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まきちゃんと同調圧力のこと(後編)
私はまきちゃんに聞きました。
でもさ、トイレにみんながみんな一緒に行くわけではないでしょ?トイレに一人で行く子いるでしょ?
<うん、いる>
その子のことどう思うの?嫌?
<ううん、その子はその子でいいと思う>
他の子はその子のこと避けたり嫌がったりしてる?
<ううん、そんなことない>
じゃあ、まきちゃんがその子みたいにしないのなんでなのかな?
<…その子は、みんなが大事にしているものを大事にしていないから>
<そういう子には、なりたくない>
まきちゃんは小声だけどとてもキッパリと言ったのを覚えています。
まきちゃんのその「協調性」にちょっと胸を打たれました。「みんなが大切にしているもの」それを大切する人でいたい、という少女の真剣な思いに。
そしてきっと「みんなが大事にしているものを大事にすること」をふんわりと身に纏っていることが、まきちゃんは集団の中の安心感や居場所を保障しすることもあり、「トイレに一人で行く」行動を意味はなくても守ることは、まきちゃんにとって、「私はあなたの仲間・私たちは仲間」ということを保障するようなお守りのようなものだったのでしょう。
「お守り」はその力を信じて願うから意味のあるもので、そのお守りを信じているまきちゃんには「ひとりでトイレに行く子」は「お守りなんてさ、紙切れを袋に入れてるのと一緒でしょ?」って寺社仏閣で言うような存在と同じです。(うん、確かにあんまりそういう人にはなりたくないね)
そんなこと言われると、お守りの効力だって薄くなってしまう気がするでしょう。不安になるよね。
でも、そのお守りがなくても仲間でいられるんじゃない?お守りだけが「仲間だよ」っていう印なのかな?
お守りだけで「仲間」って安心しようとすると、まきちゃん他のことで色々困るよね・・?
私とまきちゃんはなんやかんや長い間お話しして、
まきちゃんは結局、「ひとりでトイレに行く」子になったのでしたが、
最近「いつでもどこでもマスク」ってちょっと「学校で友達と一緒にトイレに行く」っていうのと少し似てるなーと思うのです。
人気がないところでマスクをする意味がないことも、マスクのせいで熱中症リスクが高くなることも、みんな考えないわけではないし、
触覚や嗅覚の感覚過敏や呼吸の問題などで、マスクをすることのデメリットが高い人もいる。でもそんな人も「マスクしないと」って頑張っている。
マスクは「新型コロナウイルスをみんなで頑張って撃退する連帯感」の象徴で「いつでもどこでもマスク」は「これをしてたらきっとみんな大丈夫」「これをしてたらみんな頑張る仲間」のお守りみたい。
アナウンサーがニュースで「適宜、マスクを外す勇気を持ちましょう!」って言ってて、それは「必要な時は、一人でトイレに行く勇気」を彷彿とさせたのでした。