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つとむ君


 つとむ君は小学生のとき最もよく遊んだお友達のひとりである。お兄さんがいた影響で、少しやんちゃなませた子だった。つとむ君はお兄さんから仕入れた大人の世界の情報をよく私たちに披露してくれた。

 お父さんは工事現場で働いていたようだ。お父さんは恐いと、つとむ君は言っていた。つとむ君の家に泊まりに行ったとき、私はなるべくお父さんと顔を合わせないようにしていたのだけれど、二階で騒いでいたら階下からお父さんに怒鳴られてしまった。

 つとむ君には変わった癖があった。頻繁に、脈絡なく、小刻みな声を発するのである。今おもえばあれはチック症だったのだろう。もちろん当時はそんな知識はない。どうかすると発作が突然激しくなることがあり、そんな時はこちらも緊張した。学校ではあまり声を出さなかったが、遊んでいる時は始終声を上げていた。

 つとむ君の家に遊びに行くと、たいていリビングルームにお母さんがいた。リビングルームは上品な趣味で、お母さんはハイカラなエプロンをつけ、何か書き物の仕事をしていた。お母さんはその部屋でビデオを観ていることもよくあった。決まって外国の映画を観ていた。つとむくんのおばさんはおしゃれだなと、私は感じた。

 中学に上がってまもなく、つとむ君のお母さんが亡くなった。少し前に乳がんで入院したという話を聞かされたが、それからほどなくしての訃報だった。

 お通夜の日、私は母と一緒に同じ町内のつとむ君の家へ向かった。とっぷりと暮れた宵闇にさびしい灯火をともして、つとむ君の家はしんと静まり返っていた。つとむ君は玄関口にひとりぽつんと立っていた。制服を着て、弔問客に挨拶をする係りをしていた。私たちが訪れると、つとむ君は後ろに手を組んだままぺこりとお辞儀をして、だまって笑った。つとむ君の瞳に映じた灯火がいまにも零れそうだった。私はなんと声をかけていいのか分からず、つとむ君の前をよそよそしく通り過ぎた。

 おばさんがいつも映画を観ていたリビングルームに祭壇が設けられていた。弔問客は私たち以外にいなかった。つとむ君のお父さんやお兄さんも見当たらなかった。私と母はそこでお焼香をしてすぐに帰ってきた。
 母親が亡くなるということが子供の私には想像のつかない出来事で、遺されたつとむ君たちはこれからどうなるのだろうと不思議な気持ちになった。

 玄関先で涙を湛えながら笑いかけるつとむ君の顔を今でも覚えている。平静を装って係りを勤めるつとむ君がとても大人びて見えた。その日、つとむ君は例の声をひとつも発しなかった。




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