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少年とおばさん


 ドラッグストアで買いものをしていると、にわかに騒々しい雰囲気を感じました。そのほうを見ると、男の子が母親に駄々をこねていました。男の子の駄々は悲壮で鬼気迫るものでした。母親は困ったような、怒ったような顔で、ひとりで先へすすんで買いものをしていました。取りのこされた男の子は地べたに座りこみ、力いっぱい泣きわめきました。

 そこへ買いものカゴをさげた年配の女性が通りがかりました。女性は男の子をなだめはじめました。けれど男の子に女性の声はとどきません。男の子は床に寝転んでしまって、憎しみとかなしみに満ちた声を張り上げるばかりです。それでも女性は男の子の威勢にひるむことなく「いいよ、いいよ」となだめています。そうして「元気だね。おばさんうれしいよ。」と、いつくしむような声を男の子のうえにそそぎました。

 そのことばは私のこころに妙にひっかかりました。しばしば電車や道ばたにおいて、泣いている赤ん坊に見知らぬおとなが「元気だね」とお愛想を言うのとは、次元がことなるように感じたからです。手のつけられないよその子どもを、おばさんはその行儀のわるさもふくめて、お世辞でも、しんせつでも、また正義でもなく、まるごと受けとめ、肯定し、存在そのものを評価しました。おばさんの中にそうせざるをえない重大なテーマが鎮座しているように見えました。

 泣きさけぶ見知らぬ子どもにたいして「元気でいてくれてうれしい」と感じ、そしてそれを本人に伝えないではいられないだけの、どんな人生経験をこのおばさんは背負っているのだろう。そういう関心が私に湧きました。

 おばさんと子どものそばを過ぎていくひとたちは、おばさんとの対比で冷たく無機質な人間に見えました。そのとき男の子の泣き声がやむことはありませんでしたが、おばさんのことばは、男の子の中にいつまでものこって、いつか感慨をもって想い起こされる日が来るだろうとおもいました。

 お店を出て車に乗りこむ冷たい無機質な私のこころに、おばさんの声がいつまでも反響していました。




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