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お金のない世界


 Aさんと話しをしていると、お金の話題になりました。A
さんは、さいきん聞いたという著名な実業家の発言を、私に
おしえてくれました。それは、
 「お金があるから不幸が生まれる。お金のない世界にしな
いと人は幸せにならない。」
 というものでした。Aさんは実業家の意見に共感をしめし、
「物々交換でしあわせに暮らす世の中がいい」と言って、ウ
ェイトレスの運んできたおしゃれなティーカップを口元へも
っていきました。

 物質的には紙や金属のかけらにすぎないお金を、みんなが
価値があると信じてうたがわない経済活動は、一面で宗教の
ようにもみえます。数千年後にはまったくちがう仕組みで世
界は運営されているかもしれません。今の私たちの経済活動
も、未来人の目には、原始的で奇妙な時代があったものだと
映るかもしれません。私たちが生贄や雨乞いの儀式を真剣に
していた古代人を見るような目で。
 「お金のない世界」に憧れているAさんには、そんなあい
まいな挨拶をしました。

 けれどそれは社交上のお愛想で、私は腹のなかで別の声を
たてていました。お金そのものに良いも悪いもないだろう。
お金が悪いのではなく、お金の使いかたが悪いだけだ、と。
私はつねづね、お金の稼ぎかたよりも、お金の使いかたに人
間性がよくあらわれるとおもっていました。

 経済というしくみはありがたいものだとおもいます。私た
ちはお金のおかげでおいしい料理が食べられるし、古今東西
の書物を読めるし、オシャレもできて、病気になったら治療
もしてもらえます。
 お金がなかったら、大工仕事で家を建て、裁縫仕事で服を
編み、畑仕事で食物をつくらなければなりません。衣・食・
住の基本だけで大仕事です。その前に、土地を確保するため
には他者と殺し合いすらしなければならないでしょう。
 お金があることで生まれる苦労と、お金があることでしな
くていい苦労と、どちらが多いでしょうか。また、この巨大
な脳梁を抱えた生き物が、物々交換だけで生活が出来るでし
ょうか。

 「お金がすべてだ」と言うと白い目で見られそうです。し
かし交換できるものがなるべく多くなければ、お金の存在意
義はありません。何にでも交換できるチケットを手にしたと
き、それを何と交換するかは、持ち主の人格にゆだねられま
す。そこが問題であって、やっぱりお金自体はなるべくたく
さんの交換対象があったほうがいいのです。問題はいつだっ
て、人間の側にあります。

 私もまた、お金にまつわる一生消えない傷のひとつやふた
つ、抱えて生きています。お金は恐ろしい。心からそう思い
ます。お金なんて無いにこしたことはないな、としばしば考
えます。
 けれど、どうあがいても私たちは貨幣文化の中に生まれ落
ち、暮らして、死んでいく運命にあります。その枠組みのな
かで幸せを求める存在です。
 それならばお金との付き合いかたをよりよい方向へ正す努
力のほうが現実的な道ではないでしょうか。「ないほうがい
い」とそっぽを向いたところで何も変わりません。

 件の実業家は、会社経営に失敗をしてすでに社長を辞めて
いるのだとか。お金で苦い思いをしたから、お金のことを悪
く言うのかなと、すこしほほえましくおもいました。
 Aさんもまた、いろいろな苦労をしているのでしょう。私
はその意見に反発しつつ、その心情に共感しました。

 私は、口では口で、腹では腹で、同時に別々の声をだしな
がら、たまには他人と雑談をするのも面白いなとおもいまし
た。注文したコーヒーはまずかったけれど。
 店のレジではAさんの飲んでいた、なんとかティーという
やたらに値ばかり張るオシャレな名前の飲み物を、私のほう
からご馳走しました。ありがとうございます、とAさんは言
って、じぶんの財布からポイントカードを抜きだしレジにお
きました。



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