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エジプト

93番)  2017年   2月
エジプトへ行ってきました。
1986年以来、31年ぶりで2回目の訪問です。その時はギリシャとトルコの3か国周遊だった為に南の方にある「アブシンベル神殿」と「アスワン・ハイ・ダム」まで足を延ばすことができなかったのです。
丁度、この時期にアブシンベル神殿の奥にあるご神像の一体に朝陽が照らす幻想的な光景が見られるという事で興味を持ちました。

旅行会社から最終の日程表が送られてきてぶったまげました。全員で40名とあったから。実際にはキャンセルが出て38名となりましたが、それでも満員御礼状態です。
1997年に「ハトシェプスト女王葬祭殿」でのテロ事件の後、観光客もすっかりと遠のいていると思っていたのに、出発前のこの人数に加えて実際に現地に行って更に驚きました。
観光地はもちろん、他の国からもたくさん来ていて、どこへ行っても人、人、人で「おしくらまんじゅう」状態の場所さえありましたから。💦

それとこれだけの大人数だと突出した人もいて、最後にご紹介します。

今回のルート

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エジプト・アラブ共和国}
面積: 約100万平方キロメートル(日本の約2.7倍)
人口: 9千5百万人
首都: カイロ
民族: 主にアラブ人(ヌビア人、アルメニア人、ギリシャ人他)
言語: アラビア語宗教: イスラム教、キリスト教(コプト派)
主産業:観光業、製造業他
歴史: 紀元前32世紀頃、統一王朝成立後、紀元前1世紀にはローマ帝国領となる。16世紀にはオスマントルコ帝国領となり、1952年にはナセル大統領の下で共和制に移行をした。
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1日目 2月19日
✈ 23:50 発 羽田: カタール航空(787-800)

2日目 2月20日
  06:00 着 ドーハ

✈ 8:00 発 ドーハ: カタール航空(A320)
  11:05 着 ルクソール
時差マイナス7時間

着後、🚌 世界遺産のルクソール東岸の観光へ
ここは古代エジプト王朝の新王国時代(紀元前1570~1070頃)にテーベと呼ばれ、首都として栄えた。

→カルナック神殿
テーベの守り神であったアメン神に捧げるために造られた神殿。
いくつかある神殿の中でもアメン大神殿はエジプトでは最大規模でトトメス1世のオベリスク(高さ約22m)やトトメス1世の娘であるハトシェプスト女王のオベリスク(高さ約30m)、またラムセス2世の建てた134本の大列柱室などがある。

大列柱

参道の両側には記憶のある羊頭のスフィンクス像がズラリと並んでいた。カルナック神殿は2度見ても圧巻の一言だ。

カルナック神殿の入口

13時ごろ、本日より「ナイル川クルーズ」が始まるために一端、乗船しランチ。
4艘の船が繋がって停泊していて、我々の船は他の船の中を通って3つ目で「エスメラルダ号」という名前だった。
1階から4階までは客室で5階はサンデッキとプールになっている。

15時ごろ、🚌 引き続きルクソール東岸の観光へ

→ルクソール神殿
カルナック神殿の副神殿として建立され、当初はスフィンクスが並ぶ約3kmの参道でカルナック神殿と結ばれていた。
第一塔門前にあるオベリスクは、もともと2本あった。現在は1本のみとなっており、もう一本はフランスのコンコルド広場にある。御覧になった方も多いでしょう。
遺跡と聞くと保存のためなどと称して先進国が勝手に持ち出した話などを聞くことがあるが、これはお互いの国がプレゼントをしあったのだとか。フランスからは時計塔が贈られている。しかし、個人的にはフランスが元の場所に返還してくれることを期待したい。

ルクソール神殿に残る一本のオベリスク

第一塔門を入るとラムセス2世の中庭、アメンホテプ3世の中庭、そしてその2つの中庭を結ぶ大列柱室がある。副神殿とは言えカルナック神殿と同様に壮大なり。

ルクソール神殿

その後、クルーズ船に戻る。
夕食: 船内の食事はすべてビュッフェ

ベリーダンスのショーがあった。
船は日本人の貸し切りで合計100名だった。我々のC社で38名、残りは2社の人達。

🛏 船中泊

3日目 2月21日
世界遺産ルクソール西岸の観光へ

→メムノンの巨象
アメンホテプ3世(紀元前1402~1364)の命によって建てられた彼自身の巨像で高さ2.3mの台座の上に、15.6mの像が置かれている。
重さは700トンもあるとか。

ここも前回見た時と変わらず、ボロボロに崩れており、顔など誰だか全くわからない。

メムノンの巨象

→ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王(在位が紀元前1479~1458)は、エジプト初のファラオとなった女性で、トトメス2世の死後、即位した幼いトトメス3世の摂政となり権力を手にした。やがてトトメス3世に変わり、自らファラオを名乗り実権を握るようになった。彼女は、ファラオとして公式の場では、あごひげを付け、装いも男性の衣服を身に付けていた。

ハトシェプスト女王葬祭殿

入口周辺にはライフルを持った兵士が数名警備をしていた。

ハトシェプスト女王葬祭殿

王家の谷
カイロから南へ約670km、ナイル川沿いに「古代都市テーベとその墓地遺跡」はある。
ナイル川によって東西に分かれておりカルナック神殿やルクソール神殿がある東岸は「生者の世界」とされ、反対に王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿などの墓地遺跡群がある西岸は「死者の世界」とされている。古代エジプト人は、太陽の沈む西の先に来世があると信じていた為、西岸に墓地を建設したといわれている。
岩山の谷にある岩窟墓群からはツタンカーメンを含む24の王墓と64の墓が発見された。
それぞれのお墓には入口に番号が振られていて、1枚のチケットで3つのお墓に入ることができる。

王家の谷

→ツタンカーメン王のお墓
王家の谷には、多くのファラオの墓があり、有名なのはツタンカーメン(紀元前1347~1328)の墓。
1922年イギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見された。
王家の谷にある他の王墓が盗掘の被害を受けていたにもかかわらず、彼の墓だけは、盗掘の被害を全く受けておらず2千点以上にも及ぶ副葬品が完全な状態で遺されていた。黄金のマスクは彼のミイラに被せられたままここで見つかった。彼の墓で発見された副葬品は、現在、カイロのエジプト考古学博物館に展示されている。

ツタンカーメンのマスク

入口から玄室まで入っていくと壁には派手なサルなどの絵が描かれており、一番奥には石棺の中にレプリカのミイラマスクが展示されている。

石棺とミイラマスク

傍にはツタンカーメンのミイラがガラス越しに展示されていた。こちらは本物だそうだ。
前回来た時はこれを見た記憶がないのだが・・・ま、体調が悪くて最悪の状態だったからあったとしても覚えてないのだろう。

→ラムセス4世のお墓
石棺は王家の谷で最大のもので玄室まで通じる壁にはヒエログリフがびっしりと描かれていた。王の象徴であるホルス神や召使たちや女性たちの絵も保存状態がとてもよく残っていた。

ラムセス4世の墓
Tripadvisor

→ラムセス9世のお墓
ここもとても大きなお墓で壁一面にヒエログリフが鮮やかに描かれており、玄室は地下にあった。中は当然真っ暗なので、当時は鏡を使って外から光を反射させて奥まで届けていたのだとか。現在はもちろん、ライトがつけてある。

ラムセス9世の墓
Tripadvisor

13時ごろ、クルーズ船に戻りランチ

2時ごろから「カルトゥーシュ」講座が始まった。
「カルトゥーシュ」とは王名を記したヒエログリフを囲む楕円形の枠のこと。本物は金で作成されるので、それなりの値段がする。
ここではアルファベットと対比をして自分の名前をヒエログリフ文字で探すお勉強会だ。
Tシャツに機械で刺繍をしてくれるので、申し込んだ。

カルトゥーシュ

15時ごろ、船はエドフに向けて出航した。
両岸にはナツメヤシやサトウキビなどが育っていた。

16時半ごろから船内ではデッキにてアフタヌーン・ティーが始まった。

18時半からは「カクテル・パーティ」と日程表にはあったが、私は荷物を増やさないためにドレスなどは持って行かなかった。ドレスコードについては何も記載がなかったし。
案の定、内容は「船の説明会」だったので、ドレスアップしてきた人達は「賢いわね~」と口々に。

20時ごろ、夕食

寝ている間に何だか騒々しい音が外から聞こえてきたが、疲れているので様子を確認する気力もなく・・・
どうも船が出航してから、物売りが小舟に乗って近づいてきたのだそうだ。
でもどうして夜中に???🤔

これを聞いて中国と北朝鮮の国境にある「鴨緑江クルーズ」をした時の事を思い出した。
あの時は日中だったので、我々の乗った中国船に堂々と北朝鮮側から物売りに近づいてきて、その様子を見ているだけで楽しかった。朝鮮人参から作られた高麗酒を買った人もいた。

船の航行中に「エスナの水門」を通り抜けた。
その後、エドフにて停泊

🛏 船中泊

4日目 2月22日
エドフ(ルクソールから南へ100km)の観光
馬車にてホルス神殿へ向かう

→ホルス神殿
紀元前237年~57にかけてのプトレマイオス朝時代に建設が行われ、エジプトの歴史の中では比較的新しい神殿であることと1860年まで砂に埋もれていたので最も保存状態が良好。
塔門や壁のレリーフもちろん、天井も崩落することなくしっかりと残されている。

ホルス神殿

高さ36mの第一塔門の前には2体のホルス像が鎮座している。ホルスとははやぶさの事でエジプト航空のシンボルともなっている。
ここは前回来ていないので、興味深かったし、何しろ、綺麗に残されていたのには大変驚いた。

入口のホルス神

船に戻り、コムオンボへ向けて出航

12時半:ランチ

15時半:アフタヌーン・ティー

16時: コムオンボ着

コムオンボの観光へ
→コムオンボ神殿
プトレマイオス朝(紀元前332~32)の時代に建設された珍しい二重神殿。建物の「二重」構造は、2神のために重複した中庭、広間、祭壇や部屋があったことを意味する。
神殿の正面より向かって右側半分は、豊穣と世界の創造の神であるワニの神セベクに捧げられ、左側の部分は、ホルス神に捧げられている。

コムオンボ神殿の二つの入口


セベク神(右)

船に戻り、アスワンへ向けて出航

19時: 夕食

20時45分: ガラベイヤ(民族衣装)パーティとヌビアンショー

ここでちょっとしたハプニングが・・・
同室のAさんがスーツケースのカギをなくしたようで、部屋に戻ったらすぐにベッドに横になったので具合が悪いのかと思った。
結局、4人ほどが部屋に入ってきて、四苦八苦の末、鍵を壊して開けてくれた。

🛏 船中泊

アスワン着後、停泊

5日目 2月23日
7時: オプショナルとして「ファルーカ(帆船)体験とイシス神殿の観光」がついていたが、参加せず、船内で過ごした。今から思えば、参加しておけば良かったと後悔・・・

8時: 下船し、一路約280kmをアブシンベルへ
🚌 これから3時間半は一気にアブシンベルへ向かうので途中のトイレ休憩はなし。バス車内にトイレがついているのに・・・
理由はこの区間は危険だからだとか。ライフルを持った警察官がバスの中に同乗してくれた。

途中、アスワン観光
→アスワン・ハイ・ダム
アスワンダムの建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保だった。しかし、1902年に作られたアスワン・ロウ・ダムだけでは力不足になった。
1970年に新たに建設されたアスワン・ハイ・ダムは、堤の高さが111 メートル、堤の全長が3600 メートルの巨大なダムである。アスワン・ハイ・ダムによって出現した、表面積5250 km2の人工の湖であるナセル湖の名は、当時のナセル大統領の功績を讃えて命名された。

アスワン・ハイ・ダム

12時ごろ、アブシンベル到着
皆、トイレに行きたくて必死の形相だった・・・
これはちょっと酷かったな。😠 旅行会社も現地の手配会社と交渉をして車内のトイレを使えるようにするべき。

ランチ: ヌビア料理(タジン鍋、ライス、デザート)

15時半ホテル着

ホテルは湖に面しており、散歩をしていると「ワニに注意」という看板があった。🐊

17:50: アブシンベル神殿の音と光のショーへ出発
これは大神殿と小神殿をライトアップさせ、プロジェクション・マッピングで神殿の岩山をスクリーンに見立てて映像を見せるショーのこと。

うわ~、また、日本人がやたらと集まって来た。それも同じ会社の支店からも参加をしているので、物凄い数だった。「今までどこにいたの?」って感じ。

実際のショーはま、あんなものでしょうが、驚いたのは光の先にUFOらしきものが見えた時だ。3機ほど、ふわり、ふわりと浮かんでおり、思わず「あれ、UFOじゃない?」と口走ると隣の知らない人も「絶対そうよ」と若干興奮気味・・・だった。その後、あっという間にどこかへ消えて行った。
後で、ガイドさんに聞いてみたが、ここでUFOが見えるという話は聞いたことがないとの事だった。

🛏 アブシンベル泊
お風呂に入った後、お湯を抜いてバスタブをきれいに掃除をして同室のBさんに「どうぞ」と言いに行った。「は~い」と言ってバスルームに入った途端に引き返してきて、「ちょっと・・・」と言う。そこからは大量の水が部屋まで流れ込んできていた。同室の人もこういう事には慣れているようで、二人してお掃除をする羽目に・・・

6日目 2月24日
早朝、アブシンベル神殿の光の奇跡鑑賞へ
これは大神殿奥の至聖所に鎮座する4つのご神像(太陽神であるアメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、メンフィスの守護神であるプタハ神、ラムセス2世の像)のうち1体を朝陽が照らしだすもの。
至聖所には近づいて見学できたので、ここにも多くの人達が押し寄せており、何度も係官から静かにするようにと注意を受けているにも拘らず〇国人達がお喋りをしてうるさかった。「プツン」と切れた私は「静かに!」と英語で言うとシ~ンとした。
あまりにも急に静かになったので、「あれ?何か私悪い事でも言ったかな?」と思ったほど。

ラッキーなことにご神像の右から2つに太陽が照らしてくれて感激!
これでも人数は少なかったようで、4体全部に朝陽が照らされたのは2日前だったが、その時は3600名もの観光客が押し寄せており、結局何も見られなかった人の方が多かったそうだ。

アブシンベル神殿(大神殿の内部)
至聖所にある4体のご神像

辺りが明るくなったのでアブシンベル神殿内の見学

1960年代のアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、移設されることになった。現在の神殿は、もともと遺跡があった場所から北へ60m先の丘の上へ移動したもの。建築物は細かく分断され、1968年に工事は終了。かつての神殿跡地は、人造湖であるナセル湖に沈んでいる。

ここは、エジプト新王国時代、第19王朝のラムセス2世(紀元前1303年頃〜1213年頃)によって建造された。
大神殿
入口には、高さ22mもある4体(20代、30代、40代、50代)のラムセス2世の像が並んでいて、その間には母や王妃、息子、娘の像が彫られている。正面左から2体目の像は地震により崩壊したもので、破壊されたものではない。また、神殿内にも多くのラムネス2世の像が掘られていて、彼の功績である「カデシュの戦い(紀元前1286年頃)」で活躍する姿が壁画に描かれている。

これが夢にまで見たアブシンベル神殿かと思うと感無量であった。😂
また、ナセル湖の青い色と神殿や周辺のベージュの色のコントラストが誠に綺麗だった。

アブシンベル神殿(大神殿)
ナセル湖と大神殿

小神殿
大神殿から北に120m離れた場所には小神殿が築かれていて、これは愛と美の女神であるハトホル神と、ラムセス2世の王妃ネフェルタリ(不明~紀元前1225年頃)に捧げられた神殿。正面には6体の像があって4体がラムセス2世で2体はネフェルタリ。

アブシンベル神殿(小神殿)

ラムセス2世は自己顕示欲が強い人だったのかも・・・

小神殿の内部

その後、🚌 来た道を戻り、再度3時間半かけてアスワンへ
帰りは車内のトイレを使ってもよいとずいぶん時間がたってから言われた。

✈ 13:00 発 アスワン: Air Leisure(A340-200)
  14:30 着 カイロ

アスワンを離陸後、すぐ右手にアスワン・ハイ・ダムが見えてきた。

カイロ到着後、ホテルへ
空港からホテルまではビルが立ち並び、更に建築ラッシュで都会に来たことを感じさせた。
途中から、ギザのピラミッドが見えてきて車内からは歓声が上がった。

🛏 ギザ泊

7日目 2月25日
世界遺産のギザ観光へ

→スフィンクス
ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオの顔とライオンの体を持つ神聖な存在である。
王の象徴である顎鬚をつけ、敵を打破する力、あるいは王または神を守護する象徴とされている。

スフィンクス

3大ピラミッド
造営時期は現在から約4500年前の、紀元前2500年頃とされ、いずれもエジプト第4王朝期に建設されている。古代エジプト王国のファラオの陵墓であり、被葬者はクフ王、カフラー王、メンカウラー王とされる。

→クフ王のピラミッド
三大ピラミッドの中で最大で、高さ138.8mである。このピラミッドの底辺の長さは約230m。1954年に付近から長さが43m以上ある「太陽の船、クフ王の船」が分解された状態で発掘された。

前回中へ入ると薄暗いし狭いし急な階段もありで、筋肉痛になったので今回は止めておいた。私と同じ時期に以前入った事のある人もやはり筋肉痛になったと言っていた。
他の方達はもちろん登って行かれたので、私は一人で周囲の見学をした。
ぐるりと一周するとかなり広くて、後ろ側は見た事がなかったし、東側には、3基の王妃たちの小さなピラミッドが南北に並んでいて、通常では見られない景色が見られたので、かえって良かったと思う。

クフ王のピラミッド
入口は上の方にある

3代ピラミッドが見渡せるパノラマポイント
ギザの三大ピラミッドは、オリオン座の真ん中にある3つの特徴的な星の並びになぞらえて建てられたものだという説があってロマンがある。現在ではその説は否定されているが。

3代ピラミッド

ランチ: ケバブ、ライス、デザート

エジプト考古学博物館
ここは前回、体調が悪くてほとんど記憶がないので楽しみだった。
前回はガラスケースが壊れていて、いくつものミイラが半分飛び出していたりして、管理が行き届いていなかったが、今回は綺麗に展示がされていた。
全てが本物なのでツタンカーメンの黄金のマスクや何層にもなるミイラマスク、副葬品など見ていて本当に目の保養になった。
ミイラ室の特別展示は別料金で千円、ツタンカーメンの黄金のマスクとの記念写真は5千円かかり、ぼったくりも甚だしかったが。
新しい博物館が別の場所に日本の援助で近々オープンすると聞いた。

エジプト考古学博物館
Tripadvisor
黄金のミイラマスク
Tripadvisor
お墓から出てきた副葬品
Tripadvisor
ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンが描かれた黄金の椅子の背もたれ

夕食: グリルドフィッシュ、ライス、デザート

帰国の為に空港へ
途中には新しい博物館が完成しているのが見えた。

8日目 2月26日
✈ 00:55 発 カイロ: カタール航空(A320)
  04:55 着 ドーハ

✈ 07:10 発 ドーハ: 同上(787-800)
  22:30 着 羽田

このカタール便は夜遅い到着の為に平和島の温泉施設での宿泊がついていたので助かった。

結び
今回はとても古い歴史のある国を再度訪問することができて、テンションが上がりっぱなしでした。

尚、今回はとんでもない「旅の達人」に出会ったので書き留めておきたく。
その方(50代)は月に3回のペースで海外旅行に出かけて、年間では40回ほどになるとか。アブシンベルのホテルで同室になった方です。
日本には3日しかいない年もあって、成田市での消費税が免税になるらしく、そこで買い物をしまくるらしいです。
当然、帰国したら翌日には次の旅行に出発するというスタンスを保っているようです。
海外だけではなく、国内も入れているのでほとんど家にいない生活だとか。
今回は一緒ではないお友達(60代)も同じようなペースで旅行をしていて、二人とも早く行かないと体力がなくなるし、いつ死ぬか分からないからという理由でこのような生活を続けているらしいのです。
旅慣れている割には集合時間には必ず遅れてくるので、皆さんの顰蹙をかっていましたけどね。会話や行動を見ていても我が儘だしマナーがなっていないことは感じましたよ。チクリ!

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