見出し画像

川辺の少年


 小学校のお友達と二人で近所の川へ釣りに出かけました。私たちが糸を垂れたのは、街道と東名高速道路の交わる地点でした。自動車の往来が絶えない場所だけれど、堤を下って川のほとりにしゃがみこむと、とたんに喧騒が遠のいて遁世の趣を催すのでした。

 土手はゆるやかなカーブを描いて桜並木が遠くまでつづいています。春になって満開のあかつきには花見客であふれ、水面にはうすくれないの花筏がゆっくりと流れていくおだやかな川辺です。ところが私たちが赴いたその日といえば、季節感のない退屈な時期でした。けれどそれがまた落ち着つく風情でもありました。

 コンビニエンスストアでおやつの菓子パンをひとつ買っていきました。魚を釣りあげることよりも、のどかな川辺でおやつを頬張るのが私にとってその日の主題でした。竿は、棒切れの先に糸をくくり付けただけの原始的なものです。餌は、パンです。おやつのパンをちぎってこねて、針の先につけました。

 水は澄んで、ちらほらと魚の影が見えます。何の魚かわからないけれど、幾匹かの群れがゆったりと回遊していました。魚たちは何食わぬ顔で私の垂らした餌を通り過ぎていきます。私は撒き餌のつもりで、群れに向かってパンくずを投げてみました。でもやっぱり魚たちは涼しい顔をして泳いでいます。ちゃんとした竿と、ちゃんとした餌でなきゃ、釣れないんだなと思いました。

 そうやって川面をぽつねんとみつめながら、おやつをもったいぶって食べていました。川に架かる橋を自動車がひっきりなしに行き交います。タイヤの摩擦が橋の裏へつたって、ゴオゴオとくぐもった音を響かせました。その絶え間ないノイズを聞いていると不思議な安らぎを覚えました。友達は何やら行ったり来たりせわしく場所を変えていましたが、やっぱり釣れそうもありません。

 午後の陽射しが傾いて鋭くなりました。その眩しい西日を浴びると私は急に草臥れてきました。川も堤も褪せたように思われました。私たちは竿をあげて川を引き払いました。もしも魚が針に引っ掛かってしまったら、心穏やかではいられない。私は内心、釣れなかったことに安堵していました。

 その川は、三十年以上経った今も、変わらない姿で穏やかに流れています。車で橋を渡るとき、川辺を覗いてみれば、あの頃のじぶんが糸を垂れているような気がします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?