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苦いジャスミンティー


 私は窓際のテーブルに腰かけた。店内はこじんまりとしているが、さっぱりと明るくてさりげない品があった。
 店主らしき中年女性がショーケースを挟んで常連風の若い女と話に花を咲かせている。ショーケースの中にはおもちゃのようなとりどりのケーキが並んできらきらと光っている。ほかに人はいない。時間は午後九時だった。

 メニューを見ていると店主が注文を取りに来た。閉店間近に飛び込んで来たよそ者に店主の物腰はよそよそしかった。ジャスミンティーを注文する。本当はショーケースの中のケーキをコーヒーと共に頂きたかったのだが、気おくれをした。
 店主はジャスミンティーの入った小さなポットと空のカップを私の前に置くと、常連との会話に戻った。ポットからジャスミンティーを注いでちびりちびりと飲む。二階窓から見下ろす暗い路地は、ときおり黒い人影が過ぎるばかりで、眠った川のようである。

 店内の壁には額縁が点々と掛かっていた。Hさんの絵は、と探すけれども見当たらない。すでに時が経ちすぎているのだろう。それも当然だと思った。
 生まれ育ったこの町で絵を描きはじめた若き日に、Hさんはこの喫茶店Aに出会ったという。ケーキがおいしいとHさんは絶賛していた。Hさんは店主の女性と仲良くなり、じぶんの描いた小さな絵をプレゼントした。店主がその絵を店の壁に飾ってくれたことを、Hさんはたいそうよろこんだ。
 美術館で個展を催すほどになっても、Hさんにとっては懐かしくたいせつな思い出の店だった。ところが最近、お店から閉店の案内葉書が届いた。今は遠くに暮らすHさんは、二度とお店に行けないことを非常に残念がって、私にそれらの話を語ってくれた。

 私は手洗いに立った。個室も清潔でやわらかな雰囲気だった。
 ふと誰かに見られているような気がした。
 それは目の端にHさんの絵が映ったからだった。Hさんの絵はお手洗いの壁へ、ていねいに掛けられていた。客と差し向かうその一枚にHさんの絵が選ばれていたのに私は感慨を催した。Hさんの繊細なパステル画は、観るひとの心をあたため、やわらかくする。それがこの店のレストルームによく馴染んでいる。店主の行き届いた心を感じた。

 ジャスミンティーのポットは二三度傾けると空になった。そのお茶の風味はまさにHさんの絵のようにふんわりとやさしいはずなのに、そのときの私には苦く感じた。ごちそうさまでしたと言って店を出る。店主と常連はいつまでも話し込んでいた。

 後日、喫茶店Aの前を通ると、すでに閉店した後だった。店に行くのが間に合ってよかったと思った。けれどやっぱりケーキをたべておけばよかったとも思った。
 私は最後まで店に飾られていた絵のことを、画家に報告した。



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