ぜんそく
ここ二十余年は病気や怪我で病院にかかったことがありません。けっして体は丈夫なほうではありませんが、都度なだめすかして病院の世話にはならずに済んでいます。
子供の頃はちがいました。よく体調を崩しては病院へ点滴を打ちに行きました。夜間外来に駆け込むことも度々ありました。わけても喘息との付き合いは一番親密でした。
喘息の発作はおもに夜中に起こりました。空気がヤスリのように感じられて息を吸うたびに砂を引きずるような音を胸から響かせました。そんなとき母親は起きだしていそいそと吸入器の支度をします。水を蒸気に変えて噴き出す装置です。その湿った蒸気を吸い込むと少し楽になりました。私はいつ収まるともしれない息苦しさに朦朧としながら、暗闇の中に白い蒸気の吐き出されるのを見つめていました。
あるとき我が家に、喘息の治療に評判の良い医者の噂が舞い込みました。その先生は隣町にいました。さっそく父親が車を走らせます。
病院は小さな町医者でした。地元の行きつけの病院には慣れていましたが、はじめての土地は勝手がちがいました。しかも噂の先生というのは厳しくて有名だったのです。弱虫の私はそれを聞いただけで心細くなりました。
名前を呼ばれて診察室に入り、先生の前の小さな丸椅子に座りました。先生は不愛想でいかにも怖そうでした。今まで溜まっていた不安がいよいよ膨張します。私は目の裏に涙が打ち寄せるのを我慢しました。
先生は一瞥して私のお坊ちゃん気質を見抜いたのでしょう。第一声に「そんな甘ったれだから駄目なんだ」というような言葉を投げつけました。その粗野な声を聞いて、抑えていた涙がついにあふれ、ぽろぽろと流れました。
先生は、私と母親とを等分に見据えて、静かに説教をしました。私は緊張と気恥ずかしさでいっぱいになり話など聞いている余裕はありませんでした。ただひとつ「自立」という単語が耳に入ったことを覚えています。
最後に先生は、あらためて私に向き直ってこう言いました。
「今日から自分の食器は自分で台所まで片づけるように」
それでその日の診察は終わりました。私は拍子抜けしました。お薬も注射もなかったのです。お医者さんが病気を説教で治す、その意外性に子供ながら目から鱗の落ちるような気がしました。涙に、鱗に、忙しいものです。
その後も何度か通院しましたが、先生と話した記憶はほとんどありません。ただ、行く度にお尻に大きな注射を打たれました。けれど看護婦さんがやさしかったのであまり痛くありませんでした。
私は先生に言われた日から、ご飯を食べ終わると台所まで食器を運びました。手狭なアパートのことで、食卓から台所まではわずかな隙間でした。しかしその儀式が私の精神史に記念すべき「自立」の第一歩を叶えてくれたようです。弱虫なのは相変わらず治らなかったけれど、喘息のほうは薄紙をはぐように快方へ向かうのでした。
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