在所
海沿いの長いトンネルを二つ抜けると母の在所である。子供の時分、私たち家族は父の運転する車でしばしば祖父母の家を訪れた。漁業の盛んな港町で、トンネルを出ると磯の香りがした。
祖父母の家は裏手がすぐに浜だった。歩きにくいごろた石が広がる、なんにもない渚だった。浜の手前に市民プールがある。夏に在所を訪れるときは水着を持参してプールへ泳ぎに行くこともあった。
瓦屋根の民家がひしめく中に、祖父母の家は広々とした敷地を有していた。平屋建ての母屋と、ささやかな畑と、それから小さな離れがあった。離れには黒鉄の足踏みミシンが置いてあった。祖母は裁縫が得意だった。
祖父は居間の定位置の座椅子へいつも物静かに座っていた。座椅子は便所に近い戸口を塞ぐように置いてあるので、誰かが用足しに立つたびに祖父は腰を折って、背もたれを引き寄せて隙間をつくった。親戚があつまったときは祖父の腰も忙しくなった。便所は陰気な和式で、隅へわら半紙のような四角い紙を束ねて置いてあった。
私たちがいつも出入りする扉とは別に、路地に面した玄関があった。正式な表玄関はそちらだったようだ。私たちにとってはお勝手口が馴染みの出入口だった。玄関から居間へ廊下が延びるあいだに広いお座敷がある。仏壇があり、ときおり祖母がテープレコーダーでお経を流していた。居間のさら奥にある部屋はひと気がなくていつも薄暗い。家の中を自由に遊んでいても私はその部屋へは入らなかった。
在所ではタマという猫を飼っていた。ときおり庭で見かけたが家の中に居るのを見たことはない。首に鈴を付けてはいるものの、野良猫同然の放し飼いだった。あまり人間には近寄らなかった。
隣近所はみんな顔見知りだった。私たちがいつも車を停めるのも他人の家の敷地だった。土地の所有者は「□□さんとこの親戚が来てときどき停めている」ていどの認識だったろう。特に邪魔にならなければ見てみぬふりをしてくれていた。
裏手の家は遠戚らしい。在所へ行けばきっと挨拶に行かされた。向こうのおばさんは「□□ちゃん、□□ちゃん」と可愛がってくれる。正月に行けばお年玉をくれた。その家には田舎に不釣り合いなうら若い女性が住んでいた。私たちが訪ねて行くと二階から降りて来て愛想良く挨拶をした。学校の先生をしているらしかった。先生が黄色い声で「□□ちゃん、□□ちゃん」と話しかけてくれる。人見知りの私はもじもじしてなんにも答えられなかった。
私たちが訪れると祖母は、まぐろの刺し身や、かつおのたたきや、黒はんぺんなどを出してくれた。港町の名産だった。子供にとってはちっとも食指がうごかず、ろくに箸をつけなかった。大人になって思い返せば、なんと贅沢な海の幸を放棄していたろうと、唾が湧いてくる代物だった。
祖父は漁師だったらしい。一度だけ祖父の若い頃の古写真を見たことがある。そこには見知らぬ精悍な男が写っていた。白く小さくなって座椅子に丸まっているこの老人が、かつては海の荒くれ者だったとは想像できなかった。
祖父も祖母も、自身の生い立ちを話すことはなかった。生前に彼らの生い立ちを聞きださなかったことは、海の幸に手を出さなかったことと同じくらい心残りだ。
在所の前には小川が流れていた。京都にあるような朱塗りの橋が一つかかっていて、渡ったところに小さな神社と古ぼけた雑貨屋が並んでいた。私は一度だけ雑貨屋で買い物をしたことがある。雑多な店内にお菓子や玩具や漫画が置いてあった。埃のつもった商品に田舎のやつれた光線がさしていた。そこで玩具と本を買った。
玩具は小さなビックリ箱のようなものだった。祖父母の家に戻って、たまたま居合わせた近所の気の良さそうなおじさんにビックリ箱を開けさせた。おじさんの手元でビックリ箱は計画どおりに作動した。しかしおじさんはビックリする様子もなく、箱の中の素朴な仕掛けをしげしげと点検してから、黙ってフタを閉じた。間の悪さに私は気恥ずかしくなった。
祖父母の家には何度かお泊まりに行った。なにもすることがなくて、私は仏壇のある広いお座敷で暇を持てあました。唯一の娯楽のテレビも、ダイヤル式のチャンネルはNHKに固定されていて、退屈なアナウンサーの声が流れるだけだった。
夜になるとお座敷へ祖父母と川の字になって寝た。扇風機がゆっくり首をふり、祖父がうちわで私をあおいでくれた。天井でほのかに点灯する豆電球から、布切れを継ぎ足したスイッチ紐の端が、寝ている目の前まで垂れ下がっていた。あまりの静寂に耳がジンジンして落ち着かなかった。はじめて泊まったときは夜更けに寂しくなって泣き出してしまった。祖母が黒電話のダイヤルを回して、私は両親に連れ戻されたのである。
朱塗りの橋の下をたくさんの水が流れた。祖父は老衰が兆し、祖母は脚を悪くして、老夫婦だけの生活が困難になったため、二人は叔母の家へ引き取られていった。それから十年のうちに二人とも鬼籍に入った。在所は叔母の名義になっている。海を間近に控えたボロ家に再利用の目処はつかず、そうかといって取り壊す算段も容易ではない。草むしりの手間と税金の煩いばかりが掛かるお荷物は、叔母の悩みの種となった。
私は盆暮れに帰って団らんするような実家というものを持たない。だから「在所」と聞けば祖父母の家を思い出すのである。その家も、もう消えようとしている。前の小川だけが、昔と変わらず静かに水を運んでいる。
ネヤノウチカラフト気ガツケバ
霜カトオモフイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイシヨノコトガ気ニカカル
「静夜思」井伏鱒二訳
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