バングラデシュ
(85番) 1997年 12月
バングラデシュへ行ってきました。
今回の参加者は9名でした。
そのうち、家族で参加されていた3名は父親と娘さん二人で、お父様は車いすをご使用でした。当初、「エッ?大丈夫なのかしら」と思ったのですが、娘さんが交代で押してあげて全く問題ありませんでした。
{バングラデシュ人民共和国}
面積: 14万7千㎢(日本の4割)
人口: 1億2千万人(当時は日本の方が人口は多かったが、現在はとっくに抜かれている)
首都: ダッカ
民族: 主にベンガル人
言語: ベンガル語
宗教: イスラム教91%他
主産業:農業
独立: 1971年、東パキスタンから
国旗: 独立時の大統領が日本の国旗を参考にして作成した。
赤い丸は昇る太陽でバックの緑は大自然を表している。
1日目 12月26日
✈ 11:00 発 成田 ビーマン・バングラデシュ航空(A310-300)
18:30 着 ダッカ 途中のバンコク経由で9時間もかかった
時差マイナス3時間
空港の外へ出るとフェンスの外に大勢の人達がいて、彼らの視線が我々の体にグサグサと容赦なく突き刺さってきた。これまで海外へ行って特に後進国の人にジロジロと見られることには慣れているが、久しぶりに強烈なパンチを食らった。👊👊👊
彼らはお迎えではなくただただ、外国人を見に来ているにすぎないようだった。
🛏 ダッカ泊
2日目 12月27日
朝、出発までにホテルの外へ出て散歩でもしようとゲートまで行くと外でリキシャを持って待ち構えている人が数人いて、直行で近づいてきて、何か話しかけてくる。
乗るつもりがないので、無視をして方向を何度変えても必死になってついてくる。結局、外に出かけられなくて断念をした。彼らも生活の為に必死なのだろうが、あまりにもしつこい。😠
予定では飛行機でチッタゴンへ向かい、そこからバスでコックスバザールヘ向かうはずだったのが、バスで直行する事になった。10時間もかかるとか。
チッタゴン到着後市内観光
→バヤジッド・ボスミタ廟
8世紀頃に活躍したイスラム教の聖人のお墓。バングラディシュで最も古いモスク。異教徒は中に入れないが、前にある大きな池でスッポンにエサを与えることができる。
→民俗博物館
ベンガル人以外にもミャンマーとの国境近くには少数民族が暮らしている。
彼らの生活道具や民族衣装などが展示されているが、かなり古い。
コックスバザール到着
→ビーチ
インド洋に面しており、その長さは125kmにもなり世界一長いビーチと言われている。夕陽がとても綺麗な場所として有名。
ホテル着
🛏 コックスバザール泊
3日目 12月28日
コックスバザール市内観光
→アッガメダ仏教寺院
コックスバザールはミャンマーに近い事もあり、この寺院はヤカイン族によって12世紀に建立された。
現在の建物は19世紀に再建された。本堂は何層もの屋根を重ねたミャンマー風の建築となっている。もちろん、ここも裸足で入るのが原則。
→魚市場
コンクリートの建物は屋根と柱があるだけで、周囲には大小様々な船が停泊をしている。
ここも大勢の人々でごった返しており、更にありとあらゆる魚が売り買いされていて、活気にあふれている。
チッタゴンへ戻る
🛏 チッタゴン泊
4日目 12月29日
ランガマティへ向かう。
到着後、周辺の観光へ
ランガマティはチッタゴンから約80kmの場所にあり、町はカプタイ湖の西沿岸に位置している。ここはその風景の美しさと湖近くの立地で30以上の少数民族が暮らしており、そのほとんどが仏教徒である。
チャクマ族の村
→手工芸品店(刺繍製品が素晴らしい)
→カプタイ湖(680㎢の人造湖)の島めぐり
→山岳少数民族研究所(1978年の設立)
各民族の舞踊を鑑賞
どの民族の踊りも素晴らしかった。
🛏 ランガマティ泊
5日目 12月30日
→途中の市場
チッタゴンへ戻る。
着後、市内観光
→民俗博物館 →シャヒジャメ・モスク(外観のみ) →カダム・ムバラク・モスク(外観のみ)
ある集会場にバスが迷い込んでしまい、バスの周りをぐるりと人々が囲んでしまった。
明日、2大政党(アワミ連盟とBNP)の選挙があるらしく、立候補者?が演説をしている最中だったようだ。
民衆の興味が我々に向いてしまったせいかどうかは分からないが、その立候補者?はかなりご立腹で拳を上げて怒り出した。又しても興味津々の表情で人々が覗いてくるので、恐怖さえ感じた。ドライバーさんも「こりゃマズイ」とばかりにハンドルを切るが、何しろ、人々に囲まれているので思うように進めないのだ。やっとの事で抜け出した時はほっとした。🫢
🛏 チッタゴン泊
6日目 12月31日
ダッカに戻る。途中、クミッラに立ち寄る。
途中、道路を堂々と象が家族で歩いていたので、すかさず写真を撮った。
すると主が「チップを寄こせ」と言ってきた。
誰も払おうとしなくて、それでもしつこく、しつこく言ってくるので、ガイドさんが仕方なく支払ってくれた。こういう時、気の利く添乗員さんであれば、さっとまとめて払ってくれるものだが。
クミッラ到着
7~8世紀の仏教遺跡が残る。
マハトマ・ガンジーが一時期住んでいた町で、第二次世界大戦で亡くなった日本人兵士が眠る墓地がある。
→サルバン・ビハーラ →ルプバン・ムラ
遺跡に落ちる夕日を見た時、お父さんが「今年も一年終わった」とポツリ。お父さんが言うその言葉にとても重み感じた。🌞
🛏 チッタゴン泊
7日目 1月1日
午前中はダッカ市内観光
本日からラマダンに入るとか。
朝の通勤ラッシュの様子がとんでもなく驚いた。
皆、小舟で川を渡ってダッカ市内まで通勤しているのだ。船も一人か二人乗りでとても小さい。その様子はまるでマッチ箱の中で人々が波で上下に揺れながら必死になって船をこいでいる姿としか表現できないが、本当に我が目を疑う光景であった。
通勤ラッシュが水上である光景を見たのは最初で最後だろう。
→ダクシュワリー寺院
800年以上の歴史をもつヒンドゥー教の寺院でダッカの地名の由来となったとも言われている。
→スターモスク
外観のみ。19世紀建築のイスラム教のモスクで、その名の通り星の図柄のタイルが沢山はめ込まれている。
→国会議事堂(コンクリート打ちっぱなしでモダンな建物)
→バザール
バスの車内から「ジア国際空港」の滑走路が見えてきた。
ここは1977年の9月に起きた日本赤軍による日航機ハイジャック事件の現場である。
当時の福田赳夫首相が「一人の生命は地球よりも重い」と述べた事はよく覚えている。ここは現在は使われていない。
「ほ~、ここが事件の現場か・・・」
後記: 2016年にダッカのレストランで日本人7名を含む外国人20名が襲撃されて亡くなりました。ISが犯行声明を出しています。
尚、食事はスパイスの効いたおかずとご飯というパターンが多かった。おかずは魚やチキンや野菜などをあまり辛くないようにスパイスで味付けがしてある。
✈ 16:00 発 ダッカ:ビーマン・バングラデシュ航空(A310-300)
出発が2時間半も遅れた
8日目 1月2日
08:10 着 成田
{結び}
最近、首相が国外逃亡をしたというニュースが世界中を駆け巡りました。
政府に反対するデモ隊と警察が激しく衝突をして多くの死亡者も出ました。
事の発端は1971年の独立戦争を戦った軍人の子孫に対して公務員採用の優先枠が復活した事でした。それまでの首相の強権的な政治手法に対して疑惑や不満が出ており、この件で国民の怒りが一気に爆発したものと見られます。
素朴な疑問ですが、優先枠を与えたという意味が理解できませんね。応募者に能力があるかどうかによって採用すべきでしょうに。