ象も3頭ほどいて、こちらは我々を見ても悠々と目の前を通り過ぎて行った。

アフリカ象

🐘アフリカ象と言えば、1991年にケニアとタンザニアへサファリに行った際、怖い思いをしたことがあるので、ちょっと身構えたが・・・
その時は四駆4台のサファリ中で象の親子連れ15頭ほどを見つけたので、
近づいて行った。自分は1号車で前の席に座っていた。
どうも近づきすぎたようだ。
車の前、数メートルの場所で1頭のオスがまるで「通せんぼ」でもするかのようにデンとこちらの方を向いて身構えたのだ。
そうすると「パオ~」と叫んでこちらにゆっくりと近づいてきた。
まずいと思ったドライバーはバックを始めたが、象は追っかけてくる。
後ろを見ると後ろの車3台は既に逃げていた。ビュ~ン😅
足で踏んだら車などペシャンコになるほどの力持ちなのであの時は焦った・・・

「象を怒らせると怖いゾウ・・・」あれ、まさかの親父ギャグ?
ヒューと北風が吹いたような・・・

ロッジへ戻る
夕食:ビュッフェ

7日目 7月15日
ルアンダへ戻る。

ミラドゥーロ・ダ・ルーア
「月が見える場所」と言う意味で切り立った崖と地層が織りなすコントラストの景観が素晴らしい。

ミラドゥーロ・ダ・ルーア

アンゴラ国立奴隷博物館
奴隷貿易の仲介地となった西アフリカ海岸の中でもルアンダとベンゲラはその中心的存在だった。
ポルトガルは1836年に奴隷の売買が禁止されてからも1888年まで奴隷貿易を続けた。アフリカで買われた奴隷は新大陸で5倍以上の値段で売られたとか。
ここからは主にブラジル(同じポルトガル語圏だから)へ連れて行かれた。
残念ながら、内部は改装中で外観のみの見学となった。

後記:内部の様子を「shiomin」さんがビデオで公開されています。

スーパーマーケット
ギャ~、レタスが1個1,000円、トマトが1個700円、冷凍の魚が1,700円、紅茶が1,000円。噂にたがわず、モーレツに高い!
日本酒の小瓶も置いてあった。需要があるんだな。
庶民はいったいどういう生活をしているのだろうか???

聖ミカエル要塞
植民地時代に築かれた砦で現在は軍事博物館となっている。
アズレージョ(ポルトガルの絵タイル)にアンゴラの歴史が描かれていた。
使用人の上に腰を掛けるジンガ女王のアズレージョもあった。
外には戦車、大砲やヘリの残骸なども展示されていた。

昼食は要塞でお弁当

高級コンドミニアム街をドライブ
家賃は2LDKで100万円以上が普通で、購入する際も1億円を超すものがほとんどだとか。

空港へ
税関では一人一人が順番に呼ばれて部屋に通された。女性の係官は手荷物検査をするようで、バッグを開けさせる。
まさかとは思ったが次は財布を開けさせて「お金をくれ」と言う。
言葉が分からないふりをしたら、顔が歪んで怒ったようだが、何も盗られずに済んだ。ああ、アンゴラもこういう体制なんだと1部のアフリカ諸国と同じような経験をしている身には残念な出来事だった。

✈ 18:00 発 ルアンダ エミレーツ航空 (777-300)

8日目 7月16日
  05:10 着 ドバイ

休憩するためにホテルへ
部屋に入っていくと「うん?」荷物が目に入ってきた。と同時に「何ですか」と言う声が。
「失礼しました」とすぐに部屋を出て行ったが、こんな経験初めてだった。
すぐに他の部屋を用意しては貰ったが、このホテル、セキュリティは大丈夫なのだろうか。
今回はホテルには本当に恵まれなかった。ブツブツ・・・

終日自由行動で自分は郊外のアウトレットモールへ行ってきた。
ホテルから無料のシャトルバスがある。
各ホテルに立ち寄って客をピックアップしていくので、到着までに1時間ほどもかかった。
残念なことにどの店も品物が古くて購入する気にもなれず・・・

9日目 7月17日
✈ 02:50 発 ドバイ エミレーツ航空(777-300)
  17:35 着 成田

今回はアンゴラ=ダイヤモンドという勝手なイメージしか持っていなくて実際に行ってみるとダイヤモンドなどお目にかかることは一切ありませんでした。別にダイヤモンドが好きなわけではないので念のため。

この国もまた奴隷貿易の悲しい歴史があり、考えさせられました。
国営放送のインタビューを受けた事は一生の思い出になります。

写真は旅行会社さんのパンフレットから引用させて頂きました。
お礼申し上げます。

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