開業したらコロナがやってきた②
「コロナもクライエントかもしれない」と、寝る前のぼんやりとした頭で昨夜は書き終えたが、おそらくそれは、精神科医療の現場に居る限りは出てこなかった言葉かもしれない。私は精神科単科病院(精神科しか診療科がない病院)に勤めていたが、そこではコロナウイルスは日常の精神科治療のノイズとして対応するしかない。粛々と手を洗い、消毒し、手を洗い、消毒をし…病棟や外来からなんとかウイルスをブロックしようと躍起になりながらも、「穏やかな日常」「変化のない平和な毎日」という環境を提供すること自体が薬であり治療でもあるのが精神科病院である。そこではコロナという驚異に出来る限り日常性や恒常性を侵されないよう通常業務をこなし、嵐が通り過ぎるのを待つまで続けるしかない。うつ病や統合失調症のような慢性化しやすく長期療養が必要な精神疾患の人たちをたくさん抱えている場所は、そのものがコロナウイルスの物理的脅威だけでなく、心的脅威から守るシェルターそのものである。
そこで働いていた私も、そのシェルターによって守られていたのだと感じている。
そこから一歩み出た今、私は無防備だ。
もちろん、正規職員としての被雇用者ではなくなったということも大きいだろう。雇用されているうちは、街が封鎖されようが、仕事を休もうが収入はそれなりに保障される。最悪でもゼロだ。しかし、個人事業主や経営者になると、ゼロではなくマイナスだ。店舗の家賃や材料費・人件費などなど、立って看板を掲げているだけで、出血していくようなもので、経済的な体力を奪われていく。
当たり前のことだ、と呆れる人もいるだろう。
しかし、私は精神科医療で雇用されているというシェルターの中で、その流れていく血のなまなましさをリアルに感じられていなかった思う。想像力の欠如と言われても仕方がないと思うが、やはり体験に勝る教師はいない。
開業するにあたって、異業種の個人事業主や経営者とコンタクトを取り交友関係が広がり非常に助けてもらった。背中を押してもらったその知人・友人たちから知らされるコロナウイルスの経済的被害やその心的打撃に共に青ざめている。
私は、少し呆然としている。けれど、もうシェルターの中で守るべき人たちもいない。私も出血している。けれど、(今のところ)死ぬほどではない(ようだ)。
なんやねん。
コロナ、おまえなんやねん?
とりあえず、正面で向き合って、話をしたい。
この痛みについてともに語ろう。