ロックギター
ここはステージの横、バンドのメンバーと出番を待っている。初舞台に立とうとするわくわく感と間違わずに演奏できるだろうかという不安が入り混じっている。私にとっては今日がロックバンドデビューの日。
朝九時ホールのある八階フロアーへ入る。すでに皆が準備に動き始めている。必要な機材が建物裏へトラックで運ばれて来て、搬入口からエレベーターで揚げ、ホールの舞台まで移動させるのだ。出演者は約四十人、それぞれの楽器のアンプ、スピーカー、ドラムセット、音響機材、譜面台、ケーブル、マイクなど重い機材が次々に運ばれてくる。何回運んだだろうか。かなりの量の機材だ。続いて組立、設置、配線、音響の専門家が音質を確かめつつ調整する。ホールは四百名用の椅子が用意されている。スペースを作るために椅子を一部撤去する。今日は昨年開講したギター教室の初発表会ライブ。参加している人はギター教室で習っている生徒だが、普段はそれぞれのレッスン時間に来校するため、レッスン時間が前後する人以外はお互い会うことはほとんどない。参加者のほかに、演奏をサポートするドラマー、ベーシスト、ボーカリスト、音響の方も準備まで手伝ってくださっている。
ちょうど一年前から念願のエレキギターを習い始めた。習えるかどうか心配しながら三か月、毎日練習することでどうやら続けていけそうに思えた。半年前に発表会ライブが決まり、「ブラック・ナイト」という曲を選ぶ。それからというもの毎日、家事が終わってからカラオケCDをバックに練習に励んだ。エレキギターらしい見せ場のある乗りの良い曲だ。いろいろな曲を聴いて選んだだけあって半年弾いても飽きることはなかった。帰省した次男は、家事の後エプロン姿でヘッドホンをつけてエレキギターの練習するなんてと苦笑しつつもいろいろアドバイスをくれた。バンドを組んでいた長男は朝九時集合でスタジオ入りし十二時間なんて僕らと同じだねと茶化す。
本番三週間前にリハーサルがあった。初めてライブハウスへ演奏をするために入った。普段から音楽活動をしているサポートメンバーとともに初めての演奏、とても緊張したが、カラオケCDをバックにするより、ずっと楽しい。本番の日に来れない友人がリハーサルを聴きに来た。良かったと言ってくれたので、聴きに来たいと言った人、聴いてほしい人へ連絡した。 本番の日、準備にかなり時間がかかったので、遅れて十一時からリハーサルとなる。本番は午後三時から七時までの四時間。ウクレレ、アコースティックギター、エレキギターベースなどバンド演奏の順だ。リハーサルは逆から始まるので、まず私たちのバンド演奏約十グループが舞台に立った。時間がないので音がきちんと出ているか、アンプが正常に機能しているか、音響がバランス良いかなど軽く出だしを合わせる程度だ。続いてアコースティックギター、ウクレレの順、弾き語りあり、合奏ありで聴いていて楽しい。合間に客席で近くにいる人たちと話をする。同じスクール生ということで初対面でも、楽しくおしゃべりできた。皆今日の日を楽しみにしているようだ。一緒に演奏するメンバーで服装をそろえたり、皆おしゃれに気を使っている。私はと言えば、半年前から減量を目標にしていたのに、ままならず、それならとロックではあるがエレガント路線でと黒のスパッツの上にシースルーの黒いレースのスカート、トップは普段は派手すぎてあまり着ていなかった光沢のある素材のシャツを選んだ。スリムな人に対抗する苦肉の策だ。
リハーサルの途中、予約していた近くの美容院にセットをしにいく。レッスンに通う途中、美容院の表にロックバンドにもふさわしい素敵なヘアスタイルのポスターを見つけたからだ。前もって若い友人が送ってくれたバンドマンらしい写真も念の為届けておいた。椅子に座って小一時間。ベストではないが、一応普段と違う髪型ができあがった。会場に戻ると皆で写真撮影。 いよいよ本番だ。招待していた友人知人たちが次々に到着。席へと案内する。私が出るときは是非呼んでと言ってくれた友人、かつてバンドでベーシストをやっていた女性、英会話教室、漢方の勉強会やジムの仲間、子供たちが楽器を習いたいのでと子供連れできてくれた人など二十数名、自身も音楽活動をやっているカナダ人の友人も演奏会が決まったら知らせてと言っていたので招待券を届けておいた。なんと始まる時間から最後まで聴いてくれた人もいた。演奏は聴いてくれる人がいて初めて成り立つのだから、皆日曜の貴重な時間を工面して来てくれたことが本当にありがたかった。 出番の三十分前、楽屋へ行き軽く練習する。高校生や大学生、社会人になったばかりの若者から、リタイアして人生を楽しんでいる先輩方、皆緊張と嬉しさで溌剌とした表情だ。高校生からいい楽器ですねとか、頑張ってくださいとか声をかけられて、嬉しかった。今の若者は他人には無関心ではと思いこんでいたがそうでもないようだ。二つ前のバンドの演奏がはじまると、舞台の袖に待機する。いよいよ本番だ。
拍手で前のバンドの演奏が終了したことがわかる。彼らが演奏後のインタビューを受けている時、その後ろでは次の曲のセットが始まる。いよいよ入場して自分のエレキギターをエフェクター、アンプにつなぐ。音を出してみる。大丈夫だ。ついで自分の音が出るスピーカーの前に立っていい位置を確保。音量が大きいために少しでも場所がずれると自分の音が聞こえないからだ。
ドラマーの「ワン・ツゥー・スリー・フォー」が合図となって、いよいよ私のエレキギターで曲が始まった。舞台は明るく、客席は暗い。ボーカリストがかっこよく歌いだす。そして私の見せ場になると、両手を大きく開いてさあどうぞという感じで私と会場を見る。ここはリハーサルではなかった場面だ。普段は軽く体を揺すってリズムに乗せた演奏をしていたわたしだが、こうなると、何かアクションをしなくてはと少々オーバーに体を揺すり、見たことのあるギタリストの動きをまねてみた。これは楽しい。緊張で足ががくがくしていたが、音楽に乗って演奏することが楽しくて、暗譜していたのを忘れたらどうしようと思っていたことなどすっかり忘れて弾き終えた。終わると恒例の「感想を一言」のインタビュー。「楽しめました!」と一言。のちに友人から写真が届いたがその時の私の顔と言ったら、自分でも見たことのないようないい笑顔。楽しさが普通の顔を輝く顔に変えたようだ。舞台を降りる私に数人の知人友人が花束を渡す。まるでスターになった気分。 その夜、「別世界に連れて行ってくれてありがとう」、「感激して涙が出た」、「私も初ステージの時を思い出しました」、「You rocked it!」と嬉しいメールが届いた。ロックが一番好きな音楽のジャンルではないけれど、聴きに来てくれた方々も喜んでくれてほっとした。
自分の演奏が終わってから、他の方々の演奏を会場の後方で聴いていた。楽しくて踊りだしそうな気分。これだけのホールをいっぱいにし、演奏する人、聴く人に喜びを与えた先生の存在の偉大さを改めて実感した。いい先生に出会えて幸せ、そして今日舞台に立てて幸せ、たくさんの友人知人に聴いてもらえて幸せだった。
朝九時に集合して約十二時間、疲れてはいたが翌日は普段通り出勤、ふつうに仕事をこなしたが、気持ちの高揚は翌日も続いていた。
そして後日談、夫が写真を見て「この髪型は和風だよね」と一言。なるほどセットの途中に「ロックバンドの女性の髪、やったことありますか?」と聞いたら、無口で無愛想な年配の美容師さん「いいえ、初めて」との返事。「できる」と言ったので予約していたのに・・・
(2012.4)