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ハセマネ

 高校生のときはファーストフードでアルバイトをしていました。はじめてのバイト経験でした。お店にはたくさんの高校生や大学生が出入りして、いつも騒然とし、また和気あいあいとしていました。社員や、大学生のお兄さんお姉さんや、他校の同級生たちは皆「□□ちゃん、□□ちゃん」と私を呼んで良くしてくれました。私は窮屈な学校生活とは対照的な、解放感と充実感に心地よさをおぼえました。朝早くからの学校と夜遅くまでのアルバイトは身体に酷ではありましたが、人生ではじめて、自分の手で開拓した自分の居場所だという気がしました。私は部活をさぼっては毎日のように賑やかなお店へ通いました。

 社員の中ではマネージャーのHさんがもっとも熱心に働いていました。大柄で物静かな男でしたが、きめ細かくきびきびと動いていました。素行の悪いバイトがいると裏へ連れて行って凄んでみせる迫力もありました。みんなに「ハセマネ」という愛称で親しまれていました。
 私はいつもハセマネに目をかけてもらっていました。入社当初から仕事を教えてもらい、面談では親身になって話を聞いてくれました。私の個性を尊重し、仕事ぶりをよく評価し、ていねいに成長を見守ってくれました。仕事以外の場面でも、生真面目で青臭い私を大人の輪の中へさりげなくいざなってくれました。私は、大人や先輩たちの庇護のもと、働くことのたのしみと、自尊心の拠り所をおぼえました。

 仕事にも慣れて、お店の人間関係にも馴染んだころ、一度だけハセマネの家へ遊びに行ったことがあります。夜、店を閉めたあと、数人の先輩とともに店からそれほど遠くないハセマネの家へ歩いて向かいました。
 狭い路地を分け入って、雑草が茂る窮屈な敷地に這い入ると、洗濯機やら粗大ごみやらが雑然と軒先に並んでいる古びた借家にたどり着きました。長屋に粗末な戸板が等間隔に並んでいる、そのうちの一つがハセマネの棲家でした。
 玄関を入ると散らかった狭い小部屋が現れました。お店での白熊のような迫力あるハセマネと、この鼠の巣のような場末の部屋とが頭の中で折り合わず、不思議な気持ちがしました。

 六畳ほどの古畳の上で、私たちはちゃぶ台を囲んで鍋をしました。鍋といっても湯豆腐です。お湯を沸かし、ポン酢を入れ、豆腐をしずめて、それを皆でつつくだけの鍋でした。「安いからよく湯豆腐を食べる」とハセマネは言っていました。
 その日はハセマネの家で泊まらせてもらいました。ちゃぶ台をどかし、押入から引っ張り出した布団を畳の上に敷きつめて、みんなで雑魚寝をしました。そうして翌朝に解散しました。

 ファーストフードのアルバイトは三年半ほど続きました。高校を卒業して専門学校に入り、やがて就職活動がはじまったころに退職しました。
 社会人になって数年経つうちに、いつの間にかお店はなくなっていました。そののち、風の噂に、ハセマネが店のお金を盗んだという話を耳にしました。それは人づてに聞いた曖昧な話だったので、真偽のほどはわかりません。



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