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Hさんのコーヒーカップ


 普段はあまり使わない洒落たコーヒーカップが棚にひとつありました。ソーサーとセットで、ちょっと名の通った窯のブランドなのですが、名前は忘れてしまいました。十年前、知り合いのHさんから贈られたカップです。

 手に馴染む小ぶりな姿、ぬくもりのある質感、独創的でありながら自己顕示をしない端正な佇まいは、一目で私の心に適いました。さすが絵描きだけあって贈り物のセンスにも粋が感じられます。私は、日常使いにはもったいない気がして、特別感に浸りたいときにだけ棚から引っ張り出していました。

 いつの間にかたくさんの季節がめぐりました。物変わり星移って、カップもいつしか棚の奥へ埋もれがちになりました。特別なことは何もなく、しかしそれなりに穏やかな暮らしをしていました。Hさんとの仕事も懐かしい思い出になっていました。
 なんの拍子か、ふと、使わずに仕舞ってあるのは何よりもったいないことと、ある晴れた冬の日に、思いついてコーヒーカップを引っ張り出しました。そうして久しぶりに特別な気持ちで珈琲を味わいました。

 以前は、私には不釣り合いな洒落たカップだと思っていた筈ですが、こうして手元に湯気を立てる風姿は、心境の深まりとともに白髪の目立ち始めた今の自分とも、様変わりしたこの生活環境とも、よく馴染んでいるようです。
 このカップが送られてきたとき、小さなメッセージカードが添えられていました。そこにはHさんの字で「□□さんをイメージして選びました」と書いてありました。Hさんには未来の私が見えていたのでしょうか。あんがい自分らしさというのは、遠くから眺めている他人の目に正しく映っているものなのかもしれません。

 当時Hさんは心が弱っていました。しかし今は遠くの地で幸せに暮らしているようです。



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