秋祭り
子供の頃は近所の小さな神社で催す秋祭りを毎年楽しみにしていた。私は親にお小遣いをもらって仲良しのユウキ君と一緒に出かけるのを恒例としていた。親友と非日常の夜遊びにくりだすのはひとしお胸が高まった。
神社に面した小路は、片側に宵闇の影を深く落とし、反対側には露店が軒を連ねてあたたかな燈火を路面へ投げかけていた。その濃い陰影の中に人々の顔が浮かび上がり、かつ歩み、かつ淀みつつ、ゆるやかに流れていく。そうしてその流れの方々に穏やかで明るい声がしぶきのように上がっていた。数多の靴底に鳴る無数の砂利の細やかな音さえも、お祭りの賑やかさに華を添えるのだった。
どのゲームをやろうか。どのお菓子を買おうか。私とユウキ君は胸を躍らせて露店を流し歩いた。そうして気になったお店があるとどちらからともなく立ち止まって物欲そうな顔で店を覗くのである。そうしていると手慣れた露天商がたちまち誘い込んでくれるので、子供でも容易に買い物が出来た。射的、輪投げ、金魚すくい。焼きそば、じゃがバタ、りんご飴。
りんご飴を持った女の子の二人組とすれちがえば、きっとお互いの真っ赤になった舌を見せ合って笑っていた。
露店に立つ店主はたいてい強面の親父だ。渋味の勝った艶のある声で機械のように呼び込みの文句を繰り返していた。そうして客が寄ってくると、顔はぶすりとした強面のまま、妙に声だけ愛想を良くして、小気味よく接客をする。私はその恐さと優しさの同居した親父達を複雑な気持ちで眺めた。
ある年、ユウキ君と露店を流していると、クレープ屋の前に来た。クレープの生地を焼く甘い香りが辺りに漂っていた。私とユウキ君は立ち止まって相談をした。尖った顎の、ねじり鉢巻をしたクレープ屋は、相談をしている私達に向かって「何にしましょう」と急かすように誘いかけた。ユウキ君は釣られて一つ注文を出した。けれど私は気が進まなかったので注文をしなかった。それでユウキ君も「やっぱりいいです」と断ってしまった。すでに鉄板へベースを一撫でしていた男はそれを聞くと、きっと鋭い目になって「作っちゃったじゃねぇか」と、急に恐ろしく叱り飛ばした。私達はどうして良いか分からず、もじもじしながらその場から去った。男はいつまでもジロジロと私達を睨みつけていた。そんなこともあった。
いつか地面にお金を落として、雑踏の足元へ滑り込んでしまいゆくえが分からなくなってしまったとき、知らないおじさんがひろってくれたことがある。けれどおじさんが私の手にのせてくれたのは私が落としたお金よりも大きな金額だった。そんなこともあった。
男の子に人気なのは射的だった。大人も子供も前のめりに台へ寄りかかって、精一杯に銃口を突き出し、間合いをかせぐ。いつだれが考案した工作か知らないが、誰に教わらなくてもみんな同じ格好で挑んだ。わんぱくな子供は、台の上へ腹ばいに寝そべって打った。
けれどそんな努力も空しく、羽のように軽いコルクの弾は、どんな小さな景品にもはじかれた。お百姓のような店のおばちゃんは、前掛けをして手を前に結び、にこにこと私達の奮闘を見守った。そうして弾に当たって景品の向きがずれると、すかさず元の位置へ直した。たまに誰かが景品を打ち落とすと居合わせた人々の間から歓声が上がった。弾を受けるために下へ張ってある幕のなかには無数のコルクが散らばっていた。
チョコバナナ、フランクフルト、焼きとうもろこし。ひもくじ、ヨーヨー、スーパーボール。
小路の端まで来ると露店が絶えてナイフで切ったようにむなしくなり、暗く冷たい路面が夜の帳の中へ吸い込まれていくのに出くわす。そこへ来ると急に淋しい気持ちになって、私とユウキ君はすぐに踵を返し、再び賑やかで猥雑な夢の世界へ戻っていった。
秋祭りにあわせて神社の境内で相撲大会があった。臨時にこしらえた土俵に子供たちが入れ替わり立ち代わり上って相撲を取った。子供会に所属する私の名前もまた、本人の意志とは関係なく機械的に対戦名簿へ印刷された。これは私にとって大きな憂鬱の種であった。
その日、子供達は半袖半ズボンの体育着で神社に集まる。そして出番が近づくと、周辺の路地で大人たちにまわしを締めてもらうのである。痩せた上半身をさらして、下は薄汚れた白いまわしを巻かれた不格好な自分の姿は、それだけで心を萎えさせた。
境内の土俵を大勢の観客が囲んでいる。どういう訳か、周りは子供から大人までみんな見知らぬ人ばかりだった。私は緊張と心細さで、出番を待っている間にすっかりしょげてしまう。観衆の注目があつまる土俵の上で自分の名前を呼ばれるのは何とも気恥ずかしかった。が、もう逃げられないと観念して土俵に上がる。
相手は丈夫な野性味のある男の子だった。すでに一番を終えたばかりで、興奮をみなぎらせて佇んでいた。かたや内気で人と争うのが苦手な色白のお坊ちゃんである。向き合っただけで私はもう負けた気になっていた。観衆もこの対比を見て、「負けるぞ、負けるぞ」と言いたげに笑っているようだった。
「はっけよーい」と行司役のおじさんが言う。私は二本の細い腕を垂らして握り拳を土に添えた。
「のこった!」
やっ!と、勢いに任せて立ち上がる。けれど相撲の取り方なんて習ったことがないし、どうやって攻めたらいいのか分からないものだから、一二歩進んだだけでそれきり立ち止まってしまった。私が相手に臆したとおもって会場にどっと笑いが起きた。
相手は余裕しゃくしゃくにこちらの様子を眺めている。私が攻めないと分かると、相手は私のまわしを掴みに来た。私も相手のまわしを掴んだ。相手は右に左にお坊ちゃんを振り回した。そうしてよろめいた所に足をかけられて、あっけなく私は転倒した。会場にはまた笑いが起きた。
結末のわかりきった一幕を終えて、私は安堵と羞恥心とをお土産に逃げるようにして土俵を降りた。この群衆の中に私を知る友達や家族の目があるかと思うと、心が消え入りそうに恥ずかしくなった。いそいそと土俵を離れる私に、ひとりおじさんが力強く拍手をしてくれていた。それはいつかお金をひろってくれたおじさんのようにも見えた。
来し方を振り返れば、人生の一本道はあの秋祭りの小路のように光と影に隅どられ、混沌とした渦がたゆたっている。賑わいのうちにも所々へ暗い影を落とし、それが記憶の陰影を濃くしている。
人生の時間を巻き戻すことは出来ない。けれど、心は、思い出の小路を過去へ辿って、いつでもあの日へ引き返すことができる。そこには今も少年の私が、お小遣いを握りしめて胸を躍らせながら歩いている。大人の私は、少年の僕と、あの宵闇の小路ですれちがう。私は、露店のゲームに興じる真剣な僕の姿に目を細める。僕がお金を落として困っていたら、私はひろってやるふりをして、じぶんの財布からお小遣いをやる。大人の私は、あの境内の群衆にまぎれて、僕の立ち合いを見守る。そうして、いそいそと土俵を去る背骨の浮いた細い背中へ、力いっぱい拍手を送るのだ。
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