私は、「こうだからできない」と、できない理由ばかり探して、諦めて、できない自分が好きだった。 今まで、無理して、できてばかりいたから、もう無理したくなくて、何もできない自分になりたかった。 でも、それは、本当は自分には無限の可能性があるのに、それを信じていないことになってしまう。 だから、これからはできない理由を探すんじゃなくて、「どうしたらできるか」を考えていきたい。 今できることをひとつずつ、挑戦していって、失敗してもいい、また、挑戦を重ねよう。 そしたらきっと
"死んだ方がいい" 永遠に言われる幻聴。 家族がどんなに 「死なない方がいいよ」 「生きてていいんだよ」 と言ってくれても、 四六時中言われるこの幻聴に そんなに言うならやっぱり死んだ方がいいんだ… と実行してしまいそうになる。 それでも私は家族の方が大事なので 家族の言うことを選んで聞きたい。 "大丈夫。生きてていいんだよ" と、自分でも言い聞かせる。
私は今幸せだ。 昔の私はこんな幸せになれるとは思ってなかった。 たくさんの人に恵まれて、助けてくれて、ここまで生きてこれた。 昔の私を抱きしめてあげたい。 今の私がいるのはあなたが生きてくれたから。 カウンセラーさんに小学生の自分になんて声をかけたい?と言われて、考えた。 「よくがんばってるね」とか「未来は幸せになれるよ」なんて、言えない。 「死んでもいいんだよ」 そう声を掛けると思うと、私はカウンセラーさんに言った。 それでも生きててくれてありがとう。
たすけて!と叫びたい午後4:00 私はひとりぼっち 右にも左にも前にも後ろにも人はいる それでも私はひとりぼっち 背中をさすってくれて 大丈夫と声をかけてくれていても 私はひとりぼっち 手助けしてくれる人は すぐ近くにいるかもしれない たくさんいるかもしれない でも救ってくれる人は 世界中どこを探しても1人しかいない ここにいるうずくまり泣きじゃくってる私だけ
毎日が来なければいいのにと願う病室の夜 このまま目が覚めませんようにと 祈りながら眠りにつく 朝になればカーテンから光がまぶたをさし にわとりのように看護師が回ってきて朝を告げ 4人部屋にも朝が来て ガサゴソと今日が動き出す みんながまえならえをするなか 私は1人前を向けず 今日も絶望の朝を迎える
この世界もここにいる自分も全てが嘘で 涙で濡れてる枕も嘘 千切れてる左手も嘘 ペットボトルを太陽に透かしてみれば 屈折して目をさす光 ベッドの上から見上げる 真っ青な空にぷかぷか浮かぶ雲 この世界はなんだ? この私はなんだ? 生きてなんかいない ここにある感情は全て嘘
「死にたい今日は誰かの生きたかった明日である」 誰かって誰だ 僕は僕だ 僕の死にたいは僕のもの あなたの生きたいはあなたのもの どこまでいってもそれらは混じり合わない
死にたい気持ちはなくならないのか 死にたい気持ちにとらわれ始めた頃からずっと疑問だった。 私は一生「死にたい」と一緒に生きていかなきゃいけないのか。 そう思うともう生きていくことに耐えられないと思った。 私は「死にたい」と戦い続けて生きていかないといけないのだ。それに勝つ時は一生こない。戦い続けるか負けるか。負けてしまうことは「自殺」「死」を意味する。 今のところ「死にたい」はなくならない。 ただ昔と変わったことは、「生きたい」気持ちが出てきたこと。 「死にたい
死にたくない。でも死ななきゃならない。 やっと自分の生きたい気持ちに気づけたのに。 「何かできることがあったら言ってね」 みんなそう言ってくれる。 自分でもどうしてくれたら助かるのか分からないし、どうしようもないと思うから、助けを求められない。 医者にも何もできない。自分でしか変えられない。でも自分でもどうしたらいいか分からない。 ただただ1人で耐えるだけ。 耐えて耐えて耐え抜くだけ。 耐えられなかったらしょうがない。許してね。 本当は助けて!って叫びたい。 気づいてよ
昨日、私の進路について、家族で話し合いをした。 私は今まで、「頑張る=死ぬ気で限界まで」だった。皆と同じように学校に通うということは、死ぬ気で頑張らないとできないことだった。 昨日、家族は「学校行くと死にそうになるくらいなら、休んでいい」って言ってくれた。 でも、幼稚園から今まで、「学校にどうにか行け!」と言われていたから、「明日行かなくちゃ」が染みついていて、自分を追い込んでしまう癖がついている。 皆と同じ道じゃなくても、遠回りでも自分なりの道を、やっと歩んでい
カウンセリングで発作っぽくなったとき、カウンセラーさんは「つらいね」って声をかけてくれたんだけど、その時ひしひしと感じたことがある。 自分のことを救えるのは自分だけだ。 カウンセラーさんは寄り添ってくれるけど、救ってはくれない。楽になるのを助けてはくれるけど、根本的に助けてはくれない。 自分を変えられるのは自分だけだ。 自分を助けられるのは自分だけだ。 そう気付いたとき、私は孤独感を感じた。 結局は人間、一人。自分は自分でしかどうにかならない。でも自分ではど
誰かに助けて!って言いたいけど 自分でしか死にたい気持ちはどうにかできない かわいそうな自分が好きなんだと思う 心配されたいんだと思う 死にたいと思ってる自分が安心で 変わりたくないんだと思う どうしたら死にたい気持ちがなくなるか どうしたら明るく生きられるようになるのか 分かってるのに変えようとしない #思ったこと
最近、夢をよくみる。 まあ、昼まで寝てるからだろうけど。 夢って人それぞれで、心の奥深くを表してるんだろうな。 姉はファンタジー少女だったから、よく空を飛んだり魔法が使えたりするらしい。姉の友達も「夢で空飛べない人がいるんだ」って言ってたんだって。 それに比べて私は、現実感溢れる夢ばかりで、あれこれは夢だっけ、本当だっけ?っていつも分からなくなる。特に学校の夢ばっかみる。もう卒業したのに囚われて、怖くてしんどい夢でいつも起きた時、汗かいてドッと疲れてる。 早起きしたらみ
最近、しんどさの沸点が低くなってる気がする。すぐしんどい、しんどいって思ってしまう。昔はしんどいとも感じずに、積もり積もって大爆発してたから、いいことかな。 ところで、しんどさって比べられないとつくづく思う。痛みとか苦しみとか嬉しさだって、もし数値化できたとしても感じ方はそれぞれだよな。同じ状況になったって、気持ちはそれぞれ違うし、同じ気持ちになったって、気持ちの深さは違う。 だから自分のものさしで測っちゃダメなんだよな。相手の気持ちを完全に分かることはほぼ不可能だから。
私の趣味は読書。読書が息抜き。 でも読書が苦手で、がんばってがんばってやっと読める人もいる。 私の母は洗濯が好きで苦なくできる。けど、掃除はずっとやろうと思ってるのに、重い腰が上がらないんだそう。 反対に父は、暇さえあれば掃除をしてるほど掃除が好き。でも掃除機かけるとか物を元に戻すとかは得意だけど、物を捨てることは苦手。新しいものを買って満足して、溜め込んでる。 別に言いたいことはないんだけど、人っておもしろいなぁ。得意不得意凸凹があって、補い合ったり、助け合ったりして生
古新舜監督による長編映画「あまのがわ」を観てきた。 福地桃子さんの初主演映画。初主演とは思えない自然な演技で、映画にのめり込んでしまった。 主題歌は住岡梨奈さん。気持ちよくなれる透き通る歌声だった。 ロボットのOriHimeに興味があったので観に行った。主人公の史織は高校生で、そして不登校になるので、私と似ていて重ね合わせて共感できるところがたくさんあった。気持ちが分かって、苦しくなってしまうときもあったが、史織の成長を感じて最後は泣きそうになった。ネタバレになるからあま