プラトニックな愛は成り立つのか?
最近見ている海外ドラマ。
『ザ・ジレンマ もうガマンできない?!』という、いかにも海外ドラマ的な題名。
Netflixで堂々1位を獲得していたので、どんなものか見てみたのです。
簡単に言うと、セクシーな美男美女がリゾート施設に集まり、1か月生活を共にするという海外版テラスハウス。
一見楽しそうだけれど、実はそこには驚くべきルールが。
それはSEXやキス、自慰行為が禁止というハードなもので、それを守りさえすれば賞金10万ドルが手に入るというもの。
しかしルールを破るたびにその賞金からどんどんマイナスされていくのです。
性欲が抑えきれずうずうずする若い男女!
1話が40分ほどなのでサクサクと観られ、今はシリーズ半分くらいまで見終わりました。
若者たちは肉体的な欲求に襲われつつも、プラトニックな愛を探して試行錯誤。
今回はそのドラマから気になったワード、『プラトニックな愛』について私なりに考察をしていこうと思います。
プラトニックラブとは
プラトニックラブとは、古代ギリシャの哲学者プラトンに由来するこの言葉。
プラトンは、『肉体に惹かれる愛より精神的な愛のほうが優れており、もっとも優れているのは美のイデアを愛することだ』と説きました。
プラトニックラブとはこの流れを汲んでいます。
”イデア”については、話すと1日くらいかかるので割愛します・・笑
プラトニックラブは、一般的には肉体愛ではなく精神的な愛として解釈されていますね。
しかし、恋愛関係において肉体的な愛は切っても切れないもの。
その考えに真っ向立ち向かったのがこのドラマです。
精神的な愛と肉体的な愛
人はまず恋をすると、その人に近づきたい、触れたい、もっと深いところでつながりたいと考えるようになるものです。
若い世代の子たちは性欲と恋愛感情が混同しがちですが、年をとり色々な知識を得て経験を重ねていくにつれ、より精神的な部分で関わりを持ちたいという気持ちが強くなる気がします。
たとえばそれは、「辛い時にあの人がそばにいてくれれば・・」「あの子を悩みから解き放って笑顔にしてあげたい」など、このように相手に精神的な安らぎを求めたり、自分が力になりたいと思うような感情に近いと思います。
若い頃より精神的なつながりを求めるようになるというのは、これは私自身も感じます。
相手が肉体的に満たしてくれたとしても、やはり心の部分、つまり精神的に満たされないと、とても空虚で寂しい気分になるのです。
これは逆の立場でも同様のことが言え、肉体的に相手を手に入れたとしても精神的な面で支えてあげられていないと、非常に不甲斐ない感情に襲われます。
私が感じる真の恋愛とは、精神的なつながりは必須です。
一方、精神的な部分だけ満足できるほどにつながっていても、どうしてもそれに加えて、そばに行きたい、触りたいという肉体的な感情も出てきます。
やはり人間と言えども動物なので、”子孫を残す”というプログラムが遺伝子に組み込まれているため、肉体的なかかわりを求めるのは当然なのかもしれません。
体の関係から始まる恋は長く続かない・・?
付き合っていないのに、体の関係から始めてしまった。
これはよく聞く話です。
しかし、すでにある程度の関係が構築されていて信頼関係や精神面でのつながりが発生していれば、付き合う前に関係を持っても長く続けられるのではないでしょうか。
なぜならそれはある程度相手のことを知っていて、考えや価値観のすり合わせが出来たうえでの行為だからです。
しかし『ザ・ジレンマ』のように、会って一日目からキス、SEXを求めるということは完全に肉体しか見ていないので、この場合は深くかかわっていくうちに考え方や価値観、精神面でのズレや歪みがでてきて、それが原因で破局・・と言う流れになる可能性が高いと思われます。
体から始まっても、相手を知っていくうちに”たまたま”考えが合って精神面でも深くつながれた、というパターンもありますが、これはもう運です。
やはり出会って間もなく体の関係から始めるのはとてもリスキーで、その後の関係も複雑になりやすく、問題も出てきやすいので私個人としてはあまりオススメできない関係です。
恋愛においての完全なるプラトニックラブとは
”恋愛”関係において、これは非常に難しいと思います。
なぜなら上に挙げたように、人間には動物的な部分があるからです。
また恋愛初期には、PEAと言うホルモンが発生し、それはアドレナリンやドーパミンなど興奮をもたらす作用があるため性欲を高めます。
このような様々な要因が合わさると、完全なるプラトニックラブは難しいような気がしてきます。
しかし、長く付き合っているカップルや老夫婦などを見てみると、その可能性が少し感じられるかもしれません。
ですが彼らも最初は恋愛関係で熱い肉体的な愛があったはずです。
どんなに熱い恋愛でも時が経つと勢いは落ち着き、恋愛とは別の次元の愛に変わります。
これは恋愛初期のPEAホルモンが次第に落ち着き、セロトニンなどの安心感や安定を促すホルモンが増長してくることからも言えます。
プラトニックラブが長く付き合った時点でのカップルや老夫婦の愛のことを言うのなら当てはまるかもしれませんが、恋愛初期の段階でのプラトニックラブは恐らく難しいでしょう。
マザーテレサなどの聖人であれば一生キリストを愛し仕えるということも成し遂げましたが、マザーテレサは果たしてキリストに恋愛感情を抱いていたのでしょうか。
それは私は恋愛とは違う次元の、もっと高次な愛だと思います。
また高齢者の恋も、性欲はないのでは?と思うかもしれませんが、老人ホームでは恋沙汰が多発することもあるそうです。
『恋という漢字は下に心があるから下心』なんて言葉もありますが、やはり人間は動物であるという前提では、恋愛における完全なるプラトニックラブは難しいという結論に至る気がします。
まとめ
以上、勝手なる考察でしたがいかがでしたでしょうか。
肉体的なかかわりはそれ自体美しいものではありますが、精神的なつながりがあればさらに輝くもののように感じます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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