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バラナシ、コルカタとオリッサ(インド)

(82番)  2019年   8月
 
9回目のインドへ行ってきました。
先月インドを出国する際、イミグレにて「又来てね」と言われて気分良かったから・・・
ではなく、単純にビザが半年間有効だからです。
 
1987年に初めてインドへ行って以来23年間も行く気がしなくて、今になってはまっております。その理由は歴史、文化、民族、自然等には驚くことが多く、それに加え、最近の発展ぶりには目を見張るものがあるからです。同じ事は中国にも当てはまります。
 
2回目までの長い間のブランクの原因は「あまりの無法地帯と汚さにカルチャーショックを受けてしまったから」に他なりません。
例えば、1987年当時、デリー市内でもあっちを見てもこっちを見ても男性が「立ち〇〇〇」をしていました。
現在は昔と比べると数段に綺麗になっており、モディ首相の力量が窺えます。
例えば、空港で「唾を吐くな!」というシールがあちこちに貼ってあったり、空港職員が着用しているベストには「チップを払わないで!」と印刷してあったりします。
ガイドさんによると水洗トイレを設置する家庭には政府から補助が出るとか。
 
安倍首相とも友好な関係を築いており、つい最近もインドと協力して月の探査を行うとの発表があったのでご存知の方も多いと思います。
これに関しては両国とも目的は違うのですが、それぞれの得意分野で実力を発揮するらしいです。
 
先月滞在していた間に2回目の月ロケットの発射が今か今かと報道されていたけど、結局のところ、何かの不具合が見つかり延期された様子。
7月15日の予定だったのが、一週間遅れて22日に発射されましたが、失敗に終わりました。
成功していれば、一か月かけて月を目指し、南極辺りに着陸すると月まで探査機を飛ばした国としては米、中国、旧ソ連に続いて4番目の国となるところでした。

今回の計画の主導的な役割を果たした女性二人のエンジニアの顔もTVで紹介されていました。
「うわー、カッコいいな!」と思い、帰国後に調べてみるとISRO(インドの宇宙開発組織)は3割が女性で占められているとか。実際、打ち上げの様子をコントロール・ルームで見ている人達の中にも女性が結構いました。
二人のうちの一人の方(Ritu Karidhal)のインタビューも出ていて、「サイエンスは子供のころから大変興味があった。若い人に言いたいことは、どんな困難にぶつかっても決して諦めるなという事」と語っています。
あんな閉鎖的な男性社会にあって、女性が活躍をしている現実を見ると日本はまだまだ精神的に後進国だなと思わざるを得ません。チクリ!
 
後記:2023年8月に月面着陸を成功させました。

今回のルート

1日目 8月11日
✈ 11:15 発 成田: エアー・インディア(787-800)
  17:00 着 デリー
夏休みなのでどこも混んでいるだろうといつもより早めに空港に到着したのに、成田の出発が4時間も遅れてしまい、出端をくじかれてしまいました。
今回は添乗員さんが付かない現地ガイドのみで参加者は12名でした。
 
🛏 デリー泊
 
2日目 8月12日
✈ 10:15 発 デリー: エアー・インディア(A319)
  11:35 着 バラナシ
 
🚌 バラナシ市内観光
初転法輪の地サルナート(鹿野苑)
→紀元前430年頃、35歳の釈迦が悟りを開いた後、鹿が多く住む林の中で初めて教えを説いた地。
アショカ王の石柱には東西南北ににらみを利かせる4体の獅子、その足元にはブッダの教えの象徴である法輪と牛、馬、獅子、象のレリーフがあり、その下には蓮華が描かれている。
法輪とは釈迦の説いた教え(法)を車輪に例えてよんだもの。
 
ここは仏教の八大聖地巡りで一度来たことがあるのだが、ダメーク・ストゥーパは囲いの外から見ただけで、以前のように間近で見たかったな。

ダメーク・ストゥーパ
H社のサイトより

ムルガンディ・クティ寺院
内部には野生司香雪(のうすこうせつ)という日本人画家がブッダの生涯を描いた壁画がある。

野生司香雪によるブッダの生涯
H社のサイトより

裸足で入る必要があり、面倒なので外で待っていると写真を撮られまくり。
インドはここだけではなく、方々で写真を撮られる。
「いい加減に観光客に慣れてくれよ」と願うものの、彼らにしてみたら初めて見る外国人なのかもしれないので無下にもできず・・・
見ているとカメラのシャッターボタンを強く押し過ぎて完全にぶれている。
押した後には必ずと言っていいほど、カメラが下にずれる。
 
夕刻、聖なるガンジス河にて「祈りの灯篭流し」を体験
ガンジス河には4,5回ほど来ているが、この灯篭流しは経験したことがなかったので心を込めて行った。
アルティーという儀式を毎日行っており、前回は建物のテラスに座ってかなりハッキリと見学した。その時はイケメンのお兄さんたちが手に灯篭を持ってダンスを披露していた。

アルティーの儀式
J社のサイトより

今回は船の上からの見学で人が多くて何をしているかなど、見るのは到底無理で、ただただ、大音量のお経が流れていたのを聞いただけという感じ。

ガンジス河の夜の風景
J社のサイトより

バラナシの町中は、牛はもちろん歩いているし、サル達もビルとビルの間を器用に移動している。

町中を歩く牛

🛏 バラナシ泊
 
3日目 8月13日
早朝、ガンジス河の沐浴を見学
(私は何度も見たことがあるのでパスをした)

初回には沐浴をしている様子と傍らで死体を焼き、終わると灰を川に落とすという光景が目に入ってきて唖然としたものだが、何度も見ていると慣れてきた。

バラナシ
A社のサイトより

午後の出発まで数人とバラナシ駅まで散歩をした。前日雨が降ったのか道路がぬかるんでおり、足元はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
駅はまあ、こじんまりとしていて、普通はここまでは足を延ばさないので来て良かった。
駅というとちょっと前まではホームで寝ている人達がゴロゴロいて電車を降りても邪魔でしかなかったが、やはり、最近はホームで寝ることは禁止になった様子だ。
途中で一人具合が悪くなり、早めにホテルに戻った。そう、慣れていない人は早々に体調を崩してしまうことがあるのがインド旅行だ。
 
✈ 12:10 発 バラナシ: エアー・インディア(A321)
  13:35 着 コルカタ
 
🚌 コルカタ市内観光

インド博物館
1814年に建設された国内最古の博物館
入るとすぐ右手にバールフット(初期仏教美術)塔門のレリーフが並べられている。
カジュラホ出土の「恋文を書く女」の石刻が有名なので、ガイドさんに聞いたが、知らないらしく、スタッフにも聞いてもらったが、知らないとの事で、残念。

インド博物館
T社のサイトより

人力車の乗車体験
自転車の後ろに二つの座席があるタイプ。
以前体験した際には自転車の前に二人で乗るタイプで、冬だったので風を切って凄く寒かった。

マーケット散策

マーケット
T社のサイトより

🛏 コルカタ泊
 
4日目 8月14日
🚌 引き続きコルカタの市内観光
 
マザー・ハウス
マザー・テレサがここを拠点として活動をしていた。1997年に亡くなったが遺体はここに安置されている。
彼女の功績は宗教が人々を分断してはならないと助けを必要とする人の為に生涯をささげた事。ノーベル平和賞も受賞している。
彼女はマケドニアのスコピエで生まれて、そこには記念館も建てられている。2階にはマザー・テレサが使っていた部屋があるが、狭いし質素な生活ぶりが窺える。
ここには是非来てみたかったので願いがかなった。

マザー・ハウス
N社のサイトより
マザー・テレサのお墓
N社のサイトより

日本人のシスターの案内をしてもらったが聞いている途中で、びっくりした。😮
マザー・テレサはイエス様と交信をしていたというのだ。貧しい人々を救ってもらいたいという言葉に最初は自分にはできないと断っていたとか。
最初の交信が12歳の時で、何度も交信をしたらしい。
 
ポルトガルのファティマ大聖堂でもマリア様が出現をして3人の子供に予言を残したと伝わるのは以前お話をした通り。
 
後記: これは順番に友人たちに送っていた文面なので、このまま残してポルトガルは後日投稿します。
 
カーリー女神寺院
ヒンドゥー教のカーリー女神を祀ってある。
シヴァ神の妻であり、破壊と血を好むため、毎朝ヤギの首をはねてささげる儀式が行われる。異教徒は寺院の中には入れない。

カーリー女神寺院
T社のサイトより

モイダン公園
南北に3km、東西1km。クリケット、サッカー、テニスコートがある。早朝にはヨガをする人も多いとか。
 
ヴィクトリア記念堂
1921年完成。当時インド皇帝を兼ねていたヴィクトリア女王を記念して建立された。
タージ・マハールをモデルにしたもので、内部は博物館になっている。

ヴィクトリア記念堂
N社のサイトより

ビルラー寺院
1970年から26年かけて完成したヒンドゥー教寺院。財閥のビルラー家によって建てられた。
参道のような狭い道を歩いて行って、ふと見上げると「す、すごい!」と目を見張った。
日本人もビックリ?」😉するほどの荘厳な大理石の寺院がデーンと建っていた。形はスペースシャトルかトウモロコシか・・・
不思議なパワーを秘めているようで、カラス、鷲、ハゲタカなどは決して寺院の上を飛ばないとか。
インド生まれのヒンドゥー教徒しか、中に入れず、同じ信者でも外国人はダメ。パスポートをチェックしてすごく厳しい。

ビルラー寺院
N社のサイトより

バレシュナート寺院
1867年に建てられたジャイナ教寺院。
お寺というよりか、宮殿のような豪華さで、中に入るとステンドグラスや宝石などがちりばめられていた。ジャイナ教は富裕層の信者が多い事から、寄付をする人もそれなりなのであろう。靴を脱いで入る。
ジャイナ教とは仏教とほぼ同時期に成立した宗教で、ヴァルダマーナを開祖とする。
カースト制を否定しており、信徒数は0.4%ほど。信用がある為、商売で成功をする人が多い。

バレシュナート寺院
S社のサイトより

タゴール・ハウス
アジアで初めてノーベル賞の文学賞を受賞したタゴール(1861~1941)の生家。
詩人、哲学者、俳優と八面六臂で活躍をした大富豪のコロニアル風屋敷跡。
日本人女性も一族に嫁いだ方がおられるようで、本まで出版されている。
現在は京都に在住とか。

タゴール ハウス
N社のサイトより

コルカタはインド製の「アンバサダー クラシック」という黄色いタクシーが走っており、ここだけでしか見られない。部品がないので、壊れたらおしまいだが、どっしりとした構えで高級感がある。
ドアには「乗車拒絶しません」と書いてある。

コルカタ市内
黄色い車がアンバサダー
N社のサイトより

路面電車も走っており、外枠は木製のようでペンキを塗っただけのような感じ。
コルカタに32年前初めて来た時で覚えている事と言えば、映画の撮影をしていたということくらいで、混沌とした街という記憶しかなかったが、随分と変わったもんだ。
 
🛏 コルカタ連泊
 
5日目 8月15日
✈ 09:10 発 コルカタ:エアー・インディア(A321)
10:20 着 ブバネシュワール(オリッサ州の州都)
 
空港に着いた途端、賑やかな音楽が流れていてダンサーが踊って我々を歓迎してくれた。
本日はインドの独立記念日。
 
🚌 ブバネシュワール旧市街観光

リンガラージ寺院
シヴァ神を祀っており、11世紀初頭に建てられた。信徒以外は入れない。
1km四方の中に108の寺院がある。ここもやはり、鳥たちが寺院の上を決して飛ばないとか。

リンガラージ寺院
Tripadvisorより

ムクテーシュワラ寺院
オリッサで一番古く、10世紀頃の建築。細かな装飾が施されたアーチが有名。
比較的に低い建物が多く、子供が壁の上に建っていたら、警備の人に笛を鳴らされて怒られていた。親が注意をすべきだ。
インドではこうやって注意をされて言う事を聞かないと警棒で殴られる光景をよく見かけることがあるが、何だか時代が逆行しているように感じる。
日本では考えられない。

ムクテーシュワラ寺院
C社のサイトより

カンダギリとウダヤギリ
ジャイナ教の石窟寺院で、紀元前2世紀ごろから作られ始め、ジャイナ教の僧侶が修行をした場所。カンダギリ15窟、ウダヤギリ18窟で、最大の物がウダヤギリにある王妃の窟院で2層になっている。
両方の石窟がくっついており、アジャンタやエローラと比べると規模はとても狭い。

カンダギリとウダヤギリ
Tripadvisorより

ハーブ公園
時間が余ったらしく、ここに立ち寄った。いろんな種類のハーブが植えられている。
嬉しかったのは「レンカク」というスイレンの上を歩く小さな鳥を久しぶりに見た事。
オーストラリアで親子連れを見て以来、そのかわいらしさにゾッコン。

蓮角

「生きた彫刻」とも言われる伝統舞踊オリッシーダンス鑑賞
世界で最も古い歴史を持つ舞踊の一つで、発祥は紀元前2世紀頃と言われている。
翌日訪問するジャガンナート寺院の神に奉納する舞として始まった。
寺院の壁を埋め尽くすたくさんの美しい彫刻達があたかも動き出したかのようだと言われる。
ムガール帝国が入って来て一時期廃れたが、翌日訪れるスーリヤ寺院の壁に描かれたダンサー達をヒントに再現されたのだとか。

オリッシー ダンス
オリッシー ダンス
Wikipediaより

インド政府公認のオリッシーダンサーとして小野雅子さんがおられるそうだ。
 
以前このコースに参加をした友人が言っていたが、「正直ガッカリする」と。
確かに、連れて来られた場所は高校の小さな部屋で、ダンサー達も14歳から18歳までで若くプロではない事は確か。
でも一端踊りだすと、目の動きで表現をして、懸命に踊ってくれた。
特にシヴァ神が嫉妬をして息子の首をはねて、近くにいた象の首をくっつけた場面は分かり易かった。
 
6日目 8月16日
🚌 ヒンドゥー教四大聖地の一つであるプリーへ

スーリヤ寺院(世界遺産)
屋根を失った舞堂の柱のレリーフや本殿を支える車輪などの彫刻は見事。
13世紀に建てられた。車輪の図案は10ルピー札にも描かれている。
プリーは海岸沿いの町なので、塩害を受けやすいのかもしれないと思っていたら、どうも違うらしい。
海にある砂を固めて建てたのでくずれやすいのだとか。
毎日556種類の神様の食事を作り、10万人の人が食べられる。
「ひゃ~!」😮

スーリヤ寺院
Tripadvisorより

ここは巨大な石の建築がとても素晴らしくて感激!😀

ジャガンナート寺院
12世紀の建立。ヒンドゥー教聖地の為、異教徒は中に入ることは不可。
それで隣の建物から見学をした。
ここも同じく、鳥類は塔の上を絶対に飛ばないそうだ。
「宇宙の主」と言われているジャガンナートは黒い顔をした神様で、白い顔の兄バラバドラと黄色い顔の妹スバドラーの3兄弟がセットになって描かれている。
とても漫画チックでかわいいので、ブバネシュワールの空港でお土産に買ってきて玄関に飾ってある。

ジャンガナート寺院
Tripadvisorより

ラグラジプールの芸術村
「パッタチトラ」という布やココナツの葉に絵を描く技法の伝統を守っている。
オリッシーダンスのダンサー達も住んでいてここから世界中に派遣されているのだとか。そうか、プロは不在なので、高校生たちだったのかも。

村の中を散策していると、村人の一人の足元にニャーニャーと子猫がまとわりついているのに気が付いた。真っ白だったので、ひょっとしてと思い、しゃがみ込んで見たら、やはり「オッド アイ」の猫だった。後でガイドさんに聞いてみるとこの辺りは多いそうだ。
 
ピプリ村
鏡や布を縫い付けた色鮮やかな手工芸品で知られる。これまで、こういった製品をあちこちで目にしていたが、主にこの辺りで作られていることを知り、おお、そうであったのか。
実際に鏡を縫い付けている様子を見学することができ、外れにくくするために細かく縫い付けていた。
 
7日目 8月17日
✈ 09:45 発 ブバネシュワール: エアー・インディア(A320)
  12:05 着 デリー
 
🚌 デリー市内観光
 
国立博物館
インダス文明(BC2,500~BC1,500頃にインダス川流域に栄えた青銅器時代)の印章、ガンダーラの仏像、ミニアチュール(細密画)など、古代から近代までの所蔵品が展示されている。特に細密画は素晴らしかった。

国立博物館
Wikipediaより

ラクシュミナラヤン寺院
1938年に財閥ビルラー家が建立した。極彩色のオリッサ様式でヴィシュヌ神と妃のラクシュミ女神が祀られている。

ラクシュミナラヤン寺院
V社のサイトより

昼食は中華料理だったが、まずかった。前回も大使館通りにある「ふ〇や」という日本料理屋さんで、超まずかった。今回は別のレストランで先月も来た場所だった。インド料理に飽きたでしょうからとのガイドさんの言葉だが、私のようにインド料理が好きな人はいっぱいいる。

以前にも書いたが、海外へ出ると一回は日本食が入っている事があるが、本当に美味しくない。私は現地の料理が食べたい。そう何度も来られるわけではないのだから。日本食は帰国したら、嫌でも食べられる。

先月も行った紅茶屋さんに立ち寄って空港へ
 
✈ 21:15 発 デリー: エアー・インディア(787-800)
 
8日目 8月18日
  08:45 着 成田
 
{結び}
今回の目的はオリッサ州へ行き、そこに住んでいる少数民族の昔ながらの生活に触れる事でしたが、随分と違いました。
帰りの空港で、他社の知っている添乗員さんに会い、聞いてみると彼らに会いに行く特別な許可を貰って行っても、最近は写真も撮らせてくれなくなったとか。
本来の目的は達成できなかったわけですが、全体的にとても勉強になりました。

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