私たちはアメリカ音楽の最も偉大な存在を失ってしまった。
クインシー・ジョーンズが亡くなってしまった。91歳だったという。
クインシー・ジョーンズは間違えなく現存したプロデューサーの中で最も偉大な存在であったと言えるだろう。数々の名盤をプロデュース・アレンジしてきて、それらは枚挙にいとまがない。ポップス、ロック、ソウル、ファンク、ジャズ、R&Bに留まらず、音楽のジャンルを超えて最もクオリティーの高い音楽を作り続けてきた。
そんな偉大な存在が亡くなってしまった。
クインシー・ジョーンズの遺したアルバムで私が最も好きなのはフランク・シナトラのLA is My Ladyである。
ジャズ・フュージョン界の大御所が集まり、ビッグバンド編成で一気に録音したこのアルバムは、クインシー・ジョーンズがプロデュースし指揮をしている。
アルバムは、ビッグバンドをバックにしたフランク・シナトラがジャズのスタンダード曲の数々を歌いまくるという趣旨のものなのだけれど、サウンドがファットで、豪華で、迫力があって、A面を聴くだけでも満足してしまう。
特に好きなのは、3曲目の”How do you keep the Music playing”。ミッシェル・ルグランの書いた美しいバラードだ。
ピアノイントロから始まり、壮大なビッグバンドサウンドに包まれフランク・シナトラが軽やかに歌い上げる。音楽の一つの完成形なのではないかという名演だ。
こういうアルバムを作れるマジックがクインシー・ジョーンズの音楽にはあった。
クインシーといえば、Rhodesピアノに市民権を与えたアレンジャーとしての一面も語られてもいいだろう。ボブ・ジェームズもデイブ・グルージンも、クインシーに導かれるようにしてRhodesピアノの名手としての存在を不動のものとした。
Down the Rhodesという数々のRhodesプレーヤーのインタビューを纏めた書物があるのだが、もちろんクインシー・ジョーンズもその中で登場する。
クインシーは普段ジャズに使われていなかったような楽器の多くを自分の音楽作りに取り入れた偉人だった。トゥーツ・シールマンスのクロマチック・ハーモニカやバス・クラリネット、フルート。その中にRhodesピアノもあった。
彼の音楽には新しいアイディアが盛り込まれていたし、常にそれを探求しながらも、カウントベイシー楽団のような王道のジャズへの敬意を忘れていないようなところも感じられる。
アメリカ音楽界の最も大きく輝いていた存在が、空の星になってしまったようだ。
私たち音楽愛好家に数々の名盤を、名演を残してくれてありがとうございました。