モモ
私が二十歳のころに実家へやって来たチワワは、モモと名付けられて十四年間生きました。魚のようにピチピチと跳ねまわっていたのがつい昨日のことのように思い出されます。飴細工のような白いうつくしい毛をまとったメスでした。いつしか家族の齢を追いぬいて最長老となったモモが、足を引きずって歩くのを見るとさびしい気持ちになりました。
晩年のモモは肺を病みました。ようよう自力で呼吸をするのも大変になって酸素カプセルをレンタルしました。彼女はもう跳ねまわることはありませんでした。どこにいるのかとおもって座卓の下をのぞくと、毛布にうもれて落ちつきはらった顔でおやつをかじっていました。妹夫婦に子供が生まれてにぎにぎしくなった家で、ひとりしずかに余生を送っていました。その甥っ子とは犬猿の仲で、よくケンカをしていたといいます。
ある年、家族が海外へ出かけることになりました。すこしのあいだホテルへあずけるつもりでいました。しかし出立のせまったある日、容態が急変しました。酸素カプセルの中で一晩苦しんで、朝方に息絶えました。
「ひとりにされるのが嫌だったのかな」と家族が言いました。
正月くらいにしか顔を見せなかった私も、モモの苦しみを想像して胸を痛めました。今はもう、すべての苦痛から解放されてすやすやと眠っていることが、のこされた者たちにとって唯一の救いでした。
人は死ぬと愛するもののところへ行く。そう聞いたことがあります。犬もそうでしょうか。犬は、きっとおいしいもののあるところへ行くのかもしれません。老いて、病んでも、家族が食事をはじめればモモは、座卓の下から飛びだしてきて二本足で立ちあがりました。いま、朝晩のお膳が上がるその食卓をのぞくように、彼女の写真は飾ってあります。
宿命のライバルだった甥っ子も、ちいさな手を不器用に合わせて、戦友の写真を拝んだりしています。
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