クリスマス会
小学校低学年のころだったでしょうか、子供会の主催するクリスマス会に参加したことがあります。一度きりしか記憶がないので、毎年の恒例だった訳ではないのでしょう。その年はなにか特別な機会があって催されたようです。会場は最寄の保育園の教室でした。私は母親に押し出されるようにして一人で家を出ました。
会場ではおばさんたちが手づくりのピカピカした三角帽子をかぶって子供たちを迎え入れました。窓におりがみでつくった輪飾りがめぐらせてあり、中央には大きなクリスマスツリーも置いてありました。机を寄せあつめて白い卓布を敷いた長テーブルには、おいしそうなケーキがならべてあります。おばさんたちはビニール袋に入った駄菓子の詰め合あわせを配り、子供にもおなじピカピカの三角帽子をかぶせました。
会場にはたくさんの子供が来ていましたが、知っている子は一人もいませんでした。ほかの子もおなじように片付かない顔をして、大人の供するもてなしを粛々と受けていました。
私は万年おたふくのような頬っぺたに三角帽子の顎紐を食い込ませながら、もらったお菓子をかじったり、テーブルのケーキをたべたりしました。所々で子供が寄りあつまってゲームに興じていましたが、そこへ割って入る勇気はありませんでした。
会の目玉はプレゼント交換でした。椅子を輪にならべて座り、音楽にあわせて左から右へプレゼントを受けながしていきます。音楽が止まったところで手元にあったプレゼントがじぶんのものになるのです。
席についてめいめいが家から持ってきたプレゼントを膝に置き、音楽の鳴るのを待ちました。まわりを見わたすと色もかたちも様々なプレゼントがぐるりとならんでいます。それを見てわくわくしました。どれがじぶんのものになるだろう。浅黒い男の子が筆箱ほどのちいさな包みを握っていたり、おめかしをしたお嬢さんがリボンの輪をたっぷりに結わえた大きな袋を抱きかかえていたり、プレゼントの意匠とそれを持っている子の風采がなんとなく似通っているのに興を覚えました。
音楽がはじまりました。おばさんたちが周りで囃し立てます。子供は知らない者同士ぎこちなくプレゼントを回します。私は、小さなプレゼントが来るとここで音が止まるんじゃないかとドキドキし、大きなプレゼントが回って来ればここで音が止まるんじゃないかとドキドキしました。
音が止みました。黄色い声が上がります。子供の輪はたちまち崩れて会場はひとしお賑やかになりました。果たして私の手元に止まったのは、筆箱よりは大きいけれど平べったくて地味な包装紙が巻きつけてある代物でした。一瞥して“当たり”でないことが察せられ、私はちょっとがっかりしました。
家へ帰ってプレゼントの包みをひらいてみると、文房具がいくつか入っていました。イラストの入ったノートやメモ帳やペンの類だったと思います。学校の前の文房具屋さんに置いてあるけっしてめずらしいものではないけれど、いちどきにこんなにいくつも買いそろえたことはないし、赤の他人が選んだ色とりどりのデザインには特別感がありました。私はひとつひとつ手にとってしみじみと眺めては福々とした気分になりました。
ところで私が家から準備していったプレゼントは何だったのでしょうか。覚えがありません。おおかた母親があつらえて私に持たせたのでしょう。だから私は中身を知りません。筆箱よりは大きいけれど、平べったくて地味な包装紙が巻きつけてあったような気もします。
不思議にも、あの遠いむかしのクリスマス会がときおり胸に去来します。ひとりで心細かった記憶とともに、おばさんたちの甲斐甲斐しい姿が思い出され、しんみりとあたたかなきもちになります。あのときのおばさんたちは、今の私よりずっと若かったでしょう。
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