キース・ヘリング特集
昨日、「新美の巨人たち」という番組でキース・ヘリングが特集されていた。
メッセージ性の強い彼の作品は、UNIQLOのTシャツの絵柄に起用されたりもしていて、普段生活している中でも目にする機会が多い。
しかしながら作者である彼自身については、今回初めて深く知ったので、ここに記しておこうと思う。
落書きから現代アートへ
キース・ヘリングは街の中の落書き(グラフィティ)から現代アート界の寵児へと上りつめた。
それは彼が生きた80年代アメリカの時代背景が大きく関わっていた。
当時のアメリカには街中に落書きが横行していた。
その多くは自分の名前や主張したいことが書かれていたそうだ。グラフィティを通じ、自分の存在証明を行なっていたのだ。
キースを一躍有名にしたのは、地下鉄構内で広告掲示板に白いチョークで絵を描くという「サブウェイ・ドローイング」。
違法行為なので警察に何度かお世話になったこともあったが、彼はその活動を続けた。
そして、その絵はNYの通勤客の間で評判となった。
個展の成功とパブリックアート
キースは数回の個展を開催して知名度をさらに上げていく。
そして、世界中の都市で約50点以上のパブリックアートを制作する。
1986年、ドイツが東西に分断されていた頃、東西を隔てるドイツの検問所であるベルリンの壁にキースは巨大なペインティングを制作した。
その絵は黄色の背景色に赤と黒の色の人型のドローイングで構成されていた。
3色ともドイツの国旗の色である。
まるでドイツの人々に自国への誇りを思い出させ、東西ドイツ間の統一を願おうと語りかけてくれているかのようだった。
個人の問題から社会の問題へ
キースはAIDSを患っていた。
当時のアメリカでは性的マイノリティの中からAIDSが発生したものだと考えられていた。そうした性的マイノリティの人たちに対する世間のバッシングは強かった。
そうした中、キースは社会貢献活動の一環としてAIDS撲滅活動に携わった。作品を通じてAIDS感染を防ぐメッセージを発信していた。
番組の中に登場した現代美術家・日比野克彦さんはキースと交流があり、キースのことを「アートマーケットよりも社会活動のほうに目を向けていたアーティスト」だと語っていた。
キースはAIDSと宣告を受けた後も積極的にアート制作を続けていた。
中村キース・ヘリング美術館に所蔵されている「踊る二人のフィギュア」という作品も病の宣告後に発表された作品。
赤と黄色の人型の彫刻が肩を組んで踊っている様子は、悲壮感など微塵も感じさせない明るい作品だった。
彼は幼い頃、シャイだったそうだが、継続的に「サブウェイ・ドローイング」を行ったり、AIDSの撲滅運動の他にも核放棄やLGBTの認知など、多くの社会問題に取り組んでいた。
その姿勢から、とても芯の強い人だったんじゃないかと思われる。
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