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雪と楽器とお道具コンプレックス

札幌に雪が降った。
まだ恒久的に積もるほどではないけれど2日間積もった。だんだん札幌の冬が近寄ってきた。私にとって24年ぶりの冬が。

私は札幌で生まれ育った。今札幌に住むようになったのは、実家の両親やきょうだいが健在なこともあり、いまいちど地元に帰って地道に生活をしていこうかと考えたのも理由の一つである。とは言っても両親はもう80代になっているし、親孝行とまでは言わなくても、近くに住んでいた方が何かと都合がいいだろうとも考えたからでもある。

札幌の冬は寒いらしい。雪かきが大変らしい。
誠に憂鬱になる。

寒いのも、雪もはっきり言ってあまり得意ではない。まあ雪が得意という人もあまりいないのかもしれないが、雪遊びをするような子供たちは雪が好きかもしれない。私には雪のいい思い出はほとんどない。

雪といえば、スキーとかスノーボードだとか、ウィンタースポーツを楽しむ方がいる。私はウィンタースポーツも苦手である(スポーツ自体が苦手なのだけれど)。

スキーと聞いて思い出すのは中高の頃のことである。

以前にもここで書いたかもしれないけれど、私は地元のお坊ちゃんが行くような中高一貫校に通った。両親が教育熱心で、末の長男だったということもあったのだろう、私の教育に文字通りほぼ全身全霊をかけてくれた。それで、小学校の頃から塾に通い、やっとのことでその坊ちゃん中高に入学した。

両親が公務員であったこともあり、経済的にはそれほど困ることなく幼少時代を過ごした。いやむしろ、今でもおそらくその恩恵を被って生きていると言えるだろう。

しかし、坊ちゃん中高では違った。周りの友人の多くは私の想像もつかないくらい経済的に豊な家庭に育っているのである。本人たちの責任ではないのだけれど、豊な家庭に育つことは彼らの価値観、立居振る舞いはもちろん、少年時代の生き方の9割以上を決めていた。それは、高い水準の教育を受けることでもあり、粗野な性格の奴ですらそこに漂う独特の上品さであり、身につける高価な品々、金銭感覚、すなわちどんな友人とどんな付き合い方をするか、放課後どんなことをして過ごすか、少年時代のほぼ全てであった。

当たり前のことではあるのだけれど、そこには通り過ぎることのできない壁があった。私の学校の成績が悪かったことは、経済的な理由とは全く関係のない事由から(たんに勉強が嫌いだった)であったが、学校の成績が悪い上に彼らほど豊な家庭に育っているわけではない私は、学校生活をおくるに於いてたくさんのコンプレックスを背負いながら過ごした。過ごしていたのだと、勝手に思っている。

その代表的なものがスキーだった。

札幌の小学生はスキーの時間がある。私もスキー学習でスキーを習ったので、内地の人たちよりはスキーには恵まれた環境で育っている。けれども、スキーというのは金持ちのスポーツであるということを中学に入って強く感じた。同級生のお道具がどれも立派なのである。

黒光するエランやらロシニョールの板、ふわふわで暖かそうなエレッセやらなんやらのウェアやアンダーウェア。教室の9割以上が当たり前にそれらをぶら下げているのだ。もっとお金持ちのご家庭の方々のお道具に記されていたブランドについては、そもそも私は名前さえ知らなかったので、覚えてすらいない。

私も、両親にお道具を買い揃えてもらえていたので、一般的な家庭よりも豊ではあったのだけれど、同級生たちと比べられるようなものではなかった。

今考えるとそれは大したことではないのだけれど、少年時代の私にはとても大きなコンプレックスだった。

そのことを察したのか、中学の頃寮で一緒だった友人の一人が金持ちのスポーツというパラダイムの外側で、私がスキー遠足に行く時は一緒に付き合ってくれた。学校のスキー遠足の際にスキー場に行きながらも、私と連れ立ってサボタージュし、そのイベントを金持ちの道楽から不良になるための(不良を演じるための)抜け道のように変えてくれたのだ。

彼は、地元で一番大手の銀行のお偉いさんの倅でスポーツは万能だったのだけれど、帯広だったか遠軽だったかの出身だったこともありスキーだけはからっきしだったのだ。彼と同じくスキーが苦手な私を見て、いい仲間が見つかったのだと思ったのだろう。スキー遠足の時に彼は進んで私と一緒の班になり、他数名のスキーが苦手な同志(道外出身者等)を従えてスキー場でいつまでもサボっていた。

そのサボり方は、ゴンドラで一番上まで乗ってそのまままたゴンドラで降りてきたり(実際は滑るつもりで登ったものの、怖くなって降りられなかった)、スキー場のリゾートの温泉に浸かったり、ソフトクリームを食べたりするというものだったのだが、私たちの班は私たちなりにそのスキー遠足を楽しんだ。そして、それらにかかるエクスペンスは彼が払ってくれた。

「ほら俺、スキー全然できないからお前も一緒にサボろうぜ」とか言いながら、私の分の入湯料やソフトクリーム代を払ってくれた。彼は生まれ持っての素直さがあり、それのおかげか全然恩着せがましさがなく、嫌味さもなく、一連の全てを自然にできるところがあったのだ。

彼のおかげで、良かったのか悪かったのかはわからないけれど、苦痛だった学校のスキーのイベントも大して負担にはならなくなった。

しかし、スキーのお道具コンプレックスが無くなったわけではなかったのだが。

そんなこんなで、スキーやらウィンタースポーツそのものはあまり好きではない。札幌の冬というものがそもそも好きではない。

私はあの頃から抱える「お道具コンプレックス」を今も引きずり、楽器という「お道具」に惹かれるのかもしれないなどと時々考える。誰に見せても恥ずかしくないお道具を手に入れたい。という感情がねじ曲がって、値段だけでは語り尽くせない楽器の世界を探求したい(実際、楽器ほど値段に正直なものも世の中には少ないのだけれど)。人よりも「ちょっと良い」楽器を手に入れたい。そのためにはボロでもいいから良いものを手に入れて治しながら使いたい。その道の世界最高の一台を自分の手で蘇らせたい。と思うようになったのかもしれない。

その延長線上で、エレキギターをいじったり(時にはエフェクターやらピックアップを作成したり)、Rhodesピアノを修理したりしているのかもしれない。

楽器は実際に演奏してなんぼのものなので、単なる「お道具」ではない魅力(同じ楽器からでも奏者によって音が異なる)だとか、純粋に「お道具」としての厳しさ(ラフな扱いにも耐えられるように調整し、トラブルが起きないようにしておかなければならない)があるのだけれど、その辺りは別の機会に。

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