見えないところで走り続けた全てのランナーへ
私は走ることが好きだ。
走っている人を見るのも好きだ。
10月に行われた、プリンセス駅伝と全日本大学女子駅伝を観た。
どちらも、女子ランナーのための駅伝だ。
あと少しで繋がらないタスキ。
優勝で歓喜を爆発させるチーム。
最後の挑戦。
当たり前ながら、そこには選手と選手をささえる人、ひとりひとりの物語があって、私はそのほんの一瞬しか目撃できないのだけれど。
それでも、この1年間どんなことを考えながら練習を重ねてきたんだろうと、彼女たちに思いを馳せざるを得なかった。
感動をありがとう、なんて、そんな使い古された言葉、届けるのも恥ずかしいぐらいだけど。
わたしを感動させるために走っているわけでは決してないし。
やっぱりそれでも言いたいのだ。
走ってくれてありがとう。
駅伝を走らなかったランナーも、いつも走ってくれてありがとう。
私は人の走りを見て、必死に走ってきたであろう時間を想像して、すごくすごく勇気を貰えるのだ。
きっと今年は、叶わない思いを、やるせない思いを抱えている人が例年以上に多いのだろう。
私はそんな、見えないところで走り続けた全てのランナーにありがとうを伝えたい。
✂ーーー
私が陸上部で走っていたのは中高の6年間だけど、なんだかんだ10年以上走ることには関わっている。
私がいつから走り始めたかなんて、もうあいまいで覚えていない。
ただ、小学校低学年の頃はそんなに走るのは速くなかったし、速くなりたいなんてことも考えていなかったように思う。
悔しい、とか、もっともっと、と、言わば本気になった瞬間は、初めて自分がメダルを貰った、その上の大会でのことだった。
人生初のメダルに喜び、自分は走ることが得意なんだ!と浮かれながら臨んだひとつ上の大会。
自分よりももっともっと速い人達がたくさんいて、あれ?自分ってそうでもなかった?もっと練習が必要だったのかな?って思ったことを今でも覚えている。
たぶん、あれは私が初めて「社会」に出た瞬間だったのだと思う。
私にとって、走ることは社会と繋がることだった。
出会った仲間やライバル、スタッフやお客さん、全てと繋がる場所だった。
今思うと、何のために、誰のために走っていたか分からない。
ひたすらにつらくて、ひたすらに楽しくて、ただただ夢中だったのだ。
走り続けていないと、ある意味自分が自分でなくなってしまうと思っていた。
今は違う形で走っていて、だけど、テレビの中で走る彼女たちを見て、本当の意味でまた走りたいなと思った。