見出し画像

増女


 中学生のときの国語担当はA先生という中年女性だった。下膨れのした巨大な顔面を化粧で真っ白に塗りこくって、いつも不機嫌にぶすりとし、横長に切れた細い瞼の奥から軽蔑すように私たちを見下ろした。ちょうど能面の増女(ぞうおんな)を象の足で踏み潰したようなお顔だった。

 高圧的でふてぶてしい態度と相まってその風貌は、当時の正直な印象を言えば“怪物”だった。しかし今は礼儀をわきまえた大人として、善良なる教員に対して怪物呼ばわりするのは失礼であるので、ここではその称号は必要最低限に自制したい。

 その怪物が刺激を与えるのは我々の視覚のみではなかった。A先生からは常時どぎつい香水の匂いが立ちのぼっていた。香水瓶が割れて中身を頭からかぶってきたのかと思われる濃度だった。その匂いが鼻をつくと息が詰まり、首を絞められる感触がした。廊下ですれ違えば、長く尾を引く匂いをどこまでも辿ることができた。それを辿りつづけたら先生のご自宅に着くのではないかと思われた。

 香水怪物はまた、ご年齢の割りには妙に頭髪が草臥れておられ、頭皮が透けて見えるのが痛々しかった。毒々しい柄の貴婦人のようなワンピースドレスをまとい、大きな真っ白い顔に幽霊のような髪の毛を垂れて、いつもむくれて暮らしているA先生には、他の教員とは一線を画す独特な近寄りがたい威容を覚えた。A先生の受け持つクラスだけにはなりたくないと私は願った。否、私たちは願った。

 A先生は一組の担任だった。一組は規律の厳しさで有名だった。一組の純粋な生徒たちは健気にも担任の鞭撻に報い、返ってその団結に心の拠り所を求めるような、一種カルトめいた雰囲気があった。
 香水怪物教祖はそんな我が城を鼻にかけ、特別感に浸っているようでもあった。他のクラスの生徒にきつく当たって泣かせることもあった。そんなときは決まって「うちのクラスでは通用しないよ」と言い放つのだった。

 あるとき教室に衝撃のニュースが走った。A先生がご結婚するというのである。うぶな私は結婚というものが成り立つ条件を知らなかったけれど、結婚とは若く美しい男女がするものだという先入観があったので、あの香水怪物教祖先生と、結婚というイメージが、どうしても重ならず、胸のうちで煩悶した。

 ややあって再び校内に激震が走った。A先生がご懐妊し、産休に入るという。うぶな私は懐妊というものが成り立つ条件を知らなかったけれど、赤ん坊は若く美しい女性が産むものだという先入観があったので、あの象に踏み潰された香水怪物教祖増女と、妊娠というイメージがどうしても重ならず、心のなかで悶絶した。

 産休を終えたA先生はふたたび学校へ現れて何事もなかったかのように教鞭をとった。そこに変わった様子は見られなかった。厚化粧も、香水も、不機嫌さも、一切が以前のままだった。
 けれどこの嫌われ者の教師にも愛する赤ん坊や旦那さんがいて、あたたかな家庭を育んでいる学校以外での人格があるのだなと思うと、人間の生活の奥行きや人生の陰影というものの感慨を、うぶな私へそこはかとなく催させるのだった。

 A先生が笑うことは滅多になかった。生徒には三年間のうちで数えるほどしか見せなかったその笑顔は、私は嫌いではなかった。いま思い出すその福々とした笑い顔は、弁才天様といえばきれいに文章を締められるのだけれど、やっぱりその横にいる大黒様なのである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?