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国家転覆という言葉の乱用について
ふと思いついて書き留めておきたくなったことがありました。
いかにもやばい動画やSNSで見かけるやばい市民政治活動家の人たちが、よく国家転覆すべきとか、国家再建すべきと、とっても気軽に言われてるあの表現って、いったいどういう気持ちから出ているのだろうかということを
ずーっとずーっと考えてきました。
私は左翼も右翼も違うなあというところに立って生きています。
私の立場は明確に、岸田政権の言葉と同じ感じ。
「力による現状変更を求めない人道主義と国連憲章・日本国憲法前文の精神に基づく民主主義」にあります。
左翼と右翼の人たちはときに、自分もそうであるといい、ときに国家再建なんて言ったりするので、そのロジックがどうして生まれるのかめちゃんこ不思議なのです。
普通に考えたら、再建するってことは一回壊して更地にしてますからね。
リフォームとちゃいますからね。立て直しですから。
まあ普通に現代日本を象徴するような「古くなった家を解体して更地にして立て直す」というイメージなのかなとか
例えば、日本史が延々と繰り返してきた「旧幕府を打ちこわし新幕府を建てる」というイメージなのかなとか
今でもまだ竜馬とか言ってかぶれてる人がいる維新のイメージなのかなとか
例えば、世界の現代史のなかでもよく見られる、「クーデターや大衆暴動で一から新しい国家を作り直す」イメージなのかなとか
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それぞれにそういうのに憧れてそうな人も実際いますよね。
なのでそれ以上深く考えてなかったのですが、
で、今日思ったのは、転覆するって国家というのは「船」のイメージなのかなと思ってみたんです。
でも船だと転覆したら排水せんかったら沈むだけやし
![](https://assets.st-note.com/img/1738303680-rInBK9Xlw4GbPLmca0VMuvRy.jpg?width=1200)
中のもの全部排水して、右に傾いたものを左によっこいしょしましょっていうのも、まあずいぶん容赦ない話で
私が最も疑問に思っているのは
どうしてそんなに気軽に国家を一回壊そうなんて言えるのかが分からないのです。
仮にも一億二千万人住んでる1718市町村ある国家をですよ
でも実際、毎回地方自治体の地方議会では毎年の新規予算が起きるたびに
「反対です」って全否定して終わる共産党の議員さんがいるんですよね。
地方議会では予算委員会や本会議で予算案の審議を一案一案ごとに重ねて
行政に調整を求めたり、納得いかない案があれば特別委員会で検討ということで約束をして、最終決議をとるわけですが、その経緯を尊重しないで、予算案全体をまるごと否定でまくってしまうのは、議会民主主義が成立しません。
なんなら予算案通過を一日でも遅らせようという手法もとられたりします。行政予算は介護・子育て・教育・農業・道路・・・なんでも多岐に及ぶわけですが、一日もはやく進めたい大切な案件も中にあるものを、まるごと遅らせられてはたまりません。住民レベルでいえば、誰かの命にかかることだってありうるのに。
各市町村に住む何万人もの市民の生活に関わるものを
まるごと「反対」するのは乱暴だなあとつねづね思います。
でも反対していてもその行政サービスを受けて暮らしているので、そこも矛盾しています。
どういう国家観で、どういう政治観であれば
その矛盾が受け入れられるのか、
私にはどうしてもどうしてもどーうーしーてーもー不思議です。
これが当たり前に受け入れられるのは、
私は日本人であって当たり前であるという確固たる自信があり
周囲もこの人は自分たちと同じ日本人であるという理解があり
国家の形態が変わっても我々が日本人であることは変わらないという共通認識がある場合だろうと思います。
私自身は子供の頃から日本史が好きで、日本という国は昔は倭国と言ったりして名称が違う時代があったということも知っているし
単一民族とは言っても北方系や南方系や縄文人や弥生人や色んな遺伝子から成っていて、幕藩体制による藩ごとの風土文化にも括られている民族であるという認識があるし
大学では西洋哲学を学んだので、国家ということが人間の共同の幻想の積み上げと約束事であることも知っているし
社会人経験を経て、法律的に日本人であることの成立要件なども学んでいるし
世界史という大きな視点から見ると、ある日これまでA国民であったのにB国民になってしまったということもありうるし
普通に国際結婚や移住で違う国の人間になることもあり
最近では海外からの移住者も増えているので
そこまで強烈な、自分はここに住んでいるのだから日本人で当然でしょうという意識が形成されていないように思います。(※根っから福井人だなあという民族意識はすごく形成されています。)
自分はたまたま日本人で生まれて、学校教育を受けて日本の国の憲法や法律や政治体制がとてもよいものだなと思えるから義務を遂行できるし権利も持てるという認識です。
こういう認識に基づく私の国家観は、行政や法律やインフラ、すべての公共のものが家の柱であり床であり屋根であり、そこに自然状態である私人が理性をもって、ルールを守って住むという感覚。
今の税制は全て反対、社会保険料は全て反対、土台をてっぱらって基礎工事からやり直したい、なんなら一度更地にしたいという主張はとてもハードルが高いし、今すぐ壊したいだなんて、重機でも使うのかしらんとものものしく思っちゃいます。
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気に入らないのなら今の時代なら別のおうちに引っ越せば・・・って考える若い人は多いですよね?
でも、地方の左翼の人とお話すると、そうではないねんという感じなんですよね。
うーん。どうも根本的になんか違うんだけど何が違うんだろう?
こんなことを疑問に思うほうが不思議でしょうか?
それで話は国家の転覆に戻りますが
「転覆」する船以外のものというと・・
「櫓(やぐら)」や「山車(だし)」のイメージなのではないかな!!と、
ふと思いついたんです。
これは大発明。
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政治用語なんかで「神輿は軽いほうがいい」なんてよく言いますよね。
選挙はお祭りみたいなものだっていう話です。
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日本の都市部のお祭りって大概山車が登場するんですよ。
大阪の岸和田のだんじりが有名ですが、市内の平野区あたりもありますよね。兵庫もあるし、京都祇園祭、福岡山笠、尾張山車まつりもそうですね。
東京のお神輿のお祭りも昔は山車だったって最近知りました。
電線が張り巡らされてからお神輿になったんだそうです。
それで「山車」というのがピン!と思いついたんです。
お神輿は神様を載せているものだし、車輪がなくて安定した構造だからひっくり返らないし。だから今まで「山車」のイメージが思いつかなかったんですよね。
日本で日常転覆するものといえばまず山車ですよ。
引き手の力加減で右に行ったり左に行ったりする。
転覆しても大けがするのは上に乗ってる役目や囃子方
転覆しても元に戻せる。
国家転覆、政府転覆っていうのは、上に乗ってるお役目を落とせって話でしょう。
なるほどなあーーーー
ソ連がロシアになったり、ベルリンの壁がなくなったりするのを思春期時代に見てる私なんかは、国家転覆・国家再建っていうのはそういう話だって思って育ってますんで、そんな気軽においそれとその言葉はつかえないです。
例えばベルリンの壁崩壊後、ドイツがどんな苦労と経緯と年数を経て、豊かな国になったかを見てから町議選に出た私は、国家再建なんておいそれと使えないです。
そうだったのかあーーーー
なるほどなあーーーーー山車だったかあーーーーーー
、
それにしても、つくづくお祭りなんですよねーーーーーー
そもそも地方の自治会で話し合われるメインテーマもお祭りなんで
これはどうしようもないですね。
政治とはすなわちまつりごと
多分60代以上の人はおおむねそういう意識なんじゃないかなあ・・・
そういう世界の政治というのは、戸籍地籍管理や法の制定なんて「治世」の政治ではなくって・・・
メインはお祭りで、あとはなんか経理に細かい人が些末なことをやればいいんじゃないの・・・山車の上にのって皆を盛り上げたり諫めたりする人が政治家でしょっていう・・・・・・ことですよね!!
そういう大きなお祭りのまとめ役を何度もするような人が地方議員になったりするわけじゃないですか?
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でも
なんじゃそんなことも分からんで町議選出たんかーいって思わないでくださいね。
私は氷河期ロスジェネ世代なんで
仕事が欲しければ大学や専門学校で特殊な知識や資格を取って勉強しろって時代で、それで勉強なんかしちゃうと、もはやお祭りって民俗学的な視点でしか見ないし、まあ村の機能維持に必要なんちゃいますか・・ってしか思わないし、まつりごとは純粋に「治世」だと学んじゃうんですよ。
そういうと「馬鹿にしているのか」とめっちゃ怒られてしまうんですが
単純に世代格差の話で
バブルまでは学校で勉強しているやつってどうかしてるって心配しちゃう雰囲気が日本全体にあったし、
特に戦後直後世代の団塊世代だと、学校教育も不十分だっただろうし、巷に本も少なかっただろうし、学生運動世代は大学が機能停止してたし、あらゆる地方や都市部から集まった孤独な学生たちにとってはお祭りみたいなワーって集まる活動って心強くなって楽しかったんだろうなって、想像できます。
そういうしようがない話だなと思うのですが
やっぱり怒られちゃう。
馬鹿にされたくないと思ってしまうから、大声を出したり力を使ったりして
排除しようとしてしまうんでしょうね。
そういうのハラスメントっていうんですけど、「わが闘争」って気分なんでしょうね。
今あちこちでハラスメントに対する内部告発が起きて、大きな権力体制が瓦解するということが起きているのも同じ原理かなあと思います。
でもSNSなどを見たり、選挙の動向を見ていると
最近は国家転覆・国家再建ということについて
若い人はまた別の感覚を持っている気がします。
その言葉が乱発乱用されているあまりに
ちょっとしたことでもこんな政府はなくなればよいだとか
気軽に言う若い人が多いこと。
もう少し、深く色んな情報を集めて、その背景を知るようにすれば、意外に簡単に改善の方法があるかもしれないじゃないですか。
あととっても生真面目に真剣に信じている若い子も増えている気がします。
戦争やテロが頻繁に起きてきていて
サイバーテロは身近になりました。
アニメやゲームといった架空の世界に浸ってきた子達が大多数となり
最近は現実世界のほうがアニメ化CG化していってます。
そのほうが若い人が暮らしやすいということでしょう。
こうした世界では、ゲーム感覚で単独でテロリズムを持って行動するような人が増えてしまうかもしれません。
なので年齢など特定できないような匿名性の高いSNSで
あまりに気軽に、山車が転覆するような気分で
国家転覆、政府転覆なんて使いすぎていると
それを自己流に解釈した若い人が自分には支持者が多いなんてすっかり勘違いして
皆が大事にしている屋台骨の行政サービスがすべてある日使えなくなってしまったということも起こり得るのかもしれないですね。
でもそんなときもやっぱり、日本人は右が悪いなら左に倒せなんて
口々に叫んでるような気がしますけども。
あくまで今こんな雰囲気だなあという印象を得ての雑感ですが、
こういう怪しい言葉の乱用がなくなるといいなあと思って書き留めてみました。