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シニセのおでん屋


 近所のさびれた商店街に老舗のおでん屋がある。人通りのまばらなシャッター街で、そのおでん屋だけはいつも忙しそうに店を開けている。入口にはおでんやら、饅頭やら、ちょっとした惣菜が、プラスチックのパックに詰められて並んでいる。それは一日中、店先で陽射しを浴びていた。店の前をとおると、中から常連客の無遠慮な話し声が飛んできた。

 ある初秋の休日に、その店へ足を運んだ。その日は行楽日和とあって店は混雑していた。狭い入り口を塞ぐようにおでんの鍋が置いてある。中年の、サバサバした、無愛想な、金髪の女が鍋の後ろへ立って注文をとった。私が鍋を覗き込んでいると、後ろへ次の客がならんだ。女は伝票にボールペンを突き立てて無言の圧力を発した。私は深く考えるのをやめ、適当に何本かの串を注文した。

 女が手早く小皿へおでんを乗せて突き出す。私はそれを受け取って近くのテーブルへ座った。細長い店の奥までぎゅうぎゅうにテーブルが敷き詰めてあってむさくるしい。腰を折ってテーブルと椅子の隙間へ体を捻じ込んだ。一番奥に小汚い座敷があった。その脇に便所がある。便所の戸が当たりそうな位置にもテーブルが置いてあった。あそこへ座るのは嫌だなと思った。

 入り口で注文をとっている女のほかに、店員は見当たらない。散漫な雰囲気の店だ。お冷はどこで貰うのか。少し待っても店員の現れる気配はない。店の中を見渡しても給水機らしきものは見当たらなかった。
 壁に小窓が付いていて、水の音がする。立ち上がって覗き込むと、腰の曲がった老婆が洗い物をしていた。「お冷をもらえますか」と言うと、婆さんはいま洗ったばかりのびしょびしょのコップへ銀色のホースを突っ込んでジョボジョボと水を注いで、黙って私の前へことりと置いた。

 コップをつまんで席へ戻る。婆さんの小窓の下には、長方形の看板が地べたに立て掛けてあった。テレビの取材を受けたときの写真が印刷されていて、店の風貌に似つかわしくないカラフルでポップなデザインが施されていた。テレビへ映ったことに店主は鼻を高くしているらしかった。しかし勢いでこしらえた看板も、あんがい出番はなく、テレビショッピングで購入したぶらさがり健康器のように、今はこうして部屋の片隅へ放置されている。そんな様子だった。

 看板に印刷された仰々しい宣伝文句を眺めつつ、割り箸を裂いておでんをつまんだ。「老舗」をつよく訴求した看板だった。おでんのほうは、予感を裏切らない味である。それは特徴のない、間の抜けた、陰気な、砂を噛むような味だった。ぼそぼそと口にはこび、コップの水をひとくち飲むと、私は席を立った。
 入り口の女はもうどこかへ行って姿がなかった。ごちそうさまを言う相手もいない。黙って店を出た。背中から「ありがとうございました」。そう声のかかることも無論ない。
 薄暗い店内から通りへ出ると、秋の日差しが目に沁みた。まだ残暑の気配を濃く残す、鋭く気だるい光線が、店頭に並べたパックの上へじりじりと注いでいた。

 今もそのおでん屋は不思議と暖簾をゆらしつづけている。店の前をとおると、中から常連客の無遠慮な話し声が飛んでくる。




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