サービスの延長線上にこそ恋愛がある
バーテンダーという職業は人から見られる職業だ。
だから僕らはこの仕事につくとはじめに清潔感、礼儀、言葉遣い、姿勢などのお客様から見える部分には徹底的に気を付けるように教わる。
あるお店に勤務することになった初日。いらっしゃったお客様に「いらっしゃいませ。」と丁寧なお辞儀と挨拶をした僕に先輩は「うちはアットホームな距離感を大切にしているから『いらっしゃいませ』じゃなくて『こんばんは』」という言葉を使って」といった。姿勢も服装も清潔感は大切だけれど、ピシっとなりすぎるなとも教えられた。仕事帰りの疲れたサラリーマンや近所に住んでいる地元のお酒通の方が主な客層のこのお店では絵に描いたような美しい所作は求められてはいなかったのだ。しかしカクテルのクオリティは高く、いまなぜその手法を使ったのか、なぜその配合で作ったのか、なぜそのグラスを選んだのかを徹底的に考えて作ることを求められた。扱っているウイスキーなどもマニアックなものが多く、覚えるのに苦労したことを今でも覚えている。
また別のお店では日ごろから気を付けていたはずの姿勢を厳しく注意された。「お前は猿か?鏡を見てこい。」日に何度も注意されることもあったし、先輩だけでなく常連のお客様にも口調や姿勢をこと細かく注意された。このお店は演劇、茶道、華道、舞踊といったその道に通じたお客様がとても多く、絵に描いたような美しい所作が求められたのだ。提供するお酒もそれが反映されたように美しく均整のとれたものだった。「作る所作で飲ませろ」と教えられ、余計なアレンジは許されず、型通りに洗練されたメイキングが要求された。特別に珍しくマニアックなお酒を扱うこともしなかった。
僕にとってはどちらもとても印象深いお店だし経験だった。同じバーと名の付くお店なのにサービスの仕方が異なれば客層もガラリと変わるということを教わった。もしかしたら、どちらのお店ももともとバーテンダーが来て欲しいゲストにあわせてサービスを調整していたのかもしれない。
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バーテンダーに限らずサービスマンは往々にしてこのようにさまざまなサービスの形を経験し、自分の理想とするサービスの形を模索していく。はじめたばかりのころはただ闇雲に見様見真似でいいサービスをしようとして多くの先輩やお客様に叱られて、少しずつ相手に自分を合わせる術を学び、相手を自分に合わせる術を学んでいくのだ。そして最終的に自分の表現したいサービスともっとも相性のいいお店に身を寄せたり、一からすべて理想のサービスを実現するために独立して自分のお店を立ち上げたりする。
僕はいつもこれは恋愛や結婚に似ているなと思う。恋愛や結婚も自己満足では絶対に成立しない。バーにくるお客様のように相手は十人十色でさまざまな価値観を持っている。もし、素の自分にマッチしていない相手(素の自分と完全にあう人間など存在しない。お店と同じでそれはもう自分で作るしかない)とうまくいきたいなら自分を相手の理想や好みにあわせるしかない。もしくは相手の理想や好みを自分に近づいてもらえるように工夫するしかない。そうした訓練を受けてきた僕らですらそれは難しいのに、もっとプライベートでパーソナルな部分を通してそうしたやり取りをしなければならない恋愛や結婚というのは、ほんとうにうまくいくのが奇跡だ。もしくはいずれかが天性の人に合わせ好かれる力を持っているという事なのだろう。
この仕事を始めたころにある先輩に言われた言葉が思い出される。
「サービスの究極の形は恋人やパートナーにしてあげたいこと、して欲しいと思っていることをゲストに提供することだ。サービスは恋愛の延長線上にあるんだよ。」
この考えは長らくぼくのサービスマンとしての基礎になっていたし、ことあるごとに反芻し仕事に取り入れてきたものだ。じっさいにこの考えを持っているサービスマンは結構多いのではないだろうか。しかし、僕の今の考えは逆だ。
サービスは恋愛の行き着いた先ではない。むしろ恋愛のほうがサービスが行き着いた先にあるのではないか?優れたサービスマンだから恋愛を完ぺきにこなせるわけではないが、もし誰をも虜にしてしまう恋愛のスペシャリストがいたら、きっとその人はサービスをやらせてもソツなくこなしてしまうことだろう。
そう、「サービスの延長線上にこそ恋愛がある」のだ。