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マカオ、香港と深圳

(83番)   2024年   7月

マカオ、香港と深圳へ行ってきました。
今回は特に深圳へ行ってみたかったのとマカオの変貌ぶりを見てみたかったのです。
このコースは一般的なので、どうかなとは思ったのですが、昔との比較という視点で投稿することにしました。
今回は全員で8名の参加者でした。

1日目 7月28日
✈ 16:00 発 成田: マカオ航空 (A321-NEO)
  20:05 着 マカオ

ありゃりゃ・・・機内にはモニターがついていなくて、失敗した。
出発前には必ず、シートマップを確認するようにしているのだが、機種が変更になっていた。
予約数が多かったり、少なかったりで使用する機種が変わることは多々ある。5時間もかかるのに、ああ退屈・・・
次回からはこういう時の為に本を持参したほうがよさそうだ。

前の座席の後ろにはスマホを置くスペースがあって、皆そこで自分のスマホで映画を見たり、ゲームをしたりしている。自分のスマホで映画を楽しむなんてまっぴらごめんだ。
おまけにマカオに近づくと天気が悪く、香港辺りの上空を旋回して1時間以上も到着が遅れた。

空港の出口でガイドさんと待ち合わせをしてホテルへ
因みに入境の際にはシールをくれてパスポートにはスタンプが押されない。
これは3か国(3地域)すべてが同じシステムになっていた。そのシールも出境の際も不要で、記念として持っていてもよいのだそうだ。これはとてもいい考えだ。パスポートに余白ができるから。
韓国はそのシールはパスポートに張り付けてくれる。
出境の際のスタンプも押されなくて、更に嬉しい。

アイヤ~!!!(香港出身の元同僚が驚いた時などによく発していた言葉)
バスの中から見る景色は1977年以来47年ぶりに訪問するマカオで「ここはどこ?私は誰?」の世界が広がっていた。
完全に浦島太郎だ。

その47年間に怪しい国々を訪問しながらせっせと世界地図に色を塗っていた事を考えると「半世紀にもなるし、そりゃそうだな」と納得せざるを得ない。
ホテルは有名な「ギャラクシー ホテル」のすぐ傍で、町中がイルミネーションで光り輝いており、目がまん丸に。因みにギャラクシーはいくつかのホテルが集まっていて客室が6千室あり、本物の砂浜のビーチが1kmに渡って広がっているそうだ。

ギャラクシー ホテル
パリジャン ホテル

🛏 マカオ泊

2日目 7月29日
朝食は隣のホテルにあるレストランで頂いたが、「種類が少なくて質素にもほどがある」と言わざるとえない内容だった。1番前に並んで入ったら、中国人がわっと入ってきてあっという間に食べ物も無くなってしまったし。
宿泊したホテルにはレストランがないのかと聞いてみると「あるが、朝食はやっていない」との返事だった。

その後、港珠澳大橋(こうじゅおうおおはし)を渡って香港へ
マカオを出境した所で、香港側のガイドさんが待っていてくれた。
一般車の通行には特別な許可がいるそうで、通常はシャトルバスで香港に向かうらしい。中国人で満載のシャトルバスが何台も追い抜いて行く。
我々は現地の旅行会社が手配をしてくれた車2台に分乗をして香港に向かった。ガイドさんがしきりと「皆さんはVIP待遇ですからね」と言う。
途中のイミグレでも車に乗車したままで、係官にパスポートを提出して顔を見せるだけで通れた。
2018年に開通したこの橋は全長42kmで海底部分が6kmあり、30分で香港に着く。
昨日の雨のせいか海の色は茶色だったが、香港に近づくにつれて水色の綺麗な色になってきた。

香港は人口が750万人で、その内メイドさんが30万人いるそうだ。ほとんどがフィリピンかインドネシアからの出稼ぎだとか。
車は日本の倍の値段で、贅沢品だから半分は税金。
ガソリンは1ℓで500円もするそうだ。😮

香港到着後、市内観光
黄大仙寺院 →西九龍文化地区 →香港故宮博物館(北京の故宮から借りてきたものを展示)→アヴェニュー・オブ・スターズ(ブルース・リーの銅像がある)→尖沙咀の時計台

黄大仙寺院
博物館 黄金の靴
博物館 唐三彩の龍
ブルース・リーの銅像
前回来た時はなかった

昼食: 飲茶

尖沙咀エリアにてフリータイム(何もすることがなくて暇を持て余した)

夕食: 北京ダックを含む北京料理

ビクトリア・ピークから夜景観賞(ここは3回目の訪問でで香港一高い
118階建てのビルも見えた)

ビクトリア・ピークからの眺め

オプションが二つ用意してあったが、両方とも参加せず。

ここも韓国と同じく物価が高くてコンビニでハーゲンダッツを見てみたら、よく見るカップアイスが900円近くしており、ぎょっとした。😮
因みにそのコンビニの店員さんの給料は30万円~40万円だそうだ。
ガイドさんが店のドアに張り出してあった募集広告を見て説明をしてくれた。
ガイドさんは「日本は給料が上がっていないから、香港の物価は高いでしょう」としきりと同情してくれる。

🛏 香港泊
ホテルはフランスのネオクラシック様式のインテリアでスタッフも親切だった。
ただ一つ、エアコンが効き過ぎて凍え死にそうだったので、フロントに電話をしたらオフにする方法を教えてくれた。そのオフのボタンは分かっていたが、「長押し」をする必要があったのだ。「長押し」がポイントなんて考えたこともなかった。

3日目 7月30日
今朝も朝食はホテル内ではなく、近くのレストランでアワビ粥プラス飲茶だった。
アワビはもちろん、生ではなく乾燥アワビだ。小さなかけらが一人一個と制限付きだった。
昔、済州島で食べた生のアワビを思い出した。緑色のお粥でとても美味しかった!
時間も8時半過ぎで、日程を考える際、遅すぎるとは思わなかったのだろうか。朝食は普通遅くても7時にはどのホテルでも始まるだろうに。
それを伝えるとガイドさんは、「ちっともおかしくはないです」だと。

ある人が「エッグ・タルトをお土産に持って帰りたいのだが」と言うと「液体だから無理です」と頑なにダメアピール。通じていないと思って「お菓子だけど・・・」と言うと「卵は液体でしょう?」だと。そうか、プリンと同じ扱いなのかも。

引き続き、香港市内観光へ
スタンレー・マーケット(ほとんどの店舗が潰れており、何をしに行ったのか不明で時間の無駄だった)→トラム乗車体験(10分間のみ。もうすぐ、このトラムはなくなるそうだ。確かにボロボロだった)

蓮塘口岸より深圳へ向かう。
ここは2020年に開通した深圳で9番目の口岸だとか。
車から降りて建物の中をしばらく歩くと深圳のガイドさんが待っていてくれた。

後で聞いたのだが、二人は何語で会話をするのかと。
そうすると広東語と北京語のミックスだそうだ。

深圳の入境がちょっと大変だった。
まずはイミグレの手前で両方の4本指の指紋を取り、次に両方の親指の指紋を取った。
なかなか取れなくて、スタッフの人が上から押さえてくれてやっと。
次にイミグレでガイドさんが「名簿の順番に並んでください」との事で、私が一番バッターだった。ここでも再度、両方の5本指全部の指紋を取られた。

ゲートが開いたので通ると「ちょっとこっちへ来て」と個室の前まで連れて行かれた。
「ここで待っていて」と。そのスタッフは奥の部屋に入ると私のパスポートを舐めるように見ている。
「はりゃ?又訝しがっておるのぉ」と思いつつ、そこでしば~らく待っていた。

中国にはまだ19回(今回で20回目)しか行ったことがないが、個室に連れて行かれたことが2回ある。
1度目は「ハルツーム」という入国のスタンプがどこの国か分からなかったらしく、スタンプの場所を指さして何か中国語で聞いて来るのだが、いかんせん言葉が分からないのだ。係官は奥に行ったまましばらく戻って来なかった。
言葉が分かる人を連れてきて「スーダン」だと答えると通してくれた。
その間1時間ほどもかかった。
2回目の理由は全く分からなかった。
旅行客は全員が外に出てしまい、辺りはシーンとしている中、ターンテーブルに私のスーツケースが一つグルグルと回っていたのが見えたので、待っている間に取りに行ったほど。

2回ともツアーなので、私が出て行かない事には出発できずに皆さんには、迷惑をかけた。
それ以降、中国に行く時に添乗員さんがつくコースだと「ひょっとしたら、私は呼び止められるかもしれないから、事前に言っておきますね」と言うと「そんな話聞いたことがない」と言った人は二人いる。こういう風に自分が経験していないからと言って人の話を信用しない人は・・・私から言わせたら添乗員として失格だし、どういう訳だか仕事もできない人が多い。

2番目に並んだ方が問題なく通過できたようだ。
突然、1番最後に通過すると言っていたガイドさんと数名のスタッフが向こうの衝立の所で私を呼んだ。
「こりゃ何か聞かれるぞ」と覚悟をしていった。
開口一番「いろんな国へ行っていますね」
私「はい」
次にパキスタンのビザを見て「いつ行ったのですか」
私「コロナの流行で、旅行会社の判断により中止になり行けなくなった」
次はアフガニスタンのビザを見て「いつ行ったのか、どの位滞在したのか、どうやって入ったのか、向こうでは何をしたのか」等
次にタジキスタンのビザを見ていろいろと質問をしてきた。
彼らも職務を遂行をしているだけで、こちらは何も悪い事はしていないので、淡々と答えるしかない。

質問が終わったら、又、元の場所に戻ってグループの他の皆さんが通過するのを待った。
後、3人ほどが残っている段階でやっとパスポートを戻してもらった。
並ぶ順番が私がトップバッターで良かった。最後だったら、もっともっと時間がかかったはずだ。
旅行会社もよく使っている会社で、私があちこち行っていることを知っているので名簿の1番目にしたのだろう。大正解!

今回は深圳に来るのが目的だったのに、ここで帰れと言われたら「いやだなあ」と思っていたので、通してもらったのは良かったが、今後は中国へ入る際、同じことを繰り返すのかもしれないと思うと足取りが重くなってしまった。大好きな中国へ行けなくなるかもしれない・・・😔
「国盗り」をしている仲間たちの間ではアメリカで個室に連れて行かれたという人を何人か知っているが、幸いにも私は一度もその経験はない。

さて、全員が揃ったので深圳の市内観光へ
ガイドさんは「お腹が空いたでしょう?」と聞いてくるがさっぱり空いていないのだ。何しろ、遅い時間に食べたから。

昼食: ギョーザを含む中華料理

市内観光はだだっ広いテーマパークの中にある二つの施設にて
錦秀(左に糸偏がつく)中華というミニ・チャイナとして中国の56の景勝地のミニチュアが展示してある場所をカートで見学をしていく。
例えば、万里の長城などであるが、半分ほどは行ったことがあるのでついつい本物と比較して見てしまう。

民俗文化村
モンゴル騎馬兵戦と伝統と文化の歌舞ショー
ストーリーがあるようで、悪者と戦う場面があり、そのアクションシーンはカッコよかった。コメディタッチのシーンもあるが、説明があった方が笑える。

騎馬兵戦

歌舞ショーは綺麗だった。物語風のものがあったが、説明があればもっと良かったかも。

歌舞ショー
歌舞ショー
外にいた全身真っ白のクジャク
確かに本物だが、その色は?

夕食: 四川料理

深圳は人口が4千8百万人で、平均年齢は32歳、地下鉄もある。
急激に発展した町なので、何をするにも深圳に元々住んでいる住民が優遇されるそうだ。
例えば、社会保険、年金や税金など。因みにガイドさんはハルピン出身だそうだ。給料がいいので、若い時に引っ越してきたのだとか。
中国は現在買い物には現金が使えないが、観光客用にHKドルが使えるところもある。
ガイドさんの話として忘れ物の多い順番。
日本人は老眼鏡、韓国人は傘、中国人は洋服だとか。

深圳

🛏 深圳泊
ホテルのスタッフはとても感じが良かった。部屋にいるとドアをノックされたので、「どなたですか?」と聞いても返事がない。仕方がないのでドアを開けるとお皿に果物を乗せたものを差し出した。リンゴ、バナナ、ペアとミニトマトだった。

4日目 7月31日
9:00 高速フェリーにてマカオへ戻る(蛇口岸より)
途中少し揺れたこともあったが、1時間ちょっとで到着

フェリー乗り場にあった
フェリー

出口で初日に会ったガイドさんが待っていてくれた。

マカオの歴史
1557年ポルトガルが明よりマカオの居留権を獲得した。要は借りたということ。これはオランダとポルトガルが戦ってポルトガルが勝利をした為。
1999年にマカオは中国に返還された。現在「一国二制度」となっている。

現在のマカオの観光客は年間3,500万人で8割が中国人。
学校は6-3-3制で授業料は全て無料。
マカオ・グランプリが毎年開催されて、今年で71回目。
国(地域)はカジノのお陰で潤っており、ガイドさんは今年政府から20万円を貰い、昨年は14万円もらったそうで何ともうらやましい話だ。
カジノは全部で21か所あり、世界遺産は25か所ある。
コロナの間は観光客も来ないし、マカオの人達も出境ができなかったので、大型のホテルに実費で宿泊し、後日かかった費用のすべてを政府から返還してもらったとか。
47年前に来た時はドッグレースを開催していたが、現在はやっていない。

早速、マカオ歴史市街地区観光へ
大雨の中、大勢の観光客でガイドさんの話も聞こえづらかったし、次から次へと足早に移動させるので一人脚の歩みの遅い人がいて、不満そうにしていた。

セント・ポール天主堂跡
ここは最も有名な場所なのでよく覚えていたが、近づいて行くと壁が「のっぺらぼう」で何も残っていない。
まあ、47年の間に風雨にさらされてこんなになってしまったかと残念に思っていたら、あれ?違った。裏側から行ったようだ。😉
表に回ると記憶にある聖母マリアやキリスト像などの彫刻などがちゃんとあった。
1602年に建てられたイエズス会の教会で1835年に起きた火災によりファサードと階段のみが残っている。その裏側は木造建築だったために焼け落ちてしまった。

セント・ポール天主堂
1977年のセント・ポール天主堂

聖ドミニコ教会 →セナド広場 →民政総署 →仁慈堂 →旧城壁 →ナーチャ廟
これらはガイドさんが早口であれがこれで、そちらがそれでと手で指して示しただけで何が何だか、さっぱり不明だった。
セドナ広場に出るまでの通りはお土産物屋さんがたくさん並んでいて、「試食はOKだが、買い物はだめです」とガイドさんが言ったにも拘らずに耳の遠い人はマイペースで「エッグタルト」を買っていた。

一つ気になったのは、ザビエルの右腕が保管されていると言った事。
え???インドのゴアの教会で確かに右腕を見たことがある私は、すかさず「インドのゴアにもあるでしょ?」と聞くと「ザビエルの体は世界中にちらばっています」と。それじゃ、返事にならないよ。
気になったので、帰国後、調べてみると我々が行っていない聖ヨセフ教会にあるが、同じ右腕でも肩から肘までの部分だとか。
確かに自分が見たのは、肘から手先までの部分だった。紛らわしいから、きちんと説明したほうがいいと思う。
因みに生前フランシスコ・ザビエルはマカオには来ていないそうだ。
ここから80km北にある広東省の上川島という場所で1552年に亡くなり、お墓もある。

マカオタワー
希望者は別料金で展望台まで行くが、そうじゃない人はベンチに座って待った。バンジージャンプで有名な場所だそうで、2階のベンチで座っていると降りてきた人が見えた。

港珠澳大橋?
マカオタワーの2階からの眺め

昼食: マカオ料理
ポルトガル風なので、一見西洋料理に見えた。前回来たグループの人からはパンしか食べるものがなかったと文句を言われて悲しくなったとガイドさん。
私から言わせたら、それは旅慣れしていなくて西洋料理を食べたことのない人の意見で、私は美味しくいただいた。

早めにホテルへチェックイン
今回はこのベネチアン ホテル宿泊が売りのツアーだが、2007年オープンと少々古くなっている。
カジノではバカラのテーブルが800台、スロットが600台もある。
まあ、物凄い人の波で圧倒されてしまいそうだ。ほとんどが中国人だ。

ベネチアン ホテル

取りあえず部屋に入り、荷物を置いて探検に出かけた。
まずは1階にあるカジノへ。
ラスベガスや韓国のカジノは行った事があるので、大体想像がついたが、見たことのないゲームもやっていた。そこでどうやるんだろうとしばらく見ていたら、突然、後ろの方で女性同士が喧嘩を始めた。ど突き合って周りの人達も巻き込みそうな勢いだった。
そこから離れてルーレットを見ていると誰も賭けていない数字の所に球が止まった。あら、残念でした。

2階はなくて3階のフードコートへ行ってどんなお店があるのかチェック。
ほとんどが、中華料理の店で真ん中にテーブルがたくさん置いてあってそこで食べられるようになっていた。
と同時にショッピング・ストリートとなっているため、だだっ広い通りをブラブラと散歩。普通に町中を歩いているような感覚だった。
いや~、洋服を見ても高すぎる。ゼロが一つ多いのだ。
これは計算違いかもしれないと翌日ガイドさんに念のために確認をしたので、間違いない。「私、レートの話しましたよね」と皮肉を言われながら。
ホテルの宿泊料金も自分が宿泊した部屋で正規では25万円とある。
まあ、これは地元の旅行会社との契約でいろいろと取り決めごとがあるそうだが。

運河があってゴンドラも船頭さんが漕いでいた。乗船すると歌も歌ってくれるそうだ。私はベネチアで乗った事があるので興味なし。

運河とゴンドラ

夕食: 自由食

その後部屋に戻った。
正直、この程度の部屋には宿泊したことがある。ここよりも初日のマカオのホテルの方が角部屋だったこともありモダンで素敵だった。
唯一良かったのはバスタブがついていた事。それまでのホテルはシャワーのみだったから。
今回は短い旅程なので、シャワーだけでも構わないが最後にお湯につかれるというのは嬉しい。
最近はどのホテルの部屋にもペットボトルの水が置いてあって助かる。
5月と7月に行った韓国でもすべて置いてあった。

🛏 マカオ泊

5日目 8月1日
帰国日
朝早い出発なのでお弁当を用意してくれた。
私はオープン前に並んで、空港で水分を没収されることが分かっていたのでレストラン内で食べた。出発までの時間が限られていた為、大急ぎで。
出てくるのが遅いがここで食べてもよいとガイドさんが言っていたし。
中華レストランだったのに出てきたのは洋風で目玉焼き、ソーセージ、クロワッサン、マフィン、ヨーグルト、コーヒーとオレンジジュース等で目もお腹も満足で更に美味しかった。
他の皆さんはガイドさんの言う通り、空港で食べるつもりでゆっくりとされていた。ヨーグルトが没収されたと嘆いていた人がいるが、あれも水分だ。

✈ 09:30 発 マカオ: マカオ航空(A321-NEO)
  15:00 着 成田

{結び}
兎に角、マカオの変貌ぶりには目を見張るものがあり、自分の目で見てくることができたので良かったです。
深圳にはあれだけでは物足りなく、又行きたいと思います。
気温は思ったよりも低くて大体28度位で日本よりもずっと涼しかったです。

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