カナダ東部
(97番) 2013年 10月
秋のカナダ東部・メープル街道からプリンス・エドワード島へ行ってきました。
ナイアガラの滝とプリンス・エドワード島へ行って見たかったのです。
訪問したのは①オンタリオ州、②ケベック州、③ニュー・ブランズウィック州と④プリンス・エドワード・アイランド州の4州でした。
参加者は17名でした。
―――――――――
{カナダ}
面積: 998.5万平方㎞(ロシアに次ぐ世界第2位、日本の約27倍)
人口: 約3,500万人
首都: オタワ
言語: 英語(57%)、フランス語(22%)が公用語
宗教: キリスト教(53.3%)、無宗教(34.6%)
―――――――――
1日目 10月3日
✈ 17:50 発 成田: エア・カナダ(777-300ER)
16:45 着 トロント
時差マイナス13時間
🚌 ナイアガラ・フォールズの町へ1時間30分かけて向かう。
着後、ホテルへ
🛏 ナイアガラ・フォールズ(滝側の部屋泊)
2日目 10月4日
世界三大瀑布の一つナイアガラの滝の観光へ
二つ目の南米のイグアスの滝は1989年に訪問済み
三つ目の南部アフリカのビクトリア・フォールズは1994年と2012年に訪問済み
ナイアガラの滝はゴート島によって、カナダ側の国境を挟んだカナダ滝(落差56m、幅675m、滝壺の深さ55m)とアメリカ側のアメリカ滝(落差58m、幅330m)からなる。アメリカ側はさらにルナ島を挟んでブライダールベール滝(落差55m、幅15m)がある。
→テーブルロック
カナダ滝を間近に加えて真横に見られるビューポイント
轟音も凄いが水の流れ落ちる勢いも迫力があって、圧倒された。
その後、「霧の乙女号」に30分間ほど乗船をし、滝つぼを楽しむ。
これは1846年から続く大人気の遊覧船で、青の薄っぺらいレインコートを着てアメリカ滝からカナダ滝へ。轟音もド迫力だが、大量の水しぶきがかかってきた。予想はしていたが、これほどとは・・・
途中には国境のレインボー橋やナイアガラ川が渦を巻いて直角に流れを変えるワールプールがあった。
これで三大瀑布全部を見たことになる。
昼食: バイキング(大混雑だった)
午後はバスで19世紀の英国風の街並みを残す「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」へ
かつて、アッパーカナダ(現オンタリオ州)の首都として栄えた町で、ランドマークの時計塔のあるクィーン通りにてフリータイム。
オンタリオ湖が目の前にあり、周辺には葡萄畑が広がっていた。小さい街でお土産物屋さんがたくさん並んでいた。
因みに5大湖は西から東へ順にスペリオル湖、ミシガン湖、ヒューロン湖、エリー湖そしてオンタリオ湖となっている。
その後、330km移動してハンツビルへ
夕食: スープ、サーモン(ライス、野菜)、チョコケーキ
ハンツビル泊
3日目 10月5日
本日は紅葉の名所を巡る第一日目となる。
午前はバスでハンツビルの町やマスコーカ地方の森の眺望が楽しめる「ライオンズ・ルックアウト」、滑るように斜面を流れ落ちる「ラグド滝」に立ち寄り、午後はアルゴンキン州立公園へ向かう。
ハンツビル市内観光
ハンツビルは小さいながらも2010年のG8サミットが行われた場所で日本からは当時の総理大臣だった菅直人氏が参加をされている。
→トム・トムソンの銅像
1900年代初頭に活躍をした画家でカヌーの名手でもあった。
「レイク・トム・トムソン」の水際にパイプをくわえて座り、絵の具道具を膝の上に開けた格好で設置してある。
→ライオンズ・ルックアウト
オレンジ色の屋根の展望所が建っており、そこから眺める景色はハンツビルの街並みやフェアリー・レイクとマスコーカ地方の大自然が広がっていた。紅葉も赤や黄色がとても綺麗だった。
→ラグド滝
水が綺麗だし緩やかな斜面を滑るように流れる滝で湖までそのまま流れ出て行く。春には雪解け水で水量がどっと増えるらしい。
→アルゴンキン州立公園
7630平方㎞(静岡県とほぼ同じ広さ)で1893年制定のオンタリオ州最古の州立公園。
2000近くの湖が点在しており、紅葉(特にサトウカエデ)の名所としても有名なこの地はバスの車内から見ているだけでも見渡す限りの紅葉の景色が広がっていた。
雨模様の天気予報だったが、青空も広がってきて、絶好の紅葉見学日和となった。
昼食: ボックスランチ(サンドイッチとサラダ)
昼食後は湖と川と森が織りなす美しい自然の中でルックアウト・トレイル(約2km)を約1時間のハイキングを楽しんだ。展望台からは「黄葉」が見事で黄色の美しさも堪能した。
公園内にはムース(ヘラジカ)、キツネ、ビーバーやヨーロッパ狼が住んでいる。
夕食: サラダ、ローストビーフ、チーズケーキ/ヨークシャー・プリン
ハンツビル連泊
4日目 10月6日
🚌 首都オタワへ向かう
本日は423km移動するので、途中トイレ休憩は2回挟み5時間ほどかかる。
朝から雨模様の中バスは進んでいき、第一回目の休憩は「Tim Hortons」で。1964年にプロホッケー選手ティム・ホートンが創業した大人気のドーナツ店。
国内に3000以上の店舗を構え、カナダ国内のファースト・フード全売り上げの五分の一を占めるとか。カナダ人からはティミーの愛称で知られる有名店のドーナツを食べた。美味しかった。
オタワ到着
国の政府機関が集まるカナダ第4の都市。オタワ川の水辺に位置し、橋を渡った対岸にはケベック州(フランス語圏)がある。オタワとは先住民の言葉で「交易」という意味で、この町は17世紀頃から交易が盛んになった。
オタワ市内観光へ
→バイワード・マーケット
1840年から続く市民の台所でフリータイム
昼食: 中華料理
→国会議事堂
19世紀半ば、ビクトリア女王の命によりネオ・ゴシック様式で建築され3つのブロックに分かれている。真ん中にあるピースタワーの展望台へ。
この高さ92mの平和の塔はカナダの戦没者を追悼するもので戦没者名簿がズラリ。
53個のカリヨンがあるタワーの上からはオタワの市内が見渡せた。
尚、カリヨンとは鐘楼などの塔状の建築物として設置される楽器であり、歴史的には時報を流す目的で設置される。
中央広場にはカナダ建国100周年となる1967年に点火された「センテニアル・フレーム」の炎が燃えている。
→リドー運河
1826年に6年かけて造られた全長202kmにも及ぶ運河で、世界遺産に登録をされている。起点には8つの水門があり、25mの高低差を上がっていく仕組みになっている。
→ノートルダム聖堂
1841年から1965年にかけて建築された現存する最古のカトリック協会で内部のステンド・グラスが綺麗だ。
その後、紅葉を車窓に見ながら、世界最大級の紅葉の名所であるロレンシャン高原の中心地、モン・トランブランへ(157km、2時間)
夕食: スープ、タラ、チョコブラウニー
🛏 モン・トランブラン泊
5日目 10月7日
{ロレンシャン高原}
モントリオール北部の高原地帯で、かつては結核治療の保養地だった所。
メープル街道のハイライトで紅葉の美しさで広く知られている。
{モン・トランブラン}
標高960mでロレンシャン最奥地にあり、リゾート村として多くの観光客が訪れる拠点の町
終日、フリータイム
希望者は添乗員が実費にて山頂ゴンドラやトランブラン湖クルーズなどに案内してくれる。
天気が悪かったこともあり、私は近くを散歩したりしてのんびりと過ごした。たまたま覗いたお店でメレルのハイキング・シューズがあったので、ちょっと高価だったが、思い切って購入した。
夕食: サラダ、ポーク、パスタ、シャーベット
🛏 モン・トランブラン連泊
6日目 10月8日
🚌 「北米のパリ」と呼ばれるほど、フランス色が濃く残る町、モントリオールへ
朝、トランブラン湖沿いの紅葉を眺めながら、ロレンシャン高原をあとにし、148km(約2時間)の道を進む。雨上がりの太陽の光が当たったキラキラした紅葉はまた格別綺麗だった。
{モントリオール}
セントローレンス川の中州に発展したケベック州にあるカナダ第二の都市で人口は約380万人。ここはパリに次ぐ世界で2番目に大きいフランス語圏の都市。
着後、簡単な市内観光
→聖ジョセフ礼拝堂
モントリオールを見渡せる小高い丘、モン・ロワイヤルの斜面に建つ。礼拝堂は、巨大なドームと白壁が印象的なイタリア・ルネッサンス様式の建物。
病気やケガで苦しむ多くの人々を救った奇跡の人「アンドレ修道士」が、セント・ジョセフ「イエスの父であり、カナダの守護聖人」に捧げた聖域となっている。
→ビーバーレイク
モン・ロワイヤル公園内の半人造湖だが、それほど広くはない。
自然湖だったが、手を加えてもっと深くした。その際、300年以上前のビーバーの巣がたくさん見つかったのでこの名前が付けられた。
→展望台
ビーバーレイクから少し登ったところにある。
モントリオールの町が見渡せ、1976年に使用されたオリンピック・スタジアムも見えた。
その後、旧市街へ降りてダルム広場へ
ここはカナダに渡って来たカトリックの宗教者たちと、原住民の間で激しい戦いがあった場所だそうだ。
→ノートルダム大聖堂
1829年に建築されたネオ・ゴシック様式のバシリカ聖堂でその内部装飾は絢爛豪華で眩いばかりだ。
→ジャック・カルティエ広場
ジャック・カルティエは16世紀のフランス人の探検家で現地人の言葉から周辺の土地を「カナダ」と名付けたことで知られる。
旧市街の中心となる広場で、ノートルダム通りと旧港の間に位置している。
英国海軍提督ネルソンの像が建つ。
ここで、暫くフリータイム
昼食: サラダ/スープ、チキン、チョコケーキ
その後、知名度は低いが紅葉の名所イースタン・タウンシップスへ(90km、1時間半)
{イースタン・タウンシップス}
酪農や農業が盛んで風光明媚なリゾート地で英仏両方の文化が融合した地域でメープル街道の一部でもある。りんごの名産地。
→サン・ブノワ・デュ・ラック修道院
1912年に設立されたベネディクト派の修道院で質素な暮らしを良しとしている。
礼拝堂に通じる回廊のモザイク模様の天井と床が美しい。
修道士たちが作ったチーズ、シードル、チョコレートなどが売られている。
途中のメンフレマゴグ湖(アメリカとの国境にまたがる南北45kmの細長い湖)にて写真ストップ
その後、世界遺産の古都ケベックシティへ(253km、3時間)
夕食: スープ、エビとホタテ、チーズケーキ
{ケベック・シティ}
ケベック州の州都であり、北米唯一の城塞都市でもある。
石造りの建物が並ぶ旧市街は歴史地区として世界遺産に登録をされている。
大きく3つのエリアに分けられて、近代的な新市街と旧市街が崖の上のアッパータウンと下のロウワータウンになる。城塞都市なので、坂が多い。
🛏 ケベックシティ
「フェアモント・シャトー・フロントナック」ホテルに泊まりたかったな・・・😉
7日目 10月9日
まずはまだ人の少ないうちに旧市街の観光へ
→ダルム広場
ここにもモントリオールと同じ名前の広場があり、旧市街の中心となる。
シャンプランの銅像があって、彼はフランス人で1608年にアンリ4世の命で新大陸に渡り、カナダのセントローレンス川流域にケベックの植民地を建設した。
ここからは町の象徴とも言える「フェアモント・シャトー・フロントナック」ホテルがよ~く見えた。
地元の画家の絵を展示即売しているトレゾール通りを経て
→ノートルダム大聖堂
アッパータウンに建つノートルダム大聖堂は、1925年の建築で正面から見て左右の塔の形状が異なる左右非対称型で、バロック様式の傑作といわれている。
ルイ14世から贈られた祭壇のランプや、聖母マリアの生涯を描いたステンド・グラスなどの美術品が、聖堂内を彩っている。
その後、町から北へ10kmほど走り、郊外の観光へ
→モンモランシーの滝
落差83mでナイアガラよりも30m高い。勢いよく流れ落ちる滝の前には綺麗な虹が二重にかかっていて、素晴らしい景色だった。
冬季は滝が凍り付き、アイス・クライミングができる。
→サンタンヌ・ド・ボープレ大聖堂
カトリックの聖堂で聖マリアの母である聖アンナは、キリストの祖母に当たる。
病気や怪我が奇跡的に回復した逸話が多くあり、毎年大勢の巡礼者が訪れる。
1658年、難破しそうになった船乗りたちが聖アンナにお祈りをしたおかげで、助かったとか、足の病気を治す奇跡の教会として実際に治った人達が松葉づえを奉納されていた。丁度、ミサも行われていてラッキーだった。
その後、長~い橋を渡り、セントローレンス川に浮かぶオルレアン島へ
→オルレアン島
アンリ4世の息子オルレアンの名からつけられた。約6千人が住み、開拓時代の面影や石造りの佇まいが残る。
昼食: ケベック郷土料理
午後は再び旧市街へ戻り、ロウワータウンを散策
そして、北米最古の繁華街プチシャンプラン地区(クラフト・ショップ、カフェ、ギャラリーなどが立ち並ぶ)にて自由夕食
🛏 ケベックシティ連泊
【プチノート】
ケベック問題について
ケベック州はカナダの10州の一つでフランス系住民が人口の72%を占める。カナダ連邦からの分離・独立を巡る問題は時々ニュースで報じられる。
1759年頃の「フレンチ・インディアン戦争」ではイギリス軍と戦った。その際、夜はお互いに休戦をするという協定を結んでいたが、ガイドさんによるとイギリス軍はケベックの崖をよじ登っていき、夜襲攻撃をかけたそうだ。
8日目 10月10日
本日はこの旅1番の大移動日。
ケベック・シティを出発して大河セント・ローレンス川沿いに北上をしていく(206kmで2時間)
リヴィエール・ドゥ・ルーの町で休憩した後、東南部へと走る(204kmで2時間半)
前方のカナダとアメリカ東北部に跨る2600kmのアパラチア山脈(最高峰ミッチェル山2037m)を越える。
左手にセント・ジョン川のゆったりとした流れに沿う紅葉の名所
リバー・バレー・シーニック・ロードをドライブ、川と渓谷、そして紅葉を楽しみながらニュー・ブランズウィック州の州都フレデリクトンへ
時差プラス1時間
昼食: スープ、サンドイッチ、レモンケーキ
→グランド・フォール
あれ?23mの滝は水がせき止められていた。残念!
現在は水力発電に使われており、秋からはダムの放流がある。
引き続き、リバーバル・シーニック・ロードをドライブし周辺の紅葉を堪能。
→世界一長い屋根付きの橋
1901年開通で391mあり、そこを歩いて渡り、最後には夕陽を眺めてホテルへ
夕食: サラダ、サーロインステーキ、キャロットケーキ
{フレデリクトン}
ニュー・ブランズウィック州の州都で、18世紀米国からやってきたロイヤリスト(英国王党派)により、発展した町
🛏 フレデリクトン泊
9日目 10月11日
出発がゆっくりだったので朝食後に周辺を散歩してみた。
ホテルは幹線道路沿いに建っているが、住宅地を抜けるとすぐに林の中へ入った。戸建ての庭にはリスの好物であろう木が立っていて灰色のリスが数匹朝ごはんを食べていた。尻尾を立てて、もぐもぐ食べる姿は本当に可愛らしい。
小道を歩いていると犬を散歩させている人に出会い、お互いに挨拶を交わした。小さな池にはアヒルが数羽泳いでいた。
空気がひんやりとしてとても気持ちの良い朝であった。
市内観光へ
→ウォーター・ロー通り
ビクトリア王朝時代のクラシカルな邸宅が建ち並んでいる。
→クライスト・チャーチ大聖堂
緑色の屋根の建物の上に物凄い角度の尖塔が建っており、目立つ。
中のステンド・グラスとパイプオルガンが立派。
→州議事堂
空港並みの検査を受けて中へ入ると歴代の総督の肖像画がたくさん飾られていた。
1882年の建築で外はグレイの壁で重厚な建物だが、内部は全体的に木製品が使われており、温かみを感じた。例えば、木製の螺旋階段など。
→オフィサーズ広場
夏の観光シーズンのみここで衛兵の交代式が行われる。
珍しいのは軍人だけではなく「斧」を持った人がいる事。19世紀にこの辺りの森林を切り開き開拓していった人たちに敬意を表する為だとか。
→ソルジャーズ・バラックス
1784年に軍事目的で建てられた建物で兵士の宿舎、指揮官の部屋、武器庫や刑務所などがある。
→市庁舎
赤茶色のレンガで建てられている。
親切な係の方が特別に内部を案内して頂いた。町誕生200年を記念した27枚のタペストリーが展示されていた。
→キングス・ランディング
セント・ジョン川に突き出した岬にある歴史村
18世紀頃の家々、学校、教会、水車そしてロイヤリストの邸宅などが点在し、当時の衣装を身にまとった人達が出迎えてくれた。
その後、馬車にて村内を一周。天気も良くて気持ち良かった。
昼食: サラダ、ターキー、ジンジャーケーキ
午後はこの旅最後の大移動で美しい紅葉の景色を眺めながら、更に東へと進む(380kmで5時間)
→マグネティック・ヒル
実際には非常に僅かな勾配の降り坂となっているのにもかかわらず、周辺の地形の影響で、その坂がまるで登り坂であるかのように見えてしまうという、錯覚を引き起こす場所。
我々の乗った大型のバスが実際には降りていくのに登っていくように見えた。
こういう場所は世界各地にあって、日本でも行ったことがある。
香川県のミステリー坂や佐賀県の幽霊坂など。
その後、プリンス・エドワード島のシャーロット・タウンへ
→コンフェデレーション橋
ノーサンバーランド海峡を横断するニュー・ブランズウィック州のケープ・ジューリマンとプリンス・エドワード・アイランド州のボーデン・カールトンを結ぶ。
1997年に完成した全長13km、2車線通行で渡り終えるのに10分かかった。冬季凍結をする海峡に架けられた橋としては世界最長。
島の観光拠点シャーロット・タウン到着
プリンス・エドワード島の州都で、イギリス国王ジョージ3世の妃の名前をとってつけられた。レンガ造りの建物が並び、しっとりとした街並みが美しい。
カナダの歴史を語る上で欠かせないこの街には、今なお建国当時の面影が残る。
プリンス・エドワード島と言えば、名作「赤毛のアン」。著者モンゴメリーが物語の中で著した、この島特有の赤土と木々の対比など鮮やかで絵画のような景色が広がる。
{赤毛のアン}
主人公アンは想像力豊かな女の子。孤児院から男の子を引き取るつもりだった夫妻のもとへ間違って送られてきたアンは、夫妻から孤児院へ送り返されそうになるものの、彼女がもつ天真爛漫な闊達さと心優しい人格によって、夫妻はアンとともに暮らしていくことを決める。
夕食: サラダ、サーモン、アイスクリーム
🛏 シャーロット・タウン泊
10日目 10月12日
朝食時のウエイターさんのサービスぶりがとっても感じが良くて、気分は上々!🥰 ズバリ英国紳士そのものだった。
{プリンス・エドワード島}
カナダ本土の東側、セント・ローレンス湾に浮かぶ愛媛県ほどの大きさの島。英ビクトリア女王の父プリンスエドワードにちなんでつけられた。
島の南側から赤土の大地と只今丁度ピークの美しい紅葉を眺めながら北海岸へと移動。
{キャベンディッシュ}
モンゴメリーの故郷でアンが暮らすアヴォンリー村のモデルとなった。
→モンゴメリーとその家族が眠るお墓詣参り
1942年トロントで死去したモンゴメリーと夫マクドナルドのお墓
→グリーン・ゲイブルズ
アンが少女時代を過ごした緑屋根の家の中では、物語がそのまま再現されていた。ダイアナを酔わせた「イチゴ水」まであった。
→お化けの森
アンの家からダイアナの家へ行くのに通るうっそうと茂る森
→恋人の小径
アンが親友のダイアナと並んで歩き、学校へ通っていた小路でもあり、のちにアンの夫となるギルバートが、アンを散歩に誘ったのも恋人の小路
→郵便局
モンゴメリーの祖父が勤めていた。当時使っていた道具、棚なども一部保存されている。郵便を出すこともできる。「Green Gables」 と刻印される。
昼食: ロブスター(溶かしバターをかける)、イチゴショートケーキ
→モンゴメリーの生家
1874年11月にニュー・ロンドンで生まれ、生後間もなくして母を亡くし、キャベンディッシュの祖父母マクニール家に引き取られた。彼女の私物も多数展示されていた。
→フレンチ・リバー
のどかな漁村の風景が広がる所で写真ストップ
→グリーン・ゲイブルズ博物館
彼女のいとこのお孫さんPさんが出迎えて頂いたが、正直、我々を小ばかにしたような態度でがっかり。これは私自身の経験だけではなく、行った事のある周囲の人達が口をそろえて言っている。
→ケンジントン駅
現在、プリンス・エドワード島内の鉄道は廃止されているが、廃線跡はハイキングやサイクリングルートとして整備されている。
夕食: オレンジスープ、タラとホタテのクレープ、メープルバター・タルト
🛏 シャーロット・タウン連泊
11日目 10月13日
島の東南部の観光
→パンミューラー・アイランド灯台
1853年に建てられた島で2番目に古い灯台
そこから、東海岸を南下、今回のカナダ旅行で一番の紅葉の景色が広がっていた。
本日は日曜日という事でミサに参加をするために教会の前には多くの車が停まっていた。教会は596もあるそうだ。
→ケープ・ベア灯台
1912年、かの有名なタイタニック号から最初に遭難信号を受信した灯台。1881年の建造。
→モンターギュ村
入り江沿いに家屋が並ぶ美しい村で写真ストップ
昼食: サラダ、カニコロッケ、イチゴとルバーブのケーキ
午後はフリータイム
🛏 シャーロット・タウン3連泊
12日目 10月14日
✈ 06:00 発 シャーロット・タウン: エア・カナダ(CRJ705)
07:20 着 トロント
✈ 09:00 発 トロント: エア・カナダ(A320)
11:17 着 カルガリー
✈ 13:45 発 カルガリー: エア・カナダ(767-300)
13日目 10月15日
15:25 着 成田
{結び}
先進国への旅は楽でよいです。
しかし、旅慣れてない人が多くて、例えば、大声で話したり、お喋りばかりして食事をいつまでも続けたり、写真不可の場所で無理やり撮ろうとしたり、現地の人だけではなくて我々にも勝手にカメラを向けたりとマナーもへったくれもありませんでした。
とは言え、紅葉は噂にたがわず、たいへん素晴らしく堪能してきました。