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手紙

1.
 突然E子さんから手紙が届いた。E子さんは中学生のときのクラスメイトだ。卒業してから一度も交流はなかった。
 中学校では、担任教師の人柄を反映した明るくあたたかなクラスに恵まれた。男子も女子も、おとなしい子もやんちゃな子も、分け隔てのない和気あいあいとした教室で、連帯感も強かった。
 E子さんは卒業間近まで隣の席だったこともあり、印象に強く残っている懐かしい同級生である。互いに恥ずかしがり屋だったが、E子さんといつも一緒にいるおてんばな女子が混ざることで、私たちは仲良くなった。下膨れのした色の白い子だった。
 手紙の内容は、特別な用件のあるものではなかった。便箋三、四枚に近況報告や現在の悩みごとなどがイラストも交えて軽快に書きつらねてあった。その文字は私のなかで、E子さんの明るい澄んだ声で再生された。けれど彼女からの手紙は、それが最初で最後だった。

2.
 手紙のなかにメールアドレスが書いてあったので、私とE子さんはメールで何往復かの会話をした。私たちは久闊を叙し、同級会の発案をしあった。記憶に残る中学時代の遠慮がちな話しぶりと、時を経たからこそ叩ける軽口との対比に、今昔の感を共有した。しかし何度目かのメールを送ったのち、はたとE子さんの返信は途絶えた。
 当時はまだインターネットでの連絡も、こなれていない時代である。私はメールの送信事故を想定して再送してみたが、それでも返事はなかった。
 突然の音信不通に私は当惑した。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。あるいは病気や怪我をしたのだろうか。メールを読み返しても、ヒントは見つからなかった。
 その年の歳末には何食わぬ顔で年賀状を送ってみたが、やはり反応はなかった。E子さんとの再会はそのまま尻切れトンボに絶えてしまった。

3.
 幾ばくもなく、私が仕事で車を走らせていると、はしなくもE子さんの住んでいる近くを通過する縁があった。
 私は、車を停めた。
 胸につかえていたわだかまりを、せめて彼女の在所を一目たしかめて、それで心に区切りを付けようと思った。
 ひと気のない静かな住宅街だった。近くを川が流れている。私は車を降りると、堤に沿って歩いた。E子さんの住んでいる場所はすぐに見つかった。しかしそこに現れたのはフェンスに囲まれた更地だった。
 E子さんはアパートに家族と住んでいたようだが、更地には建築物の影は微塵もなく、ただ雑草が丈高く生い茂っているだけだった。フェンスに管理会社の看板が掛けてあった。私は腑に落ちたような、また落ちないような、片付かない気分で、しばし看板の前に立ちつくしていた。

4.
 手紙の中のE子さんは、隣の席で話していたときのように、明るく活き活きとした印象を受けた。しかし彼女はその手紙をどんな気持ちで書いていたのだろうか。私はのん気に言葉の表面しか読んでいなかった。が、もしかしたら何か、私が汲み取るべき込み入ったメッセージが行間にひそませてあったのかもしれない。そうして私が応じるべき別の正解があったのではないだろうか。ずっと後になってから、歳を重ねた私はそんなことを考えた。
 E子さんの手紙は長い間、保管していた。けれども、今もどこかで今日という日を暮らしているであろう彼女にとって、あの手紙を書いた当時の自分自身は、すでに振り返りたくない過去のE子になっているのではないか。近頃はそんな気がしている。だから私は手紙を捨ててしまった。今を生きる初恋の女性に幸多かれと願いつつ。




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