かえる
若いころ、柄にもなく、急須で汲んだおいしいお茶をのみたいとおもい立って、近所のさびれた商店街に急須を求めました。
営業中なのか、もう潰れたのだか分からない、暗いガラス戸がならぶ虚しい通りに、瀬戸物屋さんはすぐに見つかりました。軒先にも店内にも古びた茶碗や湯呑みがあふれんばかりに積まれていました。中へ入って物色していると、奥からお婆さんが出てきてちょこんとカウンターにおさまりました。
祖母の家にあるような、いかにも古ぼけた意匠に風情をおぼえて、私はひとつの質素な急須をカウンターへもっていきました。お婆さんは物腰のやわらかな好人物で、愛想よく会計をしてくれました。
若者の客がめずらしかったのでしょう。お婆さんは「うちにもお客さんと同じくらいの孫がいるんだけどね」と話しはじめます。お孫さんは都会へ出て学校にかよっているようでした。お婆さんはそれをあたたかく見守りながらも、いっぽうでお孫さんの行く末を案じています。
「ほんとはこの家に帰ってきてほしいんだけどね」
お婆さんは見ずしらずの若者にしみじみと本音をうちあけました。私はお愛想ていどに相槌をうちながら、新聞紙につつまれた急須を受けとりました。
おつりをもらうとき、お婆さんがちいさなかけらを私の手のひらにのせました。
「これ、お財布にいれておくとお金がかえるのよ」
それは小指の先ほどのカエルでした。瀬戸物屋らしく、そのオマケも陶器で出来ていました。職人が遊びごころにあまりの材料でこしらえたような、かたちも染めつけも素朴なものだけれど、愛嬌のある顔つきが由来のダジャレと相まって、私は一瞬で愛着がわきました。
日に何人も入るようなお店ではありません。お婆さんはきっとお客が来て会話のできたことがうれしかったのだろうとおもいました。
カエルはながらく財布に入れてありました。お金はあんまり返ってこなかったし、急須もとっくの昔に手放してしまったけれど、カエルは財布から抜けだして今も机の片隅にケロリと鎮座しています。あの個人商店に、お婆さんの大切なものは帰ってきただろうかと、ときおりあのさびしい笑顔を思いだします。
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