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HSPあれこれ―そもそも感受性Sensitivityってなんですか― | 京都・四条の心理カウンセリング カウンセリングオフィスSHIPS 認知行動療法・ブリーフセラピー

 こんにちは。カウンセリングオフィスSHIPS代表です。京都 四条烏丸でカウンセリングルームをしています。オンラインカウンセリングもしていますので、全国からアクセス可能です。

 当オフィスは、ブリーフセラピー、認知行動療法を中心にしたアプローチで、プラグマティック(実用主義的な)支援を掲げてカウンセリングをおこなっています。

さて、本日は、HSPについてあれこれ綴っていこうと思います。当オフィスにもHSPの方が来られますが、その方々にもお伝えしていることです。感受性というものは、どういうものなのか、どう捉えていくといいのかっていうことについてです。
 HSPを、HSS型と非HSS型と内向性・外交性をかけあわせた4分類なんかもありますが、今回はそれも一応ふまえつつも、あえて一緒にしてます。どれにも共通する感受性Sensitivityについての話だからです。

はじめにー重要なお断り

 定番となりましたが、今回も無用な誤解を招かないように、読んでいただく前のお断りからはじめます。

 まずHSPとは、Higly Sensitive Personの略称で、「高い感受性(Highly Sensitivity)を持った人」という意味の概念です。「繊細さん」と訳されて一躍脚光を浴びましたね。

 このHSPですが、詳しい方はご存じのとおり現在のところ医学用語、医学概念ではありません。そして診断名でもありません。ひとりの心理学者が提唱した心理学概念です。
 HSPの基本的な事柄について知りたい方は、提唱者のエレイン・アーロン博士のHPを参照してみましょう(http://hspjk.life.coocan.jp/index.html

 どこでもそうですが、精神科領域で用いられている医学概念も、はじめは経験知から生まれますが、そこから他覚的な判断基準(診断基準)を確立すべく、その信頼性や妥当性について精査に精査を重ねて、疫学調査も行われて、アカデミアの中で合意がとれられていくなかで確立される概念です。そして、一度整えられた診断基準も常にブラッシュアップしていくために検証が続けられているものです。

 つまりHSPは、研究は続けられているものの、まだ医学概念でもない、まだまだ発展途上の概念です。医学概念ですら完ぺきではなく、曖昧なところを残しながら常にブラッシュアップされているわけで、HSP概念もまたさらに多くの曖昧さを残しているものといえます。
 なので、HSPとはこうだ!っていうのは実はまあ誰もが明確なことは言えない状態なんですよね。ある構成概念を定義しようとすると、その定義から微妙に外れるケースが生じるのは当然で、そうするとより包括的に定義しようとして、ほかの概念を引っ張ってきてタイプ分けしたり、特性論として論じようとしたりするものです。HSS概念なんかもそれです。

 最近は、HSS型HSPというような概念もでてきて、外交的な性格と繊細さを併せ持っているタイプもいるよなんて話もありますね。これからもっと細分化されていくかもしれません。

 とはいえ、HSPであるか否かの判断基準ですらまだ曖昧です。アーロン博士のHPに自己診断テストがありますが、妥当性、信頼性の検討にはまだ改善の余地はありそうです。
 また少なくとも、HSP特性があることによる、ほかの傾向との関連や影響について推測を重ねたり、拡大解釈したりすべきではありません。

そもそも感受性の高低とは?

感受性とは「受け取る情報量の多さ」のこと

 HSPとは疾患や欠点でもないし、気質であるというのは、アーロン博士も言っていますが、そもそも感受性Sensitivityが高いってどういうことなんでしょうか。

 感受性とは、情報に対する鋭敏さの度合いであり、「同じ情報に触れたときに受け取る情報量の多さ」ということです。
 たとえば、視力の良し悪し(視覚的な感受性)と同じです。視力が良い人のほうが、同じ景色を見たときに、より見える情報量が多いですよね。聴覚も同じです、絶対音感というのは、音階に聞こえるという点で、同じ音を聞いたときにそれがない人よりも多くの情報を得ているわけです。
 味覚であればなにかを食べたときに、「うまい」か「まずい」かしか感じられないと感受性が低いということになりますね。子どもは、感受性も発達途上で未分化ですから、「うまい」「まずい」しか言えなくても当然です。でも段々感覚が分化してくると、「うまい」と「まずい」の間にも、さまざまな表現が生まれてきますね。これらも感受性です。

 HSP概念が表すところの感受性Sensitivityは、それらを包括した外的刺激(あらゆる情報)に対する感受性全般を指していて、そのへんの定義も結構曖昧でゆるいのですが、HSPの主たる困り感のもとになっているのは、主に対人刺激(人間関係)に対する感受性でしょう。同じ対人場面でも、そこで受け取る情報量が多いってことです。

 そこでHSSとか、外交性とかっていうのは、その刺激を求めたがるタイプかそうでないかという志向性のちがいで、感受性が高いという点ではどのタイプも同じです。
 それから「感受性が高い」=「より多くの情報を受け取る」ということなので、食べ過ぎたら苦しくなるように、情報をいっぱい受け取りすぎると最終的には誰もが苦しいわけですが、どのくらいの情報を一度に抱えられるかは個人差があり、その個人差は「感受性の高さ」とは別です。なので、最終的にはキャパシティを超えるとしんどくなるのは一緒ですが、「感受性が高い」イコール「弱い」ではありませんし、「キャパシティが低い」ということでもありません。

 感受性が高いと一度により多くの情報を受け取るから、結果としてすぐお腹いっぱいになりやすくて、それを対人特性で表現すると「人の感情に敏感」「人に気を遣いやすい」「些細なことが気になって考え続けてしまう」といった傾向があるよということですね。だから、HSPではない人だって、いっぱい情報を受け取ったら、最終的にはお腹いっぱいになるわけで、いずれは傷つくし悩みます。感受性が低いから、お気楽とか、悩みがないとか、そういうことでもないですね。

HSPは特殊技能 

 では、この感受性の高さって弱点なのでしょうか。確かに、受け取る情報量が多いので、それを自覚してうまく使いこなせないと疲れてしまいます。ただ、受け取る情報量が多いことそのものは悪いことではありません。視力、聴覚、味覚と同じように、感覚が分化しているということは、より精度高く情報を受け取ることができ、分析できるということでもあります。

 繊細さんの本で脚光を浴びて、「生きづらさ」を代表するような特性のような印象も持たれがちですが、高い感受性は本来、もって生まれた特殊技能です。高い感受性を持つことからくる辛さや苦悩を軽視しているわけではありません。ただ、その感受性を生かすか殺すかは捉え方次第でもあります。絶対音感の人も、その技能を生かそうとすればその技能によってほかの人よりもより大きな成果を出せるでしょうが、そうでなく、ただただ不快なものとして扱ってしまうと苦痛でしかないのと同じです。

 HSPとしての感性が豊かで創造力や対人的な機微が高いということは、人々が抱える感情や心理的ニーズに対する理解力が高いということでもあります。そのため、HSPは人々に対して基本的に優しく、誠実で、思いやりのある対応をする傾向があり、対人援助職についている人のなかにも、HSPの人は多いといえます(HSPじゃない対人援助職の方ももちろんいます)。

HSPを偏差値に置きかえてみましょう

偏差値換算すると58以上がHSP 

 感受性の高低というのは、相対的なものであり、平均からどの程度高いか低いかということです。
 平均からの逸脱(ばらつき)を示すわかりやすい指標に「偏差値」がありますね。皆さまも、学生時代に聞いたことがあるのではないでしょうか。偏差値というのは、正規分布を前提として平均50、標準偏差10になるように調整された統計指標です。簡単にいえば、平均の50から離れるほど少数派になっていきます。


 アーロン博士によればHSP気質の人は5人に1人はいるということですから、この感受性の高さを、偏差値に置きかえてみましょう。この視点で考えるのは珍しいとは思いますが、すると偏差値換算で約58以上の人がHSPと判定されることになります。
 偏差値58って、どうでしょう。まあまあ高いでしょうか。でも学業成績でいえば、そこまでめちゃくちゃ高いわけではないですよね。100人中、20番目くらいの成績が偏差値58です(だから偏差値58以上の人は5人に1人いるということになります)。ちなみに、偏差値60で100人中約16位、偏差値70で約2位か3位くらいです。

偏差値70ならもはや天才

 だから一口にHSPといっても、偏差値58くらいのHSPもいれば、偏差値70くらいのHSPもいて、ばらつきがあるでしょう。

 HSP特性に強く悩んでいる人は、偏差値58とか言われても納得しないかもしれませんね。HSPのなかでも、より高い水準の感受性を持っている人かもしれません。偏差値70くらいだと、100人中2人か3人しかいませんから。

 でも偏差値70といったら、天才ですね。もう選ばれし者です。天才には天才なりの苦悩があるのもうなづけます。HSPの情報を受け取りすぎて疲れやすい気質というのは、知的能力上の天才も常に頭がフル回転してしまって疲れやすいみたいなものですね。ただそれ以上に、その能力を活かす道を考えたいですね。

HSPの人に知っておいてほしい内緒の話

「世界は、自分より鈍感な人たちでできている」

 話し方や表情で相手の気持ちを察知できる一方、それを気にしすぎてしまう HSPの人に知っておいてほしいことがあります。自分はとても周囲に気を遣って生きているのに、周りはそうでもないように思えるし、なんで自分だけこんなに苦しいんだろうって思う方、そんな人に向けています。

 でもこれ、あまり大っぴらにはいえないので、あまり本にも書かかれていません。ともすると誤解されて、HSPじゃない人たちの気を悪くしてしまうかもしれないからです。だから、HSPの人も、こっそり胸に秘めておいてほしいです。だれかを貶めたり見下したりするためではなく、自分自身の精神衛生を保つために。だから誤解恐れず、言います。

それは「世界は、自分より鈍感な人たちでできている」ということです。

 いやまあ繊細さんじゃない人の方が多いのでそりゃ当たり前なんですが、最初あんまり実感してないHSPの方も多いので、結構大事です。自分の感受性の高さを周りも同じように持ってると思ってるというか。自分と違う感性について想像を働かせるのって難しいので仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。

 ちなみにあの、決して優生思想論者でもないですし、HSPじゃない人をダメだと言っているわけではないですよ。あくまでもHSPの人が知っておいてほしいことです。

 世の中、様々な感性の人がいて成り立っているし、敏感な人も鈍感な人もいて、多様であるからこそいいんです。芸術的な感性でいえば、私たち一般人(鈍感な人)からしたら、優れた感性の人(芸術家)がいるからこそ、自分には到底思いつかないような発想や感性、創造性にあふれた芸術作品に出会うことができ、それをアートやエンターテイメントとして堪能することができるわけですよね。芸術家の方からしたら、自分の作品を見て評価してくれる人がいるからこそ、自分の感性を存分に表現する創作活動に励むことができるわけです。

 お互いがお互いに支えられているわけですし、それでいいんです。

周囲はそもそも鈍感で気づけない

 というわけで、HSPの人はその高い感受性を苦悩に感じていたとして、その機微を周囲に理解されないとしても、それは仕方のないことです。偏差値の70の人にしか解けない問題は、偏差値40の人にはやっぱり解けないのです。そもそもHSPの人が気づける情報に気づけない(感受できない)ということです。
 もしその機微を共有できる人(気が合うなって思う人)に出会えたら、天才同士が出会ったのと同じで、それはとてもレアで幸せなことですから大切にしてください。でも、周囲の人が自分と同じ感性で物事をとらえてくれなくても、それは無理難題というものです。もうこれは事実だからしょうがない。

 「この世界は、自分が思っているよりかなり鈍感な世界なんだな」って思っておきましょう。視力が良すぎる人にとっては、周りは自分よりも視力が低い人、見えていない人たちだらけです。自分が気づける情報に、周囲は気づけません。あー見えてないんだなってことです。周りに自分と同じような視力を求めることはできませんし、(視力の話じゃないけど)たとえば自分の失敗を見られた!どうしようって気にしたとしても、実は周りには見えていません。

 聴覚も嗅覚も、そして対人的感受性も同じです。周りの見えてなさに驚くことはあっても、怒ったり不満に思っても仕方ありません、というかそんな態度をとったら嫌な人になっちゃいますよね。自分に解ける問題を解けない人を馬鹿にするような態度みたいですし。まあもっとも、対人機微の高いHSPの人なら、そもそもそういう軋轢を生むような対人関係を望みはしないでしょう。だから気になる刺激は、自己防衛しましょう。

手を抜いても気づかれない

 でもだから、実のところ、HSPの人がちょっと手を抜いたところで、周りの人は気づけません。
 たとえば、トップバイオリニストの弾く音楽を聴いた場面を考えてみましょう。バイオリニストも人間ですから、微妙に調子の良しあしがあるのが普通ですが、これがトップバイオリニスト同士(高い感受性を持つもの同士)なら、「あ、今日はAさんちょっと調子が悪いかな」と気づけたとしても、私のような一般人からしたら気づけません。なんなら、ちょっと手を抜かれたとしても、スタンディングオベーションするでしょう。気づけないから。

 それと同じで、高いHSPの人は、対人場面でも気を遣って気を遣って神経すり減らしてしまうことがあるでしょうが、そこまで神経すり減らして、自分の思う100点満点の気遣いをしても、70点くらいの気遣いとの違いに周りの人は気づけません。70点くらいの気遣いでも、「ああいつも、Aさんは細やかだなあ」って思われます。ちょっとさすがに失礼じゃないかなって思うくらい手を抜いたとしても、周りに気づかれないです。どのくらいの手加減で気づかれるか実験してみるのもいいでしょう。もし、手を抜いていることに気づいてくれる人がいたとしたら、その人は自分と同じくらいの感受性をもったHSPで、大いに気が合う可能性があります。

 HSS型HSPといわれるような人に多いでしょうが、やりたい/やらなきゃいけないけど色々考えすぎちゃって動けないとか、すぐぐったりしちゃう、やる気のあるなしの差が激しいというようなHSPの方も、それでいいんです。もっと世界は鈍感で適当な人であふれていますから、自分の中では動けてなくてダメだなとか、さぼっていると思われてるんじゃないかなとか気になるでしょうが、そもそも周りには気づかれない、それを気にされないことも多いものです。それにどんな人でも、さぼっていいし、動けないときがあっていいんですからね。お酒と一緒で、自分の限界値を知るのは大事ですけど、自分が飲みたいだけ飲めばいいし、今日は飲む気がしないなとか、飲み会行く気がしないなと思えば、そうすればいいんです。

 周りの顔色を窺いすぎて自分を出せないようなHSP、気を遣いまくって疲弊するHSPの人には、以上のようなことをカウンセリングで「騙されたと思って」と促して、日常生活で、手を抜いたコミュニケーションをしてもらう実験してもらうことがあります。すると、そういうHSPの方々は皆口をそろえて「こんなに皆が鈍感だとは思わなかった(笑)。」と驚きます。

 基本的に周りの顔色を窺えている時点で、気遣いレベルが高いですからね、ちょっと手を抜いてやったところで周りから評価されます。

HSPを理解されないことに悩んだら

 ちなみに、HSPの人(とくにHSPを自己受容する前の段階)は、わりとHSPであることを隠したがるというか、ちょっと自分がおかしいんじゃないかとか、恥ずかしいとか、そういう風に自責的に思う傾向にあります。

 周りに気づかれないと言われて多くの方は納得されますが、逆にそうでない人「いやそれが問題で、この私の繊細さや傷つきに気づいてよ。HSPってわかってほしい!」って思う方もおられるかもしれません。そんな方はとても孤独で辛い気持ちを味わっていると思いますが、それはどちらかというと、今の生活の中で情緒的なサポート・愛情が足りてないっていうこと(別の問題)の表れかもしれません。孤独感を強めてしまうと辛いですし、それはそれでカウンセリングも有効です。

 というか、昨今のHSPへの世間の注目の高さというのは、5人に1人の割合という以上に注目されているような気がしています。それは、HSPのような概念によって、ああ私の感じていたモヤモヤはこれだったんだという腑に落ちを得られた人たちだけが注目しているのではなく、世間に生きる人々の愛情欲求、被サポート欲求の表れという感じもしています。今の世間が、お互いに自分のことでいっぱいいっぱいで、互いにいたわり合うような余裕がなくて緊張していたり、逆に世間の目(批判的な目)を過剰に恐れていて疲弊してたり。安全感のなさといいますか。
 どんな特徴も、どんな特性も、繊細な人もそうでない人も、寛容に尊重し、いたわり合って助け合える世界になるといいんですけどね。

もうたくさん書いたのでおわりにします。最後話がずれてきたけど、感受性の話でした。

もし、自分や周りのことで一人で悩んで、自分だけが悩んで傷ついているように感じられてしまったら、そんなときは一人で抱えずカウンセリングにお越しください。

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