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波音


 自転車のかごへカメラを入れて、夏の盛りを海まで漕いだ。若かりし日、お小遣いをはたいて高価なデジタルカメラを買ったばかり僕は、しばしば近所を写真家気取りで出歩いた。山のふもとを彷徨うこともあれば、街中をブラつくこともあった。その日は、海へ向かった。

 地元の海岸には寂れた小さな港町がある。碁盤目のような路地に薄汚れた民家がひしめき合っている。真っ赤に錆びた鉄材が捨ててあったり、鬱蒼とした雑草だらけの空き地があった。狭い路地の先には防風林の松並木が見える。その向こうから波音が静かに漏れ聞こえていた。ひと気のない路地に、江戸時代からあるような古めかしい漆喰塗りの蔵が建っていた。久しく放置されているようである。入口に鉄鎖が曳いてあった。その鉄鎖もぼろぼろだ。

 海に出た。人影はまばらだ。ごろごろした石を踏んで浜を歩いた。期待したほど海は美しいものではなかった。青年が流木に腰掛けて本を読んでいた。これは絵になる。水平線をバックに、本を読む若者の背中へシャッターを切った。波音を BGM にして、彼はどんな本の中を旅しているのだろう。
 飛沫をあげる汀はゆるやかなカーブを描いて、遠くの切り立った山裾へと伸びている。山裾には海上を渡る幹線道路が張り出し、車の小さな影がせわしく行き交っていた。

 浜から遊歩道に上がる。歩道のアスファルトが夏の日差しを照り返して真っ白に灼け、目をくらませた。歩道の脇に粗末な小屋が建っていた。浜の女たちが何人か並んで海産物を干していた。シラスのような小魚を網の上へ広げている。女たちは身体にいくつもの布を巻きつけてミイラのようになりながら、日傘を片手に作業をしていた。浜の女の働く姿をファインダーに収める。

 白い軽ワゴンが停まっている。車内は荷物が雑多に積まれて物置のようである。ぎょっとしたのは、その荷物に埋もれて老人の顔を見つけたからだ。老人は窓を開け放って浜風を浴びながら気持ちよさげに昼寝をしていた。その間抜けな寝顔が滑稽なので思わずシャッターを切った。

 僕は自転車のかごへカメラを入れて、真っ白に灼けた道を引き返した。白いTシャツが海風を受けて帆のように膨らんだ。風は前から吹いて前進を拒んだ。僕は立ち上がって体重をのせペダルを踏み込んだ。風の上を歩いているみたいだった。弾力のある硬い風だった。もう、ふたむかし前のことだ。

 港町にはいつしかお洒落なジェラート店やオムライスのレストランが生まれ、都風の民宿や温泉施設も建った。休日ともなれば多くの自動車が乗り付け、家族連れやカップルで賑わう。一方で、路地裏にはいまだ崩れかかった蔵がそのままにあり、放置された空き地に雑草が荒れ放題となっている。進取の気概と陰気な風情が交錯する、少し不思議な海辺の町である。しかし取り澄ました隙の無い完成度よりも、つぎはぎだらけの混沌とした猥雑さに、僕は親しみを覚える。

 海岸の松林の木陰で若者たちがバーベキューをしている。無遠慮な笑い声がときおり林間をこだまする。渚には昔と変わらない淋しい波音がしずかに砂を濡らしている。僕はそれをジェラート店の屋上席でぼんやり聞いている。夏の強い日差しに手元のシラスジェラートが早くも溶けはじめている。



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